琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。 ☆☆☆



Kindle版もあります。こちらのほうが価格は安め(僕はKindleで読みました)。

内容紹介
【売れてます! 発売2週間で3刷決定! 】
「共感した」という読者の声も続々いただいております!


――「たかが仕事」でそんなに苦しむのは、アホらしいと思いませんか?――


「朝30分遅刻すると鬼のように怒られるのに、夜30分残業してもその残業代は払われない」(事務)
「給料がたくさんもらえれば、仕事のやりがいだって少しは感じられるかもしれない」(事務)
「『定時』はだいたい22時』(SE)
「就活中の学生には、業務時間内にメールを送るように指示されている」(営業)
「同僚が上司から『あいつはよく休む』と評価されていることを知り、自分はもう休めないと思った」(営業)
ワークライフバランス否定派の先輩が、健康診断にひっかかって顔面蒼白になっていた」(SE)
「OG訪問をしたら、先輩女性社員の肌の荒れ方にびっくりした」(大学生)
「学生時代はほとんど勉強しなかった友人が、就職するなり『早く成長したい』とか言い出して、心配になる』(事務)


みんな、「働くこと」に悩んでいます。
「やりがい」って、そんなに必要なのでしょうか?
「お金のために働く」って割り切ることは、そんなに悪いことなのでしょうか?


本書では、大人気ブログ「脱社畜ブログ」の管理人が、みんなが心の中では「おかしい」と感じている
働き方をぶった切り、日本人にかけられた「社畜」の呪いを解消します。
「働くこと」に悩んでいるビジネスパーソンはもちろん、就活中の学生にもおすすめです。


『脱社畜ブログ』は、ときどき読んでいたのですが、僕にとっては、正直、なんだかピンとこないブログだったんですよね。
 著者の言っていることは「正論」だと思うんですよ、本当に。
 この本の冒頭には、こう書いてあります。

 「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください」


 たとえば会社のキャリア面接で、上司に対してこう言ったとしたら、どうなるでしょうか。
 仮に上司との関係が良好で、それまで和やかに面談が行われていたとしても、この一言がきっかけになって場の空気は一変するに違いありません。
 「君は、自分が何を言っているのかわかっているのか」
 「君にはガッカリしたよ、もっと優秀な人だと思っていたのにね」
 このように露骨に不快感を示され、面談がそこで打ち切られることになるかもしれません。
 たった一言、「やりがいよりもお金をくれ」と正直に言ったばっかりに、それまで築き上げてきたあなたに対する評価は、跡形もなく消えてなくなってしまう可能性すらあります。

 いやほんと、言ってみたいですよね「とりあえず残業代ください」って。
 でも、思っても、なかなかそれを口には出せない。
 アイツはカネに汚い、なんて思われるのも嫌だし、自分だけ早く帰ったりすると、陰で何を言われるかわからないし、そんなことをして嫌われたら、働きづらくなるかもしれないし……
 

 日本の職場では残業があたりまえになっているというだけでなく、残業代が払われないということも少なくありません。
 時間外労働をしたのにもかかわらず、その分の給料が支払われない残業は一般に「サービス残業」と言われていますが、この言葉は実態を言い表すには軽すぎる言葉だと僕はつねづね思っています。
 残業代を払わないというのは、一言で言えば泥棒と一緒です。
 会社員は、別にボランティアとして会社で働いているわけではありません。給料がもらえるから働いているわけです。
 それなのに、払うべき給料を払わずに踏み倒すというのは、他人の労働力を盗んでいることと一緒です。サービス残業を強要するということは、会社が社員に対して窃盗を働いていることと変わりません。


 実際に、もし僕が「残業代も出ないのなら、定時に帰ります」とか、「もう仕事やめます」なんて言えば、偉い人は、不愉快そうな表情を浮かべながら「じゃあ帰っていいよ」と言うかもしれません。
 そして、反論できない人や、上司の評価を落としたくない若手に、さらにしわ寄せが押し寄せることになるのです。
 「あいつが定時に帰ったのだから、恨むならあいつを恨め」と。
 そういうやりかたは、間違っていると思う。
 しかしながら、「間違っている!」と声高に叫んでみても、結局、それで世の中が変わる、というわけでもない(もちろん、誰かが叫ばないと変わらないわけですけど)。


 この本、基本的には『脱社畜ブログ』関連でネットにアップされたものを採録したものが多いようなのですが、読んでいて、著者は、『永遠の0』の天才パイロット・宮部久蔵みたいなものだな、と思ってしまいます。

 
 あの宮部さんは「天才」だから、軍にとって必要不可欠な存在なので、士気を低下させるような発言をしても、渋々ながら存在を許容してもらえたけれど、普通の搭乗員たちは「流れにのっていくしか、生きていけなかった」わけで。


 「宮部さんは、生き残るために乱戦を避け、すぐにその空戦のエリアから離脱していた」とかいうのは、宮部さん個人の立場からいえば「生き残りたい、という美しい家族愛」なのかもしれないけれど、そこで戦っている仲間からすれば「宮部は実力があるパイロットなのに、なんで味方のために戦ってくれないんだ……身勝手なヤツ!」と言いたくもなるでしょう。


 この著者は、代替不可能な実力者だからこそ、あるいは、会社を離れてもやっていける自信があるからこそ、会社の上層部に「俺は定時に帰る!」とか、「やりがいよりも残業代よこせ!」と言えるのだろうな、と。


 一緒に働いている「普通の社員」は、逆らったらクビになるかもしれないし、そうなったら次の仕事を探すのも大変だから、唯々諾々と「上の意向」に従うしかない。
 

 「他人ができないことをやれる、必要不可欠の人材」であれば、多少の自己主張は許容してもらえるはずです。
 でも、そうでない大部分の人の生存戦略としては、「みんなが嫌がるようなことをやってくれる人」であることを自分のアドバンテージ(利点)にしていくしかない場合もあるのです。


 村上龍さんが、『自由とは、選び取ること』という著者のなかで、「悩み」と「現実」の話をされています。

 雇用状況が悪くてなかなか仕事が見つからず、たとえ正社員になっても給料が上がらないというのは悩みではなく、ほとんどすべての人に立ちはだかる現実です。現実は、基本的には変化しません。

変わらない現実の前で、いくら悩んでいてもしょうがないのに、悩むことで、自分は何かをやっているような気分になってしまう。
でも、どんなに考えても「現実」は、どうしようもないんですよ。
それこそ、政治家になるか、社会運動を起こして「世界を変える」のでもなければ。


最近、こういう「日本人の労働環境について書かれた本」がいくつか出ていて、「働きすぎる『社畜』が満ち溢れている日本社会」が批判されています。
僕も、彼らが言っていることは正しいし、「なんでこんな世の中なんだろう……」と溜息ばかりが出てきます。
ただ、この日本社会って、村上龍さん風にいうと、まぎれもない「現実」なんですよね。
こういう本を読んでいる僕やあなたが、いくら憤っても、そう簡単に変わるようなものではない。


この本にも、その現実から脱出するための方法は、書いてはあるのです。

 すでに述べたとおり、これからの時代の会社員は、ひとつの会社の「一員」として一生勤めあげるのではなく、会社を「取引先」ととらえて適切に距離を保ちながら働く必要があります。
 しかし、このような働き方をすることは、決して容易なことではありません。
 たとえば、会社が理不尽な働き方を強制してきた時に、
「それならいいです、他の会社で働きます」
といったように、強い態度に出るためには、いつでも会社(取引先)を移れることが前提になります。
 そのためには自分の労働市場における価値を高めておかなければなりません。

これも「正論」なんですよ。
でも、「自分にしかできないスキルを身につけろ」とか、「キャリアデザインをしっかりしておけ」というのは、そう簡単にできることじゃない。
大部分の「普通の能力の人」にとっては、「社畜的に生きる」ほうが、はるかにラクなのではないでしょうか。
というか、本気で「自分にしかできないスキル」とかを追い求めていったら、ワークライフバランスと両立していくことは可能なんだろうか?


率直に言うと、「変わりようがない『現実』を突き付けて、解決する手段もない(あるいは、ものすごくハードルが高い)のに、『こんなのよくないよね』と煽って、不満だけを増幅させている」ようにも、僕には感じられるのです。
いまの日本の「働き方」って、理不尽ですよね。
でも、「社畜」よりも、「一匹狼」として生きるほうが、はるかに難易度は高い人のほうが多いのではないかなあ。
「脱社畜」は、計画的に。


能力が高い人にとっては、ものすごく刺激になる一冊だと思うのですが、この本が日頃の会社への不満のはけ口以外に役に立つ人って、そんなに大勢いるのだろうか……

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