琥珀色の戯言

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【読書感想】問いのない答え ☆☆☆☆


問いのない答え

問いのない答え

内容(「BOOK」データベースより)
震災発生の三日後、小説家のネムオはネット上で「それはなんでしょう」という言葉遊びを始めた。一部だけ明らかにされた質問文に、出題の全容がわからぬまま無理やり回答する遊びだ。設定した時刻になり出題者が問題の全文を明らかにしたとき、参加者は寄せられた「問いのない答え」をさかのぼり、解釈や鑑賞を書き連ねる。そして画面上には“にぎやかななにか”が立ち上がる―ことばと不条理な現実の本質に迫る、静かな意欲作。それぞれの場所で同じ時間を過ごす切実な生を描いた、著者四年振りの長篇群像劇。


長嶋有さん、好きなんですよね。
1972年生まれの長嶋さんは、僕と同じ世代で、みてきたものや興味があったことに、重なる部分もあって。
この『問いのない答え』の『アウトラン』に関する描写とか、「僕はわかるけど、他の『一般の(ゲーム好きじゃない)』読者を、置いてけぼりにしちゃってるんじゃないかなあ」なんて、心配になってしまうほどです。
でも、長嶋さんの作品が「大ベストセラーにはならずとも、こうして書き続けられているということは、僕のような読者は特別でもなんでもなくて、勝手に「自分のために書かれたような気がする作品」だと思い込んでいるだけなのでしょうね。
長嶋さんの作品には、たしかに、そういう「これは僕以外の人にはわからないのではないか」と夢想してしまうところがあるのです。


この小説は、SNS、とくにTwitterを題材にしたもので、東日本大震災後に、あるきっかけで繋がりを持つようになった人びとを描いた群像劇です。
けっこう多くの登場人物が、断片的なエピソードを積み重ねつつ、次から次へと視点をバトンタッチしながら話を進めていくのですが、人(視点)が変わっても、一行空白が置かれるわけでもなく、淡々と主語が入れ替わっていくんですよね。
読んでいて、「いまの主語は、誰だったっけ?」と読み返すことが、何度もありました。
ああ、なんだかTwitterのTL(タイムライン)みたいだ。
でも、TLみたいなアイコンやコメントごとの「囲い」もないので、ちょっと読みにくい感じではあります。
その「読みにくさ」も含めての「表現」なんでしょうけど。

 もうインターネットとかいうものが広まって十五年以上たつ。ネムオはその前のパソコン通信から触れていて、当時は奇異にみられた。そこにいない人との「バーチャル」な付き合いのドライさに、少し前までは誰もがもう少し構えていたはずが、いつのまにか皆がごく自然に「四角く」なった。奇異な視線を向けてきた世界から、謝意(「あの時奇異の目でみて悪かった」というような)を示されたような気はしないまま、皆がうつむいて当たり前に「ネットしている」。母親にさえツイッターってどうやるの? と問われたっけ。ネムオはビールのプルタブを起こす。


僕はこの本を読みながら、「インターネット時代、SNS時代の『文学』」みたいなものについて、ずっと考えていました。
直木賞を穫った朝井リョウさんの『何者』など、SNSの世界をいちはやく切り取って作品にしている人たちもいるのですが、ネットでのコミュニケーションの急速な「一般化」に、文学の世界はまだ追いつけず、戸惑っているように思われます。
というか、これだけネットをやっている僕自身も、SNSが普通の道具として使われている作品に触れると「新しい」ような気がしてしまうのです。
それこそ、「もう、インターネットとかいうものが広まって十五年以上たつ」のにね。


「いまの世の中」というのは、ものすごく「個人主義的」であるのと同時に、SNSなどで、他人の人生がどんどん自分の人生に流れ込んできているんですよ。
 この作品には、そういう混沌があえて整理されないまま封じ込められています。
 みんな、他人と離れたいんだか、くっつきたいんだか、よくわからない。
 僕自身も、よくわからないのだよなあ。

 家からサザエさんの音声が聞こえてくる。窓はしまっているのに。耳の遠くなった父親が遠慮なくテレビの音量を上げるからだ。かろうじてトイレまで歩くだけの脚力しかない、もうオムツはつけている要介護寸前の、一日中テレビをみているだけで覇気のない父親のため、今日も晩飯を作らなければならない。
 そして、それは今日だけのことではない。
「ああ、もう……」とつぶやいた。それは本当のつぶやきで、だから誰にも聞こえなかった。なにしろネムオの実家は閑散とした田舎の別荘地で、周囲のどこどこまでも人がいなかった。物置の、塀越しには広い空き地がみえた。日は暮れかかっていたが、茂った枯れ草が風にふかれて動く空き地はわずかな光量でも雄大にみえ、サザエさんの音声と不似合いなものに感じられた。


 SNSの世界に慣れてくればくるほど、そこに書かれている「つぶやき」は、「人に見せるための本音っぽいもの」であり、本物の「心のつぶやき」はまた別のものだということを実感してしまうのです。


 この作品自体が「問いのない答え」みたいなものなんですよね。
 さて、何が問われているのだろうか?

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