琥珀色の戯言

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【読書感想】リクルートという幻想 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
「株式上場」「人材輩出企業」「モーレツ営業」「新規事業創造企業」……
リクルートって、そんなに凄いのか?
OBが激白! 気鋭の論客がリクルートの虚像を剥ぐ


リクルートは「人材輩出企業」や「新規事業創造企業」等と賞賛され、
「営業武勇伝」に事欠かない。「やんちゃ」な社風は賛否両論あるが、
日本人の働き方に良くも悪しくも影響を及ぼした。論客として著名なOBが、
自らの体験と新規取材の両面から、リクルートの実態に迫り、将来を展望する。


はじめに――リクルートのことを知っていますか?
1章 リクルートの 「焦り」――話題のCMから読み解く
2章 人材輩出企業という幻想(1)――「リクルート本」 が教えてくれること
3章 人材輩出企業という幻想(2)――採用と起業のしくみ
4章「モーレツ営業」 の虚像と実像
5章 モチベーションとテンションが高い理由
6章 そこに 「新規事業」 はあるのか
7章 リクナビはなぜ批判されるのか
8章 リクルートという幻想を超えて
あとがき


 リクルートOBである著者による、リクルートという「普通じゃない会社」が辿ってきた道と、現在の立ち位置について。
 そして、「リクルート」に対する、世間の誤解と、内部の人間たちの勘違い。


 「はじめに」著者はこのように述べています。

 リクルート上場。
 しかし、そもそもリクルートとは、どんな企業なのだろう。なぜ、上場するのだろう。その先に何があるのだろう。
 この本は、リクルートという企業にまつわる幻想を検証すること、それを通じて同社だけでなく、日本の企業やビジネスパーソンのこれまでと、これからを考える本である。
 そう、リクルートが上場する。あのリクルートが、である。借金は完済状態。同社の2014年3月期連結営業収益は過去最高の1兆1915億円(前期比13.6%増)となっている。しかも、海外収益が2800億円となっており、グローバル展開が加速していることが窺える。連結経常利益は1260億円だ。グループ全体の従業員数も3万人に迫る。12年10月より持株会社制に移行しているが、現在、各主要事業会社の人数は1000人〜3000人で、一昔前のリクルート本体の規模にまでなっている。創業期からの求人広告などの人材ビジネスだけでなく、カバーする領域も広がっている。そして、グローバル化、IT化に社運をかけている。社屋は以前は、銀座8丁目のリクルートビルがおなじみだったが、現在は東京駅八重洲口にある42階建てのビルに入っている。リクルート事件のイメージもいまや薄い。創業者江副浩正氏は13年に他界した。
 昔のリクルートを知らない若い人と話していると、戸惑うことがある。私がリクルート出身だと知ると、みんなが目をキラキラさせて「リクルート時代の話を聞かせてください!」と言い出す。彼らは「意識高い系」の若者によくいる、「リクルート信者」たちだ。彼らにとって、リクルートのイメージは驚く程に、良い。リクルート事件後に生まれた若者が、社会に出ている。彼らは、リクルートに憧れるだけで、現実はほぼ知らない。


 この新書を読んで、「リクルートって、そんなにすごい会社だったのか……」と、一般的な「就活」を経験しておらず、企業の情勢にも詳しくない僕は、驚いてしまいました。
 そもそも、そんなに「特別な会社」だったのか、と。
 40代前半の僕にとっては、リクルートって、「就職情報誌をはじめとした情報産業の大手で、あの『リクルート事件』を起こした会社」でしかないんですよね。
 すごい人材をたくさん輩出していて、「意識高い系」の若者たちに、こんなに興味を持たれているのか……と驚きでした。
 「リクルート事件を知らない若者たち」が、どんどん社会に出てきているのだものなあ……

 リクルートの採用の特徴は「リクルートに入りたい」人ではなく、「リクルートが欲しい」と思う人材を採用することである。なぜなら、当時の同社は応募すらしていない人、リクルートに興味のない人までを対象とし、口説き落としていたのだ。同社の採用は、欲しいと思った人材を探し出し、徹底的に口説くというものだった。
 家族などに反対されることもある。特に88年を境に世間からは「リクルート事件を起こした会社」として認知されているわけだから。家族を説得するため、採用担当者は内定者の親と酒を酌み交わすことすらあったという。


(中略)


 採用担当者には、その夜、銀座で鮨をご馳走になった。実に感動的だった。別れ際に、こう言われた。「形式上必要だから、履歴書を書いてくれ」。そう、履歴書もないまま、面接が進んでいったのだった。


 また、入社式の日は、こんな感じだったそうです。

 しかし、最も驚いたのは、夜のキックオフだった。配属先の事業部のキックオフが行われたので、入社式、内定者研修が終わった後、お台場にあるイベントスペースに、私たち新人は移動した。到着した瞬間から、そのバブル臭のする雰囲気に圧倒された。会場も立派だったし、立食パーティーで美味しいものが食べ放題、飲み放題。社員たちは、いちいち良い服を着ていると感じた。女性社員たちは、化粧が派手目で喫煙者が多いと感じた。
 人が登場するたびに「イエイ」という声で大騒ぎになり、営業マン対抗のゲーム大会などが壇上で繰り広げられた。90年代後半で、パワーポイントなどが世にまだ普及する前だったろうが、それらを駆使した画像がパーティーを盛り上げていた。バニーガールまでいた。しかも、なんと普通の現役女性社員がそのコスプレをしており、驚いた。最後は事業部全体での掛け声だった。
 新橋に移動し、今度はマネジャー以上の人たちと、異動者・新人による二次会が開催された。密集した部屋での激しい飲みだった。異動者・新人が紹介されるたびに、「イエイ」という雄叫びが上がり、一気飲みの繰り返しだった。なぜに、ここまでハイテンションで飲まなければならないのか。新入社員で20代前半の私たちよりも、10〜20歳も上の人たちなのに、浴びるように酒を飲み、騒ぎ続ける様子には、エネルギーも感じたが、疑問も感じた。学生時代にも、こんなに激しい飲みは経験したことがなかった。飲み過ぎて、ヘロヘロになってしまった。


 1990年代後半、か……
 著者は僕より少し若いくらいで、ほぼ同世代なのですが、当時はまだ「一気飲み禁止!」などいう社会通念もできあがってはおらず、学生も「激しい飲み会」をしていたのです。
 にもかかわらず、学生時代にも経験したことがないような、激しい飲みを、繰り広げる大人たち……
 リクルートというのは、良くいえばエネルギッシュで、悪くいえば「学生サークルの延長にあるような」雰囲気だったのが伝わってきます。
 新入社員の勧誘も、学生サークルの勧誘みたいですしね。
 こういう「ノリ」は、入社式の日だけではなく、「リクルートでは、日常的にモチベーションが上がる場面があった」そうです。
 こういうのが好きな人にはたまらないだろうけど、僕にはちょっと、無理だなあ……と思いながら読みました。


 著者が実際に体験した、「リクルート伝説」を読んでいると、「ああ、日本が元気な時代だったんだなあ……」と、ちょっと懐かしく思うのと同時に、そういったポジティブな熱病みたいなものが、時期的にも、オウム真理教事件などとも重なっているということについても考えさせられます。


 リクルートとオウムというのは、ある意味「当時の、バブル晩年の日本の満たされない若者の行き先の両極」みたいなものだったのかもしれません。
 
 
 この本を読んでいると、日本社会に与えたリクルートという会社の影響についても、考えさせられます。
 僕もいま普通に使っている「朝一」という言葉が、「リクルート用語」だったとは。
 その他にも、社内でのモチベーションを上げるためのさまざまな方策などは、ひとつ間違えれば、ブラック企業なのでは……というようなものもあります。
 著者も「いわゆるブラック企業のなかには、リクルートのやり方を参考にしているところもある」と述べています。
 

 また、リクルートが実際に行っている事業についての分析もなされていて、「リクナビはなぜ批判されるのか?」という項は、就職活動に縁がなく、今の就職情勢の知識もほとんどない僕にも、わかりやすく書かれていました。
 就職ナビによって、学生の就職活動は「便利」になったと思われています。
 その一方で、いくつかの弊害も生じてきているのです。

 同じフォーマットで同じような情報が並んでいる。最近では、学生はスマホなどで閲覧する。彼らはこのツールに慣れているが、一方で情報の理解が浅くなることが心配されている。
 一括エントリーなどの仕組みにより、明らかに志望度や理解度が低い学生が集まることも構造的な課題である。
 そもそも、閲覧やエントリー自体が簡単にできてしまうこと自体が、学生を甘やかしていないかという批判の声もある。
 結果として、たくさんの応募が集まるものの、求める人材と出会えない状態になってしまった。このようにたくさんの応募の中から選ぼうとする行為が「母集団神話」と呼ばれるものだ。分母を増やすよりも分子の命中率を上げることが現在の日本の採用の課題である。これにリクナビは応えきれていない。いや、その問題をつくり出した元凶とも言える。

 これは難しい問題で、「閲覧やエントリーが簡単にできること」が悪いのか?とも思うのですよね。
 就活を行う側からすれば、ひとつでも多く、可能性がありそうなところにエントリーしておきたい、という気持ちはあるでしょうし。
 しかしながら、それによって、あまりその会社を積極的に志望していない人もエントリーしてくるために応募者が膨大になってしまい、採用におけるマッチングが難しくなってしまう、という面もあるのです。
 また、リクナビは「紹介文機能」という、エントリー者に、第三者からの「推薦文」をつけられる機能によって、多くの批判を集めることにもなりました。
 たしかに、これからは「応募者数よりも、マッチングの精度」が求められる時代になるのでしょうね。
 

 そして、現在の上場企業となったリクルートは、昔ほど「やんちゃ」ではないし、そんなふるまいを見せることもできなくなっている、と著者は指摘しているのです。
 そういう実態を知っている(あるいは、リクルートには、ほんの少し関わっていただけ)にもかかわらず、「リクルートに関わっていたことをアピールし、経歴ロンダリングを行っているOB」への失望もこめて。
 

 リクルートOBとしての著者の思い入れと「熱さ」が伝わってくるのだけれど、それが露わであればあるほど、リクルートに特別な思い入れがない僕としては、引いてしまうのも事実です。
 読みながら、著者は「『世間の人々は、リクルートに幻想を抱いている』という幻想」に取り憑かれてしまっているのではないか?という気がしてくるところもありました。
 僕自身が、とくに就職活動を経験しないまま、出身大学の医局に所属してしまったから、なのかもしれないけれども。
 

 それでも、いまだからこそ、「リクルートという会社の功罪」について、あらためて考えてみるというのは、たしかに興味深いことだよなあ、とは思うんですよね。
 それは、「バブルの時代を侮蔑しているようにみせかけて、実は、あの頃はよかった、と美化してしまいがちな人々(僕もそうかもしれない)」への、「本当に、あの頃は良い時代でしたか?」という問いかけでもあるのです。

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