琥珀色の戯言

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【読書感想】佐治敬三と開高健 最強のふたり ☆☆☆☆☆


佐治敬三と開高健 最強のふたり

佐治敬三と開高健 最強のふたり

内容(「BOOK」データベースより)
ひとりは勝算なき「ビール事業」に挑み、もう一人はベトナム戦争の最前線に身を投じる。生産量世界一のウイスキーをつくったサントリー佐治と無頼派作家開高の不思議な友情がかなえた、巨大な夢。


 開高健さんがサントリー(就職当時は『寿屋』の宣伝部で働いており、山口瞳さんや柳原良平さんらとともに、数々の伝説的な広告をつくってきたことは僕も知っていました。

「人間」らしく
やりたいナ


トリスを飲んで
「人間」らしく
やりたいナ


「人間」なんだからナ


 開高健さんとサントリーの二代目、佐治敬三社長と、社長と社員という立場をこえた、ここまで深い交流があったんですね。
 

 そんな二人の関係について、佐治は次のように述べている。
「弟じゃあない。弟といってしまうとよそよそしい。それ以上に骨肉に近い、感じです」(「佐治敬三開高健へのレクイエム』弟よりもっと骨肉に近く非凡だった彼」『週刊朝日』平成元年12月29日号)


 佐治敬三さんは、1919年生まれ、開高健さんは、1930年の生まれです。
 まだ若かったお兄さんの急死にともなって、父親の会社をつぎ、ウイスキーを日本に定着させ、「無謀」といわれた「ビール戦争」に挑み続けた佐治さんと、自らベトナムの戦地に赴くことを志願し、文字どおり「死地をくぐった」開高さん。
 開高さんに対する僕のイメージは、このベトナム行きや、後の「大物釣り」などから、「快活で豪快な人」だったのです。
 でも、この本を読むと、開高さんの違った一面がみえてくるのです。

 開高が芥川賞を取ったのは昭和33年(1958)1月のことだったが、その4ヵ月後、寿屋を退職した彼を、敬三は給料5万円(当時の小学校教員の初任給は8000円)で週二回勤務の嘱託にしてくれた。生活の安定と書くための時間を確保したい開高にとって、願ってもない破格の厚遇である。
 こうした温かい配慮もあって、敬三との関係は正社員時代よりもさらに濃厚なものとなっていったが、一方で彼は敬三の期待にそうことができず、その遅筆ぶりに拍車がかかるばかりであった。
 開高は夜型人間だ。会食などがない場合、午後7時前後に夕食をとり、そのあとすぐに寝床にもぐりこむ。そして夜の11時前後にもぞもぞはい出てきて机に向かうのだ。
 ちびちびウイスキーをすすりながら白い原稿用紙を眺め、本を読んだり、ライターに油をさしたりするうち無情にも時間は過ぎ、そのまま朝を迎えてしまうこともしばしばだ。締め切りぎりぎりまで助走が必要だという性癖はその後も直らなかった。
 字は几帳面そのもの。一字一字切り離して原稿用紙のマス目に鋳こむように書いていく。原稿用紙の最後の一字でも書き損じると、破って捨てて新しい紙に清書し直す。<一種の病気に近い>(開高健『夜と陽炎』潔癖さであった。
 彼の書き損じや書き込み入りの原稿を見た人は少ない。それが何ゆえであるか、開高を文学の世界に引き入れた親友の谷沢永一だけは見破っていた。
<それは、人なみはずれた羞恥心のゆえであった。事柄の次元と大小とを問わず、彼は内幕を知られたくなかったのである。知られることを怖れたのである>(谷沢永一『回想 開高健』)。


 そんな羞恥心の強い男は、他人に対しては、しばしば「豪傑」としてふるまおうとしていたのです。
 そして、戦時下のベトナムに従軍し、「真実」を見ようとした。
 ところが、彼を待っていたのは、200人の大隊のうち、生き残ったのがわずか17人という「本物の戦場」でした。
 そこでの体験が、開高健の傑作『輝ける闇』となったのです。
 この本のなかには、三島由紀夫さんが、この『輝ける闇』を「想像力で描いたのなら偉いが、現地に行って取材してから書くのでは、たいしたことではない」というようなことを語った、というエピソードも紹介されているのですけど。


 著者は、「開高健は、イデオロギー云々ではなくて、すべて自分の頭で考えて、自分で感知したことを書いていた」という菊谷匡祐さんの言葉も紹介しています。
 開高さんは、ものすごく誠実に、「自分の目で見て、耳で聞いたことを描いた」だけだったのかもしれないけれど、ベトナム戦争当時の文壇や社会情勢のなかでは、イデオロギーの争いに巻き込まれずにはいられませんでした。


 佐治敬三という人は、商品を売るための「宣伝」をとても大事にした人でした。
 ただ、開高健さんとの付き合いは、その「能力」を買っていた、というよりは、「人間として好きだった」としか言いようがないものだったようです。
 

 「オーナ―企業」「一族による世襲」というのは批判されがちです。
 僕も正直なところ、あまり良い印象は持てないのですが、佐治敬三さんはそのプラス面を活かすことをずっと考えていたのです。

 一流企業は上場するものだという風潮にも反対だった。株主から短期間でのリターンばかり求められれば、ビール事業のような大胆な挑戦はできなくなる。その点、サントリーがオーナ―企業であることは、長期的視野に立って経営を行える点から大きな強みだと考えていた。
「オーナ―経営者がもっとも自由な判断をしていると思う。自由企業体制を実行しているのはオーナ―経営者ですよ」「親の七光はプラス要因。それを生かせる男が世襲するなら悪いことではない。世襲でなければいけないといった社会は困りますがね」(昭和52年10月15日付毎日新聞「ひと」欄)
 という言葉の、いかに自信に満ちていることか。


 雇われ経営者であれば、株主の利益のために、長期的な利益のための投資よりも、会社の資産を食いつぶしてでも、短期的な黒字出すことを優先してしまいがちになります。
 オーナー経営者には、たしかに、「強み」があるのです。
 もちろんそれは、二代目、三代目の「ひと」次第なのですが。

 昭和54年(1979)、『週刊朝日』の特集「南北アメリカ大陸縦断」の企画が持ち上がった。
 アラスカからチリ、アルゼンチンの南の端まで、釣り竿をかついでの冒険旅行をやろうというのだ。8か月に及ぶ大旅行になる予定だった。構想は雄大だが金もかかる。できればほかにもスポンサーを募りたい。
 そこで開高は敬三に相談した。敬三はその場で快諾し、その代わり、
サントリーウイスキーのCMを三本ほどとってきてんか!」
「お安いご用でんがな」
 商談成立である。このときのCMは好評を博し、続編をニューヨークで撮影するというおまけまでついた。摩天楼をバックにハドソン川に釣り糸を垂れる。150センチの大ブラックバスを豪快に釣り上げ、(サントリー)オールドで祝杯をあげる映像が撮れた。摩天楼とブラックバスコントラストが面白い。このコマーシャルはこの年の広告電通賞、フジサンケイグループ広告大賞を受賞した。
 授賞式で開高は、ご機嫌で敬三にこう話した。
「どうです佐治はん、私とあんたが組んだ仕事はことごとく大成功でっせ!」
洋酒天国』から続いている二人の運はまだ尽きていない。開高を大事にしているとまだまだいいことがあると、彼は言いたかったのだ。稚気愛すべしである。


 太平洋戦争後、日本の「高度成長期」を、ときに押し流されそうになりながらも、自分のスタイルで泳ぎ抜いた二人の男。
 この開高さんの得意満面な姿は、あまりにも正直で、読んでいて微笑ましくなってしまいます。
 こういう瞬間があれば、人間、生きてきてよかった、と思えるだろうな、と。


 実は、この本を読んでいて、いちばん僕の印象に残ったのは、ふたりの友情ではなくて、開高健さんと深い関係にあった女性たちが、軒並み、幸福とはいえない亡くなりかたをしていること、だったんですよね。
 それは、開高さんのせいではない……とも言えない。
 作家が不幸を読んでしまうのか、幸福に安住できない人が、作家のまわりに集ってしまうのか……
 歴史に残る作品というのは、生贄を求めるのだろうか、などと考え込んでしまいました。


 いやほんと、全体的には、ふたりのバイタリティが伝わってくる、すごく元気が出る本、なんですけどね。



輝ける闇 (新潮文庫)

輝ける闇 (新潮文庫)

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