- 作者: 瀬木比呂志
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/01/16
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 瀬木比呂志
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内容(「BOOK」データベースより)
裁判の「表裏」を知り抜いた元エリート裁判官による前代未聞の判例解説。冤罪連発の刑事訴訟、人権無視の国策捜査、政治家や権力におもねる名誉毀損訴訟、すべては予定調和の原発訴訟、住民や国民の権利など一顧だにしない住民訴訟、嗚呼!日本の裁判所はかくも凄まじく劣化していた…。ベストセラー『絶望の裁判所』の著者が、中世並みの「ニッポンの裁判」の真相と深層を徹底的に暴く衝撃作!
同著者の『絶望の裁判所』、昔、弁護士に憧れていた僕は、興味深く読みました。
ああ、日本の司法は、ここまで問題が山積みになっていて、しかもそれが「閉鎖された世界のなかのこと」として、世の中に知られていなかったのか……と。
この『ニッポンの裁判』は、その『絶望の裁判所』の続編的な内容になっています。
読む人に注意していただきたいのは、この新書は『絶望の裁判所』を既に読んでいる人を対象にして書かれている、ということで、文中に『絶望の裁判所』の○○ページを参照、というような記述がけっこう頻繁に出てきます。
前著から読んでほしい、読んでおくべきだ、という著者の気持ちはわかりますし、それこそ論文であれば、参考文献を明示しておけば、その内容を繰り返さないのは一般的なことなのですが、率直なところ、新書としては、ちょっと不親切なのではないか、とは思います。
オビに、「前著を先に(あるいは一緒に)読んでください」と書かれてもいませんし。
せっかく、日本の司法の問題点を、一般の人にも伝わるように書こうとしている新書なのだから、そのあたりは、もう少し「普通の読者」に歩み寄ってほしかったな、と。
この新書を読んで、いちばん驚いたのは、『恵庭OL殺人事件』の裁判のことでした。
全体として、この裁判の証拠評価は本当にほしいままで、呆然とせざるをえない。
「片手でどんぶりも持てない小柄で非力な女性が、被害者に怪しまれることなく車の運転席から後部座席にいつの間にか移動し、自分より体格、体力のまさった被害者を、後方から、ヘッドレスト等に妨げられることもなく、やすやすと、また、一切の痕跡を残さず絞殺し、自分より重い死体を間髪を容れずに抱えて車両外に下ろし、きわめて短時間のうちに、そしてわずか10Lの灯油で、内臓が炭化するまで焼き尽くし、さらに街路灯もない凍結した夜道を時速100kmで走ってアリバイ作りをした」
もしも、シナリオライターがこんなシナリオを書いて映画会社に提出したら、こう言われるのではないだろうか?
「あなた、こんな設定、成り立ちっこないでしょう? いくら何でも、御都合主義がすぎますよ」
著者は、この事件の担当弁護士が書いた本なども参考にしているので、鵜呑みにできないところもあるのですが(ただ、著者がこの被告に肩入れしなければならない理由もないわけで)、この事件についての記述を読んでの僕の率直な感想は「少なくとも、これで有罪にするのは、根拠が乏しすぎるし、大いに疑問」だったのです。
僕もさまざまな冤罪事件について見聞きしていたのですが、実感として、「昔(太平洋戦争後〜戦後の混乱期くらいまで)の日本の警察・司法は、本当にひどかったなあ」というのはあるんですよ。
そして、「でも、いまは科学捜査も進歩したし、昔みたいな酷い冤罪はなくなったんだよな。痴漢冤罪のような問題は解決していないけれど」と。
この『恵庭OL殺人事件』って、いつ起こったと思いますか?
これ、2000年3月に起こった事件で、再審請求が棄却されたのは、2014年の6月なんですね。
被告は懲役16年が確定し、現在服役中です。
この新書を読んでいると、戦後の混乱期どころか、21世紀になっても、こんな判決が行われているのです。
そして、僕の不勉強はあるとしても、こういう事件への疑問が、社会問題として大きく報道されることも、ありませんでした。
その一方で、社会は「厳罰化」の方向へ進んでいるようです。
僕はずっと「死刑存置派」であり、「生きて償うことなんてできない罪もある」と考えてきました。
「冤罪で死刑が行われる可能性」なんていうのは、大昔ならともかく、いま死刑判決が出る被告は、「実際に犯罪をおかしたことが明白な人」ばかりだろう、と。
でも、こういう捜査や裁判が、21世紀になっても行われているという事実を目のあたりにすると、「冤罪による死刑」も起こりうるのではないか、と不安になってきます。
また、司法の「独立性」が失われ、あまりにも政治や権力に対して「ものわかりがよすぎる裁判所」になってしまっていることにも、著者は疑義を呈しているのです。
この新書を読むと、今の世の中では、専門性が高く、内部のことが外からはわかりにくいだけに、ヘタなお役所よりも、裁判所のほうが「より官僚的」であることも伝わってきます。
「原発運転差し止め訴訟」について。
さらに、数ある棄却判決の中には、〓然とするような言葉を含むものがある。仙台高裁1990年(平成2年)3月20日(石川良雄裁判長)である。
この判決の締めくくりの文章は、「我が国は原子爆弾を落とされた唯一の国であるから、我が国民が、原子力と聞けば、猛烈な拒否反応を起こすのはもっともである。しかし、反対ばかりしないで落ち着いて考える必要がある」と始まり、「結局のところ、原発をやめるわけにはいかないであろうから、研究を重ねて安全性を高めて原発を推進するほかないであろう」と終わっている。
この文章は、司法の機能を完全に放棄し、原告らと国民を愚弄するものであろう。「初めに結論ありき」の姿勢を臆面もなく打ち出し、物わかりの悪い子どもにお灸を据えるような説教を、人々に向かって垂れているのである。他者の不在、共感と想像力の欠如、人格的な未熟さ、知的怠慢といった日本の裁判官の病理を象徴する説示というほかない。
この新書を読んでいると、こういう「まず結論ありき」で、まともに審理していないのではないか、と思われるような判決が、少なからず出されていることに驚かされます。
世の中を正したり、困っている人を救済するための独立した存在ではなく、強者や既得権者の顔色をうかがったり、いちおう「聞いてあげるふり」をするためだけの裁判所。
すべての裁判官が、こういう人ばかりではないと思います。
でも、「こういう人じゃないと、出世できない世界」になってしまっていることは、事実なようです。
あと、「裁判官の『和解』のテクニック」なんて話も、なかなか興味深いものがありました。
民事の係争にすべて裁判をしていたら時間がいくらあっても足りないし、本人たちにとってもデメリットが大きいので、「和解」が勧められる場合が多いのですが、それも、裁判官によって、さまざまなやり方があるんですね。
双方に「このままではあなたの負けですよ」と脅かして和解させ、後で担当弁護士どうしがそのことを知って激怒した、なんていうエピソードや、とにかく粘り強く話を聞いて、なんとなく「和解」に持ち込んでしまう裁判官の話も出てきます。
なお、ほかに、昔は、「盆、正月型」とでも名付けたくなるようなユニークな和解を行う裁判官もいた。当事者本人と庶民目線で種々語り合い、雑談までまじえ、最後に、「まあ、もうそのうちお盆もくることだしさ、あなたも、いつまでもこうして争っているよりも、このあたりで気持ちよく和解してさ、すがすがしい気持ちで御先祖様の霊をお迎えしましょうよ」などともちかけるのである。
「何を言っているのか、ばかばかしい」と思って聞いていると、驚くべきことに、本当にそれで和解が成立してしまうのであった。なぜ第三者の私が聞いているのかというと、昔は、庁舎が狭くて和解室が足りないため、複数の裁判官が執務する裁判官室のソファで和解をすることがかなり多かったからである。なお、今でも、庁舎が古い裁判所ではやっている。
したがって、このタイプの裁判官の和解率は、盆と正月の前になると一気に跳ね上がる。しかし、さすがに近年は、このような「戦略」は通用しなくなったようである。
まあ、なんとなく微笑ましい話でもあり、著者も「これはこれで日本的なひとつのやり方なのかもしれない」と苦笑しているのですが。
ちなみに、日本では、「民事訴訟利用者の満足度は2割程度」だそうで、勝ち負けがあるので、5割以上は難しいとしても、「勝っても不満が残るシステム」であることは間違いなさそうです。
実際のところ、「裁判所が、裁判官が腐敗しているからといって、一般国民にはどうしようもない」ところが多く、法律に関しては、専門家の独壇場になってしまっているのですよね。
前述したような「推定有罪判決」がまかり通ってしまうのも、取材しているメディアの人たちも、法律や裁判の専門家ではなく、大部分は、放送関係者にいろいろ教えてもらって、それを鵜呑みにして垂れ流すしかないという現実があるからです。
著者は、こう述べています。
おそらく、三権に財界を加えた四つの権力のうちで最も変えてゆきやすいのは、司法である。司法は、前記のとおり、客観的な批判にはきわめて弱い組織だからだ。また、前記のとおり、司法は、たった一つの裁判で日本という国家、社会のあり方に大きな影響を与えうる潜在的な力を秘めたセクションであることも考えるべきだろう。
ちょっと前に、韓国の「ナッツリターン事件」で、被告人に「懲役1年」の判決が出されました。
その判決について、日本の司法関係の有識者は「国民感情に配慮するあまり、量刑が重くなりすぎている」と憂慮していたんですよね。
僕も、あれはたいへんバカバカしい事件ではあるけれど、「実刑」は重すぎるのではないか、あまりに国民感情に影響されすぎる韓国の裁判所って怖いな、と感じたのです。
でも、これを読みながら、考え込んでしまいました。
日本の裁判所って、あまりにも「国民感情」とかけ離れていて、「権力者感情」に寄り添っており、それを国民も諦めの境地で眺めているだけなのではないか、と。
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