琥珀色の戯言

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【読書感想】ふしぎな君が代 ☆☆☆☆


ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)


Kindle版もあります。

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

ふしぎな君が代 (幻冬舎新書)

内容(「BOOK」データベースより)
君が代」は議論の絶えない歌である。明治早々、英国王子の来日で急遽、国歌が必要になる。しかし、時間がないため、『古今和歌集』の読み人しらずの短歌に鹿児島で愛唱されていた「蓬莱山」の節をつけて間に合わせたのが「君が代」の誕生だといわれる。以降、1999年に「国旗国歌法」で法的に国歌と認められるまで、ライバルが現れたり、戦時下には「暗すぎる」、戦後には「民主国家にふさわしくない」と批判されたり波乱が続く。最近では、教育現場での「君が代」斉唱が再び問題視される。日本人にとって「君が代」とは何なのか?気鋭の若手研究者がその歴史をスリリングに繙く。


 「君が代」か……
 1970年代前半生まれの僕が小学校・中学校に通っていた頃には、まだ日教組の力が強かったのか、学校では「君が代」に対して、否定的な雰囲気ではあったんですよね。
 人前で、ラジオ体操をしゃかりきになってやる、とか、国家を大声で歌う、なんていうのは、思春期の羞恥心まみれの時期には抵抗もありましたし。
 「君」って、天皇陛下のことだろ、なんか前時代的な歌詞だよなあ、とか、アメリカの『星条旗よ永遠なれ』なんかに比べると、なんか辛気くさい曲だよなあ、とか。
 僕のまわりの同世代の子どもたちも、同じようなことを言っていた記憶があります。


 それが、いまやサッカー日本代表の選手たちが、「国家斉唱のときに、『君が代』を口をあけて歌っていなかった」みたいなチェックが入り、その選手がネットで炎上してしまう時代です。

 ちなみに、2004(平成16)年10月28日には、東京都教育委員の米長邦雄園遊会の席上で今上天皇に対し「日本中の学校で国旗を掲げ、国家を斉唱させることが私の仕事」と話しかけ、かえって天皇から「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と返されたとも報じられた。当時は石原慎太郎が都知事だった時代だが、東京都教育委員会が「君が代」斉唱の完全実施に――「君」である天皇の意向に背くほどに――かなり意欲的だったことがわかる。
 このように「君が代」の法制化は、たとえそれ自体は何の義務を課していなくても、「君が代」推進派の主張を側面支援した面があることがあることは否めないと思われる。


 この話を読むと、いったい誰が、何のために「君が代」を義務化しようとしているのだろうか、とは思うんですけどね。
 ちなみに『君が代』の「君」については、1950年に第三次吉田茂内閣の文部大臣に就任した天野貞祐さんが、こんな「解釈」をしています。

 つまり天野の解釈はこうである。「君が代」が天皇讃歌であることは否定しない。ただし、「日本国憲法」の第一条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とされている。これを踏まえれば、「君が代」は、天皇というシンボルを讃えることを通じて、日本国や日本国民をも讃える歌と解釈できる。従って、主権在民の原則と「君が代」は矛盾しない。

 まあ、ちょっと回りくどいとは思うのですけど。
 この本を読んでいくと、『君が代』のほかにも「国歌候補」はたくさんあったようなのですが、結果的に『君が代』を凌駕するものは生まれなかった、ということのようです。


 この新書のなかで、著者は、『君が代』の誕生から、国歌として認知されるまで、そして、太平洋戦争の時代から戦後の「国旗・国歌問題」までを辿っています。
 読んでいて驚いたのは、『君が代』のルーツが、はっきりわからない、ということでした。
 国歌って、明治の近代日本が成立したときに、みんなで議論するなり募集するなりして決められ、そのプロセスの記録がはっきり残っていると思っていたのに。
 その時代から150年くらいしか経過していないにもかかわらず、もう、「本当のところ」はわからなくなっている。
 歴史を伝えるというのは、実に難しい。


 著者は、フランスの国歌『ラ・マルセイエーズ』や、アメリカの『星条旗』と比較して、『君が代』の歌詞が「変わっている」ことを指摘しています。
 『ラ・マルセイエーズ』の歌詞は「武器を取れ市民よ、隊伍を組め、進もう、進もう! 敵の汚れた血で、われらの畑を耕すまで!」という調子の、かなり殺伐としたものなのだそうです。

 それに対して「君が代」は、千年以上前の古歌にさかのぼる。国歌の歌詞としては世界最古。もちろん、ナショナリズムイデオロギーの影響はない。また、平仮名でわずか三十二文字の歌詞は、世界最短の国歌のひとつとしても異彩を放っている。


 君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで


君が代」に対して複雑な思いを持っている人たちも、この歌詞のユニークさについてはほとんど異論がないと思う。
 では、一体誰がこの世にも珍しい歌詞を敢えて「国歌」に選んだのだろうか。なぜ諸外国のように新しい歌詞を用意しなかったのだろうか。そこにはどのような意図があったのだろうか。
 実はこれらの問いに応えるのは意外なほど難しい。おそらく多くの日本人が答えに窮するに違いない。


 僕もその「答えに窮する日本人」のひとりなので、この本に書かれている『君が代』の歴史は、大変興味深く読みました。
 日本にはもともと「国歌」がなく、外交儀礼上、急場凌ぎで選ばれたのが、当時からよく知られていた古歌の『君が代』でした。
 最初に西洋の音楽家が作曲したものから、日本人にとって歌いやすく、聴きやすいものにアレンジされていったのです。
 そして、昔から「辛気くさい」「国歌としては短い」などの批判にさらされながらも、生き残ってきたのです。
 なーんだ、昔の人も「なんか辛気くさいな」って、思ってたのか。
 そして、さまざまな対抗馬が現れてはみたものの、結果的には、いまの『君が代』にはかなわなかった。


 「日の丸・君が代」といえば、日本の軍国主義の象徴のようでもあり、実際に侵略を受けた国では、過去の記憶を呼び起こすものではあるのでしょう。
 ただ、この歌詞そのものには、あまり「軍国主義的」な要素はない、というか、三十二文字しかありませんしね。

 戦後の日本人の「君が代」に対する態度は、「消極的な肯定」という言葉に尽きる。
 日本人の多くは「君が代」を積極的に人前で歌ったりしないし、歌詞の意味もよく理解していない。しかし、だからといってこれを別の国歌に変えるつもりはないし、質問されれば「いい歌じゃないですか」「これが国歌でいいんじゃないですか」と答える。学校行事やスポーツの試合で、斉唱・演奏されても「まあ、こんなものか」と思って受け入れ、次の日には忘れてしまう。
君が代」に関しては、とかく絶対肯定と絶対否定という両極端の意見が目立ちがちだ。だが、日本人の多くは両者の対立を冷ややかに眺めているのではないだろうか。


 これはもう、本当にその通りだと思います。
 「君が代」に関する、さまざまなややこしい事例が、なおさら、大部分の人々を「消極的な肯定」あるいは「事なかれ主義」に向かわせているのだとしても、「こんな国歌はダメだ!」と声高に主張する人もいない。
 日教組も、1990年代に組織的な『君が代』の否定はやめたそうですし。


 この新書のなかで、1999年に文部省の初等中等教育局というところで作成された「国旗および国歌に関する関係資料」というのが紹介されています。

 まず、学校の入学式や卒業式における国歌の扱いについて見てみよう。この資料によると、英国、米国、ドイツ、イタリア、カナダでは、国歌は斉唱も演奏もされないか、学校や自治体任せであるという。フランスは入学式や卒業式自体がないので、もちろん国歌は斉唱も演奏もされない。
 例外的なのが中国と韓国で、中国では「教育部(日本の文部省に相当)の内部規定で月曜朝の斉唱が義務付けられている」、韓国では「入学式、卒業式等の学校行事において斉唱されている」という。


 世界的にみると、入学式・卒業式に国歌が斉唱・演奏されるのが当たり前、ではないんですね。
 入学式や卒業式がない、というフランスには驚かされますが、欧米の多くの国では、「国歌と学校行事を結びつける習慣はない」ようです。


 サッカー日本代表を応援している人たちの姿をみると、「国旗・国歌」に対する微妙な感情というのは、いまの若者たちには、受け継がれなかったのだな、と、ホッとするところもあるのです。
 『君が代』そのものが悪かったのではなく、それを利用した人たちに問題があった。
 「強制」されるようなものではないだろう、と思うし、ネットで炎上するからと、嫌々ながら歌われても、あんまり意味ないような気はしますけどね。

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