琥珀色の戯言

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【読書感想】洗えば使える 泥名言 ☆☆☆

洗えば使える泥名言

洗えば使える泥名言


Kindle版もあります。

内容紹介
実父はアルコール依存症。継父はギャンブル依存症で自殺。元夫もアルコール依存症。自身も地元高知の高校を退学となり、大検を経て武蔵野美術大学に進学するも、生活費稼ぎのために、在学中からミニスカパブでホステス、成人誌で漫画を描く日を過ごした。そしていまは、“整形手術の帝王”高須克弥氏と熱愛中……。
そんな波瀾万丈の半生のなかで、サイバラの人格を形作る土台となった身近な人の「金言」集です。その一部を紹介すると――。


「前科とお金、どっちが大事?」……バイトしていた白夜書房の編集長の言葉。猥褻図画を載せて何度も警察に捕まった氏は、「前科なんていくら増えてもいいじゃない。お金が儲かるんですよ」と繰り返した。
「半分も払ったのに」……雀士・小島武夫の言葉。麻雀の負け分をめったに払わない氏は、「半分も払えば返したも同じ」という考え方だった。でも、誰からも愛されたという。
「病気は作んなきゃ」……高須氏の言葉。氏が「包茎は悪いこと」という認識を世に広めることに成功し、「包茎手術の第一人者」となった経験から。


歴史上の偉人とかビジネスの成功者の名言みたいに輝かしいものではありません。どっちかというとゲスだったり、身もフタもなかったり、ワケわかんなかったりするような言葉ばっかりです。でも、サイバラの人生の糧となった“言葉の劇薬”です。


 いやほんと、読み始めて、けっこう面喰らってしまいました。
 「泥名言」って書いてあるんですが、むしろ「毒名言」という感じで、これ、西原理恵子さんが書いたものでなければ、大炎上してもおかしくないよなあ、と。

 歴史上の偉人とかビジネスの成功者の名言みたいに輝かしいものじゃありません。どっちかというとゲスだったり、身もフタもなかったり、ワケわかんなかったりするような言葉ばっかりです。でも、私にとってはいろんな意味で人生の糧になってきた名言です。
 泥つきゴボウみたいに見た目は悪いけど、洗えば使えるし、煮込めば味が出る、そういう名言もあってもいいんじゃないかと思います。人生を変えたりはしないけど、どこかで何かの役に立つかもしれません。
 私はよくサインに「やり逃げ人生」「バックレ人生」って書くんですけど、この本もやり逃げのバックレということで、薄目で読み飛ばしてください。


 こういうことを公言できるというか、言葉を字面どおりに受け止められず、半分は洒落だとみんなが笑ってくれる存在である西原さんは、いまの時代の「ガス抜き」みたいな存在かもしれませんね。
 まあでも、一度そういう、ある意味「アンタッチャブル」な人になってしまえば多少の暴言は許されて、日頃真面目な人がちょっと道を外れただけで大炎上、というのは、不公平な気もしなくはありません。
 ただ、西原さんは(北野武さんもですが)、自分自身も徹底的に「落として」娯楽のための生贄に差し出しているからこそ、受け手も「しょうがないなあ」なんて受け入れざるをえないところもあるのかな、と。

 テベガメやりに行こうやー。


 で、そういうヤンキーの中出しするバカがどんだけバカだったか、という象徴的なセリフがコレ。当時、インベーダーゲームとかが流行ったってたんだけど、ゲームセンターの看板に「TV GAME」って書いてあるのが読めなくて、ずっと「テベガメ」って言ってた。それぐらいバカだったんですよ。高校行かなくて、族やってるようなバカだったんだけど、17歳のときのデートで「おい理恵子、ローマ字て何ぞ?」って話しかけられまして……。こっちもどう教えていいかわかんなくて「外人の言葉やない?」って。
 そんなのと付き合ってた私が一番バカというか恥ずかしい話なんですけど。付き合ってるっていうが、紹介されたらイヤとは言えない。向うからしたら、ヤル要員で「俺ら付き合いよんやから、何でやらさんが」みたいな。それは怖くて断れないんですよ、子供だから。
 今、LINEのグループから抜けられないとか、あるでしょう。すごい気持ちわかるんですよ。大嫌いな友達のグループに卒業まで一緒にいるとかね。すごい意地悪されるのに、そこから抜けて行くところがない。お弁当一人で食べなきゃいけないとか、そういうのがすごい恐怖なんです、学校の中では。


 こういうのを読むと、西原さんという人は、「メディアやネットで積極的に『政治的に正しいこと』を発信しない(できない)世界の半分」を代弁している、数少ない人なのかな、と感じます。
 『ゲームセンターCX』の有野課長の「ガメオベラ」はネタですが、本当に「TV GAME」が「テベガメ」で、「ローマ字って何?」っていう世界もあるのです。
 それは、なかなか可視化できないし、じゃあどうするんだ、と言われると僕も考え込むばかりなんですが。
 ただ、そういう「生き方」をせざるをえなかった人にとっては、西原理恵子という人の言葉は、きっと、数少ない「共感できる活字」なんじゃないかな、って。

 それはね、「のりしろ」といって、数えなくてもよくってよ。


 これは『100万回生きたねこ』の佐野洋子先生の素晴らしいお言葉です。
 同じ武蔵美武蔵野美術大学)の先輩後輩ということで、先生のおうちに伺って対談させていただいたことがありました。そのとき私が「前の彼氏から次の彼氏に行くときって、ちょっと一瞬かぶりますよね」って言ったんです。そしたら、「あら理恵子ちゃん、それはね、『のりしろ』といって、数えなくてもよくってよ」と言われて、これは素晴らしい言葉をいただいたなと。だから私も、すべての後輩女性にこの言葉を贈ることにしています。
 当時、佐野先生は70歳ぐらいだったかな。もうガンが全身に転移しているような状態だったんですけど、「私たちぐらいになるとね、”やっときゃよかった話”になるのよ」っておっしゃってて。たとえば40歳ぐらいで夫との仲も悪いときに素敵な人に誘われた。「でも私、人妻だし子供もいるし」とか言って、せっかくのお誘いを断った——みたいな話をみんながして、「あのときやっときゃよかったのよね」って話になるんだって。


(中略)


 あと、『100万回生きたねこ』のことは「本当にいい猫よ。いまだに仕送りしてくれるもの」っておっしゃってました。あの絵本、百何十刷とかですからね。私もそういう猫が欲しいです。


 「のりしろ」の話はわかるとしても、「やっときゃよかった」っていうのは、ちょっと生々しくて、あんまり聞きたくないなあ、なんて思いながら読んでいたんですけどね。
 もしそうしていたら、70歳のときまでの人生も別物になっていたかもしれないし。
 
 
 名作『100万回生きたねこ』について、佐野さんが自らこんな話をされていたのには、少し驚きました。
 こういうのって、「自作を綺麗に装っておきたい」ものなんだろうな、と思っていたから。
 でも、こういうのも含めて、「生きる」ってことなのでしょうね。
 僕もそういう猫が欲しいです。