琥珀色の戯言

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【読書感想】天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
名門の天才坊やとして注目された歌舞伎界のサラブレッド、勘三郎。渋い脇役の家に重い期待を背負って生まれた三津五郎。二人の名役者は、奇しくも同学年に生まれた。生前親交の深かった劇評家が描き出す、宿命の星の下に生まれた二人の物語。


 中村勘三郎さんと坂東三津五郎さん。同学年の親友であり、ライバルでもあった二人は、歌舞伎界を背負って立つ存在と自他ともに認められていました。
 ところが、これからさらに円熟味を増すと期待されていた50代後半で、二人は相次いで世を去ってしまうのです。
 勘三郎さんが亡くなられたのは、平成24年12月、三津五郎さんは平成27年2月。
 勘三郎さんは享年57歳、三津五郎さんは59歳でした。
 いまの世の中の平均寿命から考えると、若すぎる死です。


 この新書は、二人と交流があった(でも、腰巾着だったわけではなく、演者と評者として、節度ある距離を保ち続けた)劇評家による、二人の年譜です。
 著者は、観た舞台や二人との会話を交じえながら、この「夭折してしまった天才と名人」の生涯を追っていくのです。
 僕は、二人の舞台を生で観たことがありませんし、正直、「訃報のあと、こんなに偉大な人であることがわかった」というくらい歌舞伎に疎い人間なのですが、これを読んでいると、二人の人となりと、歌舞伎役者とは、どういう人間なのか、というのが、少し理解できた気がしました。


 坂東八十助(のちの三津五郎)さん33歳のときのインタビューから。

「坂東の家は、『下手でもいいから、ちゃんとやれ』という教育でした。『お客さんにわからなくてもいいから、ちゃんとやんなさい』と、𠮟られる。それだけに、ちょっとでもお客に受けるようなことをしたら、めちゃくちゃ怒られました。
 うちの叔母が、(中村)勘九郎(のちの勘三郎)さんとぼくが踊った『三社祭』を見て、
『フジテレビとNHKが踊っている』
 うまいことを言うなと思いました。
 ええ、こんなことを言っては、差し障りがあると思いますが、中村屋がフジテレビで、ぼくがNHKです(笑い)」
 三津五郎も笑った。ふっと真面目にかえって言葉を継いだ。
「『三社祭』は、浅草の三社権現の祭礼をあてこんで、祭礼の踊屋台の山車人形に魂が入って動き出すという趣向です。(中略)いまは、もうちょっと融通が利くようにはなっていますけど、(勘九郎と初めて踊った)当時のぼくは硬かったです。でも、ぼくに求められているのは、きちっと踊ることでした。基本的にはうちはその精神です。中村屋がいちばん得意なことをぼくがやると、『もうご飯を食べさせない』ということになる(笑)。
 どちらが正しいというのではありません。同じ踊りを同じ舞台で踊っていても、家の環境もあり、自分なりの感性があり、それぞれだと思いますよ」

 
 つねに常識を打ち破って、破天荒な舞台をつくってきたイメージがある勘三郎さんと、「踊り」の伝統を丁寧に受け継いできた三津五郎さん。
 僕は、ニューヨークで平成中村座が公演した際の映像をみて驚きました。

 串田和美演出によるニューヨーク版『夏祭浪速鑑』には、幕切れに新演出があった。義父義平次を長町裏で惨殺した団七は、舞台奥へと走り去っていく。劇場奥の布が跳ね上げられるとニューヨークの空気が入り込んでくる。実に爽快だった。さらにニューヨーク市警のパトカーがサイレンを鳴らして到着する。現実と虚構が入り交じったスリリングな瞬間だった。駆け戻ってきた団七は、拳銃を構えた警官に囲まれて「フリーズ」と静止される。勘九郎がかつて観た唐十郎が得意とした演出方法で、歌舞伎はこのときアングラ演劇にもっとも接近した。伝統の墨守を正しいこととしてきた歌舞伎を、ひとりの役者が大きく揺さぶった。私は身体が震えるほどの興奮を味わっていた。


 僕は勘三郎さんが亡くなられたあとのテレビで、このクライマックスの一部を観ただけなのですが、それでも、かなりのインパクトがありました。
 こんな歌舞伎が、あっていいのか?
 中村勘三郎って、すごい人だなあ!

 
 ただ、長年の盟友であり、ライバルでもあった三津五郎さんは、勘三郎さんが亡くなられたあと、メールで著者にこう仰っています。

「彼の業績を語る時、各社こぞってコクーン歌舞伎平成中村座と持ち上げますが、彼はそんな初心者的なものではなく、歌舞伎の藝の真髄を伝えるべき本当の意味でも歌舞伎役者としての凄みを持っていた人なので、そこをもっと評価される晩年を迎えて欲しかったです。そのための苦労ならどんな苦労でも一緒にいとわない覚悟だったのに……。」


 勘三郎さんと三津五郎さんは、夭折されてしまったこともあり、現役の役者として強い印象を残して逝ってしまいました。
 でも、この本を読むと、歌舞伎役者というのは、自らが舞台に立つことだけが「仕事」なのではなくて、自分が先達から受け継いできた「藝」を、後継者たちに伝えていく、というのもまた、大きな「役目」なのです。
 そういう意味では、お二人には立派な後継者がいるけれど、まだまだ教えたい、伝えたいことはあったのだろうし、第二の仕事は「これから」でもあったんですよね。
 

 中村勘三郎さんは、2013年に上梓された『十八代 勘三郎』(小学館・2013年)のなかで、こんな話をされています。

「テントって、ここだけの話だけれど、実は案外不自由なんです。雨が降れば雨の音がする、いい場所で突然、救急車のサイレンが聞こえてきたり。でも、逆にそれが芝居の原点というような気がしてね。わずか1枚の幕で『日常』と『非日常』の世界が背中合わせ。どこかはかないっていうか、何もないところに突然現れて、終わるとなくなっちゃう。僕たちが汗水流して芝居やっていた場所で、次は犬が遊び回ってたりするんだよね。花火ってボーンッと勢いよく上がるけど、実は寂しいじゃないですか。芝居も楽しければ楽しいほど、せつないものなんだよね。この前、志村(けん)さんと話したけど、喝采の後で一人で入る風呂ぐらい寂しいものはないよって。分かります? なんとなく。役者はやっぱり孤独。誰も助けてくれない。舞台に上がっている時は、もちろん、お客さんが助けてくれる、芝居の神様が助けてくれるけど。そういう一瞬の時に、自分の命を燃やせるっていうものが、この中村座にはあるんだよね」

 僕がもう少し歌舞伎に詳しかったら……中村勘三郎さんと坂東三津五郎さんに思い入れがあったら……きっと、もっともっと面白く読めた新書なのでしょうね。
 でも、これを読んで、僕も彼らが命をかけて繋いできた歌舞伎というものを自分の目で確かめてみたくなりました。

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