琥珀色の戯言

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【読書感想】中曽根康弘 - 「大統領的首相」の軌跡 ☆☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
自主憲法制定を訴えるタカ派、主張を変える「風見鶏」、首相就任時も、田中角栄の影響下「田中曽根内閣」と批判された中曽根康弘。だが「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根は、「大統領的」手法によって国鉄などの民営化を推進、レーガン米大統領や中韓と蜜月関係を築き、サミットを通じて、日本の国際的地位を大きく上昇させる。本書は中曽根の半生を辿り、日本が敗戦から1980年代、戦後の頂点へと向かう軌跡を追う。


 中曽根康弘元総理は現在も存命で、戦後政治の「ご意見番」として活躍されています。
 中曽根さんは1918年(大正7年)の生まれで、首相になったのは1982年、64歳のときでした。
 僕はまだ小学生だったのですが、当時、久米宏さんと横山やすしさんがやっていた『TVスクランブル』という番組のなかで、中曽根政権を「曽根角心中」と揶揄していたのが記憶に残っているのです。
 当時の中曽根さんは、「キングメーカー田中角栄さんの力で首相になれて、田中派の言いなり、というイメージだったんですよね。
 なんとか首相にはなったけれど、それまでもさまざまな勢力についたり、裏切ったりで、「風見鶏」と言われていました。
 その中曽根さんは、結果的に1806日も首相の座にとどまりました。
 これは、桂太郎佐藤栄作伊藤博文吉田茂小泉純一郎の各氏に次ぐ、歴代6位の長期政権です。
 中曽根政権時代は、日本が経済的に潤っていたこともあり、今となっては「良い時代」であり、中曽根さんは「大きな功績を残した保守政治家」とみなされているようです。
 在任時は「役者あがり」なんて小馬鹿にされていたアメリカのレーガン大統領も、現在の評価は「歴史に残る名大統領」だそうですし。
 歴史的な評価って、リアルタイムでの印象とこんなに違うものなのだな、と考え込まずにいられません。
 でも、この本で、中曽根さんのやってきたことや当時の日本について考えると、中曽根さんは、確かにパフォーマンス重視のようにみえたけれど、ものすごく勉強家だったし、苦労もされてきているんですよね。
 問題となった靖国参拝についても、太平洋戦争で弟さんが戦死したり、戦時中に海軍にいて敵と交戦し、多くの仲間を失いながら九死に一生を得た、ということを考えると、公式参拝にこだわった理由も理解できるのです。
 そういう個人的な事情と、国のリーダーとしての行動は分けて考えるべきなのかもしれないけれど、人間って、自分の経験から完全に自由になることは難しいものですし。


 中曽根さんは、海軍時代に台北に赴任しているのですが、台北には内務省で二年先輩の後藤田正晴さんが陸軍にいて、中曽根さんと物資調達を競っていたそうです。

 中曽根さんは、内務省で私より二年後輩だが、入省してすぐ海軍に入ったので、内務省の勤務は戦争が終わるまでほとんどやっていない。(中略)陸海軍の会合などの際に席を同じくすることがたまにあったという程度だ。
 彼は大変なやり手で、モノが少ないときだっただけに、陸海軍の間で物資調達をめぐって絶えざる争いがあったのだが、私の方の資材課の酒匂少佐は絶えず「とてもじゃないが、あいつ(中曽根)にみんな取られてしまった」と言って嘆いていた。

 このエピソードだけでも、中曽根さんは極めて有能で、実務的な才能を持った人だったということがうかがえます。
 戦時中に「みんな取ってしまう」って、すごいよなあ。
 競っている相手も、エリート中のエリートだったはずなのに。


 政治家がトップに、日本でいえば総理大臣になれるかどうかというのは、「天運」みたいなものがあるのだなあ、と、この新書を読んでいると考えてしまうんですよね。
 1979年に、社会党が提出した大平正芳首相の不信任案が、福田派や三木派の欠席もあって可決されてしまいます(これは提出した野党にとっても予想外で「ハプニング解散」と呼ばれました)。
 このとき、中曽根さんは、「迷いに迷った末に最後の瞬間に入場し、大平派、田中派とともに反対票を投じた」そうです。

 中曽根は反対票を入れたことについて、「社会党が出した不信任案なんだから、みんなで内閣を守らなければならない。それが憲政の常道じゃないか」と主張したと振り返るが、それだけが理由ではないだろう。中曽根は迷った末に最後になって入場したのであり、40日抗争では前総裁の福田に国会で投票していた。
 田中派幹部だった後藤田正晴は、中曽根が議場に入ったことによって、数年後に田中派の支持を得て首相になれたと分析する。

 中曽根派が本会議場に入ってきたということが、後に中曽根康弘さんが内閣総理大臣になれた原因のひとつではないかと思います。あの時、外へ出ていたら、絶対になれない。経歴としておかしいということにならざるを得ませんね。(中略)あの時に入ってこなかったら、田中派は絶対応援しない。そうしたら総理になれませんでしたよ。


 中曽根は「角福戦争」のなかで、再び田中派寄りに舵を切ったのである。中曽根と逆の行動をとったのが安倍晋太郎であった。福田派の安倍は政調会長でありながら、中曽根と入れ替わるように議場を出たのである。
 大平は選挙期間中に他界し、弔い合戦となった初の衆参同時選挙で自民党は圧勝する。

 中曽根さんは首相となり、長期政権を樹立しました。
 一方の安倍晋太郎さん(安倍晋三・現首相のお父さん)は、首相となることを渇望しながら、ついに、その座に就くことはなかったのです。
 中曽根さんは「風見鶏」と揶揄されていましたが、そもそも、自民党内の最小派閥の長としては、「風を読む」しか、生き延びる方策はなかったのかもしれません。
 

 後に、田中派の支持を得て中曽根さんが首相に就く際、田中派の内部では、こんなやりとりがあったそうです。

 田中(角栄)が中曽根を担ぎかけたとき、田中派には不満があった。後藤田は官房長官には自派閥を用いるべきだと考えていたし、金丸も「中曽根ぎらい」で知られていた。そこで後藤田と金丸は、田中の真意を確かめることにした。
 後藤田、金丸が10月21日夜に目白の田中邸を訪ねると、田中はスコッチ・ウイスキーのオールド・パーを傾けながら気炎を上げていた。焼いた松茸を醤油に漬けて口に運ぶ田中に対して、後藤田は「なんであんなオンボロみこしをかつぐのか」と問いただした。
 田中が「オンボロみこしだからかつぐんだ」と答えると、金丸はそのわけを聞いた。「オンボロみこしならいつでも捨てられるじゃないか」と田中が言い放つと、金丸は噴き出した。
 かつて田中内閣の誕生に中曽根は協力しており、田中とすれば義理もある。それを田中の子分が潰すわけにはいかない。金丸らは、「親父に従うことも政治だ」と腹を決めた。
 後日、官房長官となった後藤田に金丸が、「オンボロみこしをかついだ感想を聞きたいね」と冷やかすと、後藤田は「それは言ってくれるな」と頭をかいたという。これらは金丸の回想であり、後藤田は「それは言ってくれるな」と頭をかいたという。これらは金丸の回想であり、後藤田は「オンボロみこし」を金丸の発言としている。


 後に「オンボロみこし」によって、田中元総理は、議員辞職を勧告されることになります。
 田中さんは結局、辞職しなかったのですが。


 首相就任後、中曽根さんは「メディア対策」を重視しています。
 もともと「パフォーマンス重視」という批判はあったのですが、中曽根さんはアメリカのケネディ大統領のやりかたをかなり研究していました。
 周囲に「中曽根マシーン」と呼ばれる、各界の有識者たち、それも学者や財界人だけではなく、芸能人やスポーツ選手を集め、意見を聞いていたそうです。
 

 メディアの動向はブレーンのほか、「中曽根マシーン」によって分析されていた。特に浅利(慶太・劇団四季)は深夜のテレビ番組まで見ていて、「中曽根さんは元、前総理からいじめられているときに、世論調査の国民の支持が上がっています。だから、いじめられなさい」、「あなたの場合は、こっち側から撮ったほうがいい」などと助言した。
 中曽根はテレビを重視し、二ヵ月に一度の割合で定期的に島桂次NHK理事を呼び出している。島が公邸を訪れると、中曽根は分厚い紙の束を取り出すのが常だった。おそらくは内閣調査室が作成したその文書には、NHKの全ニュースが書き起こされている。
 中曽根は気にいらないところに下線を引いており、「島君、最近のニュース番組などには、いろいろ問題があるじゃないか。政府に不利なことをやり過ぎる傾向がある」と苦言を呈した。


 これを読むと、安倍晋三首相は、中曽根さんにかなり学んでいるのではないか、という気がします。
 歴代首相もみんな、同じようなことをやっていて、それがうまくできるかどうかの違いなのかもしれませんが。


 また、中曽根さんは外交にも力を発揮しています。
 レーガン元大統領との「ロン」「ヤス」は有名ですが、アメリカだけではなく、アジアの国々、中国や韓国とも、その任期の大部分、良好な関係を築いていたのです。
 

 貿易摩擦靖国参拝をめぐる不協和音のほか、数々の問題発言もあったものの、中曽根はアメリカだけでなく、中国や韓国の指導者とも良好な関係を築いた稀有な政治家である。軍事・経済の両面でアメリカの圧力に適応しながら日米同盟を強化し、中韓とも連携を深めることで、中曽根は新冷戦下での対ソ戦略を有利に進めた。
 その背景として、日本経済が全盛期を迎えていたことはあるにせよ、ここまで体系的に世界政策を構築した日本の政治家は中曽根以外におらず、戦後外交の頂点といっても過言ではない。

「オンボロみこし」として担がれたはずの中曽根さんは、日本の首相としては珍しく、1800日以上の任期(1年の自民党総裁任期の延長含む)を全うしました。
 時代に恵まれた面はあったにせよ、日本にとって、稀有な政治家であったことは間違いなさそうです。


 著者は、さまざまな史料にあたると同時に、中曽根さん本人にも29回ものインタビューを行ない、この新書を書き上げています。
 本人の見解にとらわれすぎると、偏った見かたになるおそれもあるので、と、史料から、同時代人の証言も集め、慎重な記述を心がけたそうです。
 まだ存命の人ではありますが、この新書は、中曽根康弘という「不思議な名宰相」を後世の人が知るために比較的気軽に読める、格好のテキストだと思います。

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