琥珀色の戯言

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【読書感想】日本は本当に戦争する国になるのか? ☆☆☆☆


日本は本当に戦争する国になるのか? (SB新書)

日本は本当に戦争する国になるのか? (SB新書)


Kindle版もあります。

日本は本当に戦争する国になるのか? (SB新書)

日本は本当に戦争する国になるのか? (SB新書)

内容紹介
根拠なく不安がるのではなく、きちんと考える。そのための1冊。


安保関連法について、「正直よくわからない」「みんなが反対してるから、反対」「賛成なんだけど、理由ははっきり言えない」など、関心はあるけれど曖昧な知識ではっきり主張できずにいる人たちへ向けて。
あなたの安保法案にまつわるモヤモヤを池上さんが解説!
安保関連法可決で、これからの日本はどう変わるのか?
自衛隊の活動範囲は、具体的にどう変わるのか?
今後考えられ得る具体的なリスクは? またメリットは?
日本は本当に戦争にかかわるリスクが高まったのか?
池上さんの見方を展開します。池上さんが語る「安保関連法」の書籍は初めて。


 池上彰さんがわかりやすく解説してくれる、「安全保障関連法案」の話。
 これを読んでいると、池上さんは、日本の安全保障の見直しの必要性は認めつつも、この「安全保障関連法案」については、あまり意味がないと考えているようです。

 今回の安保関連法をめぐる議論で、一番大きな問題は、関連法に反対の人と賛成の人との間で、まったく議論が噛み合わなかったという点でしょう。賛成と反対で意見が大きく分かれましたが、それぞれの論点は少しずつ違っていました。

 「中国や北朝鮮の脅威に対抗する必要がある」という賛成派と、「そもそも、憲法違反だろう」という反対派。
 賛成派は、「日本の安全保障のための対応策」して考えれば、憲法違反ではないだろう」と考えており、それはそれで間違ってはいない。


 これらの議論に対して、池上さんは、こうまとめておられます。

 つまり、憲法違反かどうかという議論に対して、(1)安全保障のためには集団的自衛権の行使は必要である。(2)しかし憲法に照らし合わせると違憲である、(3)それならば憲法を変える必要性について議論しよう、ということならば筋が通っています。しかし、今回、政府はある時期から、「憲法9条の改正」から「憲法の解釈を変えてしまおう」に手続きを変えてしまいました。
 そもそも「集団的自衛権の行使が憲法の解釈として認められるのか、あるいは違反しているのか」という問題と「日本を取り巻く東味絵情勢が緊迫している。さあ、どうするのか」という問題は、切り離して別々に考えるべき問題です。東アジア情勢が緊迫しているのなら、憲法9条の解釈を変えましょうというのは、ちょっとおかしい。


 僕も、安全保障関連法案そのものの是非以前に「憲法の解釈を変えて、やりたいことをやってしまおう」という手続きに問題があると考えています。
 少なくとも、これまでの日本人が認識していた「憲法9条」と今回の「安全保障関連法案」は相容れないものだし、それでも集団的自衛権を行使したいのならば、憲法を改正すればいい。
 それが難しいから、ということで、「解釈を変える」という裏技を駆使したのでしょうが、そんなに大事な法案なら、なんでそんなやり方で無理矢理、通そうとしたのだろうか。
 その裏事情や、安倍総理の内心についても、池上さんはさまざまな推測をしています。


 これを読んでいて、いちばん驚いたというか、苦笑せざるをえなかったのは、安全保障関連法案が必要な状況について政府があげた具体例を、池上さんが片っ端から論破していくところでした。

 安倍首相は2014年7月1日に憲法解釈の変更を閣議決定した後、記者会見で次のように述べました。
「例えば、海外で突然紛争が発生し、そこから逃げようとする日本人を同盟国であり、能力を有する米国が救助を輸送しているとき、日本近海において攻撃を受けるかもしれない。我が国自身への攻撃ではありません。しかし、それでも日本人の命を守るため、自衛隊が米国の船を守る。それをできるようにするのが今回の閣議決定です」(原文のママ)。
 会見上で安倍首相が示したパネルには、日本人母子の絵が描かれていました。武力攻撃を受けた国(韓国)に日本人母子が取り残され、それをアメリカ軍が救出して輸送艦で連れ帰るときに、敵国(北朝鮮)から攻撃されるかもしれない。だからアメリカから要請があれば、米輸送艦を守るのは当然ではないか、という言い方でした。
 ところが、ずっと後になって中谷元・防衛相が、「邦人が乗っているか乗っていないか、これは絶対的なものではない」「判断要素の一つにすぎない」(8月26日、参院特別委)と答弁しました。日本人が一人も乗っていないアメリカの艦船を自衛隊が守ることもあると言ったのです。
 だったら安倍首相のあの会見は何だったのでしょうか。当時、私は駐日アメリカ大使館のホームページを調べてみました。ホームページのビザ関連リンクからアメリカ国務省領事局のページに飛んで、「海外で緊急事態が起きたとき、国務省には何ができて、何ができないのか」というコーナーを見たところ、Q&A方式で国務省が取り得る対応を説明していました。
 旅行や滞在で外国に行くアメリカ人は、何かあったとき、たとえば戦争に巻き込まれたり、テロに遭ったりしたときに、アメリカ政府がどこまで助けてくれるのか、気にするわけです。
 そこの説明には、こう書いてありました。
「緊急時にアメリカが救出するのは米国籍の市民を最優先する。米国籍を持たないあなたの友人や身内の人を避難させるのに、アメリカ政府がチャーターした便、もしくは非営利の輸送手段を使えるものと期待してはならない」
 助けるのは米国籍の人が優先だと言っています。さらに「軍隊を使って助けてくれますか?」という質問には、
「市民救出のために米軍が出動するというのは、ハリウッドの台本だ」
 と回答しています。
 現実問題としてそんなことはしませんよと言っている。米国籍の人に対してさえそうなのに、いくら同盟国とはいえ、外国人である日本人の母子を軍隊を使って助けるでしょうか。これはもうあり得ない設定なのです。
 確かにあのような絵を見せられると、日本人を助けてくれているのだから自衛隊が守りに行くのは当然だ、その時は武力行使もやむを得ないと思いますよね。だけど、実際にはあり得ない話です。


 池上さんは「あの絵は印象操作ではないか」とまで仰っています。
 優秀な日本の官僚たちは、あの状況が「現実的にはあり得ない」ことなど百も承知だったはず。
 にもかかわらず、ああいう感情に訴えるような状況を例にしたのは、たしかに「印象操作」ではありますよね。
 それにしても、「市民救出のために米軍が出動するというのは、ハリウッドの台本だ」と言いきるアメリカって、潔いというか、割り切っているというか。


 池上さんは「ホルムズ海峡の機雷除去」というのも、想定としては考えづらいというか、機雷を敷設したら宣戦布告みたいなものだから、まずあり得ない、と仰っています。
 「想定国」とされたイランからは、抗議されています。
 本当は「中国」を例に出したかったのだけれど、そうすると機嫌を損ねられても困るから……って、イランにとっては「迷惑」ですよね。


 具体例を並べてみると、「安全保障関連条約」って、いったい、何のために必要なのだろう?と思うんですよね。
 もともと日本には個別自衛権はある(と考えられている)し、人道的な理由で、この法律が活かされるようなシチュエーションって、なかなか思いつきません。
 むしろ、「アメリカの戦争」に巻き込まれるだけなのではないか、と心配になってくるのです。
 そもそも、紛争地帯に行くということは、戦闘に巻き込まれる可能性がある、ということですし。
 これまで、自衛隊に「戦死者」が出ていないのは、単に幸運だっただけなのかもしれません。
 実際に直接戦闘に加わらなくても、派遣された自衛官には、PTSDで苦しんでいる人や、自殺してしまった人もいるのです。

 ただ、「日本は金だけ出しておけばいい」というのも、通用しなくなってきています。
 湾岸戦争で日本が拠出したお金には、あれだけあれば、大勢の日本人が救えたんじゃないか、という気もしますが、それでも、「目に見える形で、血を流さないと認めてくれない」ところはあるんですよね。


 いずれにしても、現時点ではアメリカが「一強」の状況ですし、せっかくそれなりに仲良くしているのだから、あえて機嫌を損ねるのも得策ではない。


 『アメリカのジレンマ−実権国家はどこへゆくのか』(渡辺靖著・NHK出版)にこのような記述があります。

 まず、軍事力だが、国防予算については第2位の中国の3倍、アメリカの下位7ヶ国の総額を上回り、世界全体の国防予算の3分の1を占めている。軍事技術の優位も明らかだ。米兵は世界の4分の3以上の国々に駐留し、米軍基地が海外の約700ヶ所に存在している。
 初代大統領のワシントンはその辞任演説のなかで海外との恒久的な軍事同盟を戒めた。ヨーロッパなど旧世界のいざこざに巻き込まれることを懸念したからである。しかし、1947年には南アメリカ諸国と米州共同防衛条約(リオ協定)の締結に踏み切った。北朝鮮以外に同盟国を持たない中国とは異なり、アメリカは現在、50ヶ国以上と同盟関係を結んでいる。

 軍事力については、現在のアメリカは、まさに「圧倒的」なんですよね。
 今後、中国の軍事力も増してくると思われますが、そう簡単に追いつき、追い越せるレベルではない。
 そして、アメリカも中国との争いを望んではいない。中国だって、少なくともすぐにアメリカと、事を構えたくはない。経済的な繋がりは、すでに切っても切れないものですし。
 アメリカとしては、自分の国の若者たちばかりが血を流すことへの憤りがあるとは思うのです。
 戦力的にみれば、自衛隊がアメリカ軍に「協力」するといっても、そんなにできることはなさそうな気はします。
 もちろん、「アメリカと敵対しない」というのが、ものすごく大事なことで、そのためには「日本人が血を流す」ことが必要なのかもしれません。
 でも、ここで僕がわかったように言う「日本人」っていうのは、「自分や身内や友達じゃない日本国籍を持った人」のことです。
 実際に誰かが犠牲になれば、それは、誰かにとっての配偶者や子どもや親、友人です。


 「武力均衡による抑止」をお互いにめざしていけば、いつか、臨界点に達するのではないか、とは思う。
 とはいえ、「みんな武器を捨てましょう!」というのは、あまりにも浮世離れしすぎている。


 いま、本当に必要なのは、「憲法9条を聖域にしない覚悟」ではないか、と僕は考えています。
 それを変えるとしても、変えないとしても、もう一度、考えてみる時期が来ているのではないでしょうか。


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