琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない ☆☆☆


Kindle版もあります。

好きな本・映画・舞台・ドラマ・アイドルを語りたい人の必読書
16万部突破『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』でバズり中の著者が教える文章術!

あなたの「推し」はなんですか?
お気に入りのアニメ、本、漫画、映画。
応援しているアイドル、声優、バンド、YouTuber。
大好きな舞台、コンサート、ライブ。あるいは、スポーツや釣りなどの趣味も、推しに入るかもしれません。

本書は、アイドルと宝塚をこよなく愛する著者が、書評家として長年培ってきた文章技術を「推し語り」に役立つようにまとめた1冊です。
SNS発信・ブログ・ファンレター・友人とのおしゃべり・音声配信などの発信方法ごとに、自分だけの言葉で感想を伝える技術を教えます。

推し語りには、語彙力や文章力が必要だと思われがちですが、それは間違いです。
必要なのは、自分の感想を言葉にする「ちょっとしたコツ」だけ。
そのコツさえ知れば、あなただけの言葉で好きな作品の素晴らしさを語れるようになります。


 思えば、インターネットで書いた文章を公開できるようになり、場合によってはそれがお金になったり、多くの人に読まれたりする世の中になってから、まだ四半世紀(25年間)くらいしか経っていないんですよね。
 それ以前の時代は、多くの人に自分の文章を読んでもらうためには、小説を書いて文芸誌やミステリコンテストに応募したり、同好の士たちと同人誌を作ったり、ラジオのハガキ職人ジャンプ放送局で「有名投稿者」になったりするしかなかったのです。

 僕自身、けっこう長い間、インターネットが日本に普及しはじめた時期(20世紀の終わり)くらいから、ネットでこうして書き続けているわけですが、これまでも、多くの「文章術の本」が生まれ、かなり話題になったものもありました。
 でも、「流行りの文章術の本を読んだおかげで、文章が書けるようになり、作家や人気ブロガーになれました!」という人は、寡聞にして知らないのです。
 書き続けているのは、もともと書くのが好き、あるいはあまり苦にならない、という人が多いし、現代では書きたい人は飽和状態なので、よほど尖った文章を書けるか、その人がすでに有名か、でもなければ、新たに多数の読者を獲得するのは難しい。
 個人的には「読んでくれる人」を大募集したいくらいです。負けライターが、多すぎる!

 まあ、そんな前置きはさておき、この本、書評家の三宅香帆さんが書いておられるのですが、三宅さんの「推し」はアイドルや宝塚だそうです。
 
 「わざわざ言語化したいほど推しているものがある人」って、そんなにいるのだろうか、とも思うのです。
 大概において、人間の心が動いたときの率直な言葉って「すごい!」「やぱい!」「楽しい!」「最高!」くらいのものだし、「好き」という感情は、長い言葉にすればするほど、純粋ではなくなっていくような気がします。
 僕だって、「感想を読んでもらいたい」「この作品について、自分の蘊蓄や経験と照らし合わせて語って、できれば褒めてもらいたい」から書いているのです。
 むしろ、本当によかった!これは好きだ!というものは、言葉にしづらい。
 あら探しのほうが「言語化」しやすい。

 ずばり! 推しを語るときに、一番大切なこと。
 結論から言ってしまいますが、それは「自分だけの感情」です。


 ──自分だけの感情? 感じたままの、ありのままの感想を語るってこと?

 こんなふうに思われた人がいるかもしれませんが、それはちょっと違います。
 というのも「自分だけの感想」とは、「他人や周囲が言っていることではなく、自分オリジナルの感想を言葉にすること」なんです。


 たとえば、創作にはオリジナリティが重要だと言う人がいます。これは本当にその通りで、自分の作品と同じ作品がもうあるなら、重複して世にだす意味はほとんどないんです。だって他にありますからね。
 推しを語ることも同じです。誰かがつくった言葉や誰かが広めた感情ではなく、自分だけが感じていることを伝えるのが、なによりも大切。それを伝えることこそが、あなたが推しを語る意味になる。この世にまだない感想を生みだす意味になる。
「なんだ、自分オリジナルの感想をそのまま言葉にしたらいいの? 簡単じゃん」と思われるかもしれません。でもこれって、意外と難しいんですよ。
 なぜなら人間は、なにも考えずにいたら、世の中に既にある「ありきたりな言葉」を使ってしまう生き物だからです。


 著者は、「クリシェ」という言葉を紹介して、人はどこからか受け取ってしまった「ありきたりの感想」「みんなの意見」に影響されやすいものだ、と述べています。
 これは本当に、よくわかる。
 自分が「面白い」と思った映画でも、みんなの評価が低いと、なんだかちょっと自信がなくなり、褒めにくくなるし、逆もまた然り。
「難しすぎてよく分からん、不親切!」と切って捨てたいときも、けっこう親切な「解説」をしてくれる人がネットには大勢います。
 その一方で、そういう状況が「わからなかったら、どうせ攻略サイトを見るだろう、と作り手が想定して、難しくなりすぎてしまったテレビゲーム」とかを生み出す土壌にもなっているように思われます。

 どういうことか具体的に説明しましょう。
 たとえばあなたの推したい作品が、とある漫画だと仮定します。あなたは、その漫画の素晴らしさをみんなにどうにかして伝えたい。だからSNSにその漫画の魅力を書くことにしました。


「この漫画、泣けてやばい。すごく考えさせられた。」


 ……これじゃ、この漫画の魅力が伝わらない! でも、語彙力がないから漫画の感想なんて書けないよ〜、ああ〜〜〜……。こんなふうに、しゃがみこんでしまう人もいるのではないでしょうか。私も昔はそうでした。
 この感想の書き方、なにが悪いのかわかりますか?
 悪いのは、あなたではありません。悪いのは、


(1)「泣ける」
(2)「やばい」
(3)「考えさせられた」


 この3つの言葉です。
 実はこの3つの言葉って、「感想界のクリシェ=ありきたりな表現」なんです。

 特に「泣ける」と「考えさせられる」は、かなり要注意の言葉です。この2つの言葉を使うと、そこで思考停止になってしまいます。


 これらの言葉を使わない訓練をしていくだけでも、文章のネタは増える、と著者はおっしゃっています。
 
 こういう言葉が自分に浮かんできたときには、(どこが)泣けるのか? (何が)やばいと思ったのか? (どんなふうに)考えさせられたのか? と、少し掘り下げてみるだけでも、だいぶ「完走のオリジナリティ」は上がっていくと感じています。
 あとは、自分自身の経験と照らし合わせてみるのも「ある程度の長さの感想を書く」には有効です。


fujipon.hatenadiary.com


 この映画『サマーウォーズ』の感想とか、非難轟轟でした。


b.hatena.ne.jp

 ちなみにこの感想エントリに関しては、コメント欄が荒れまくり、コメント欄を閉じる契機になりました。ブックマークコメントは、まだ穏やかなほう。


 当時はブログというメディアそのものがまだ盛り上がっていた時代なのですが、批判されたり心無い言葉を投げつけられたりする「感想への感想」を喰らうマイナス面を考えると、現在では、よほど読まれたりとか文章で食べていきたいという事情がなければ、「やばい!」で済ませたほうが無難だし、SNSでの人間関係的にも面倒なことにはならないはずです。


 著者は、自分の言葉で自分の好きなものを語ることの大切さを繰り返し説いています。

 第1章の終盤に、私は「自分の好きなものや人を語ることは、結果的に自分を語ることでもあります」と書きました。そもそも、好きなものや素敵だなと思った人たちって、すごく大きな影響を与えてくれますよね。もちろん嫌な経験や辛い出来事も自分を形づくるものではありますが、やっぱり好きなことの影響は大きい。
 だとすると、自分を構成するうえで大きなパーセンテージを占める好きなものについて言語化することは、自分を言語化することでもあります。
 そして、なにかを好きでいる限り、その「好き」が揺らぐ日はぜったいにくる。私はそう思っているのです。


 自分の「好き」が揺らぐのが当たり前だからこそ、そのときの「好き」を言葉にして残しておくことは大切なのだ、と著者は述べています。
 読み返して、またその対象を好きになる、という目的ではない。

 誰かにけなされても、自分が変わっても、推しが変わってしまっても、自分の「好き」についての揺るぎない言語化があれば、自分の「好き」を信頼できるはずです。
 自分の「好き」を信頼できることは、自分の価値観を信頼することにつながります。だって、好きなもので自分はできあがっているのだから。
 自分の「好き」を言語化していけばいくほど、自分にとっての解像度も上がる。だからこそ、自分の「好き」の鮮度が高いうちに言語化して保存したほうがいい─そう私は考えています。


 誰かや何かを好きになることは、それを言語化することは、自分を好きになることにつながっているのかもしれません。
 少なくとも「自分はこういう人や物事を好きになる人間なんだ」ということは、たしかにわかってくるような気がします。
 実際は「わかっていたつもりなのになあ……」ということも多々あるのだとしても。


 正直、自分の「好き」を誰かに読んでもらえるか、というのは、これだけネットが一般的になった時代では、書かれている内容よりも「属人性」のほうが大きいと思うのです。
 卓球の早田ひな選手が、「知覧特攻平和会館に行ってみたい」と発言したことが話題になりましたが、ベストセラー小説を映画化した『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』の影響もあり、「行ってみたい」と思っている若者は大勢いるはずなのです。
 
 早田選手の言葉だからこそ、大きな反響があった。
 どんなに素晴らしい書評家が言葉を尽くしても、「小泉今日子さんの愛読書(『ライ麦畑でつかまえて』)」というインパクトや、柴咲コウさんの「泣きながら一気に読みました」(『世界の中心で、愛をさけぶ』)というコメントほど、世の人々に「この本を読んでみよう!」というモチベーションを高めることはできないのです。
 今の世の中では、無名の人がX(Twitter)で面白いことを書いて有名になるよりも、まず他のジャンルで有名人になってから、Xをはじめたほうが近道のような気もします。

 それでも、「自分の言葉を残していく」というのは、有名人ではないからこそ、自分自身の宝物になりうるのです。
 まわりからみれば、「黒歴史」かもしれないけれど。


fujipon.hatenablog.com
fujipon.hatenadiary.com

アクセスカウンター