琥珀色の戯言

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【読書感想】統計学が日本を救う - 少子高齢化、貧困、経済成長 ☆☆☆☆

内容(「BOOK」データベースより)
あらゆる権威やロジックを吹き飛ばし、正解を導き出す「統計学」が日本の大問題に立ち向かう!出生率アップに効果的な政策とは?1年分の寿命にかけられる医療費は?税収爆増の秘策とは?少子高齢化や貧困などの課題に対し、私たちは限られたお金と時間をどう使うべきか。統計学で、答えはすでに出ている!


統計学が最強の学問である』の著者、西内啓さんによる「統計学を駆使して、現在の日本の問題を解析してみた」新書です。
 ものすごくひらたく言ってしまうと、「社会のためにどう公的なお金を使うべきか」について、統計をもとに考えてみたら、こんな結果が出る、という内容なんですよ。
 これを読んでみると、僕が「あたりまえ」だと思っていたことが誤解だったことや、医療の現場で薄々感じていた疑問に対して、少なくとも統計上は、一定の「答え」が提示されていることがわかります。
 ただ、「進行癌の患者さんの医療費よりも、少子化対策にお金を使ったほうが、はるかにコストパフォーマンスが良い」ことはわかっていても、目の前に癌の人がいる、あるいは自分の身内が癌で苦しんでいる場合に「あなたへの積極的な治療はコストパフォーマンスが悪いから、緩和医療だけで我慢してください」ということは、やっぱり感情的になかなか受け入れがたいところはあるのではないかと。
 高齢者医療についても、「世の中の高齢者は長生きしすぎだけれど、自分の親にはなるべく長生きしてもらいたい」と思うのが人間というものではありますし。
 それでも、そうやって「感情論」から、「すべてにベストを尽くす」ことができるほど、いまの日本は豊かではないのです。
 そこで、限られたお金をどう使うべきなのか、というのは、やはり、考えるべきことなのでしょう。
 著者は「医者が目の前の患者のために、コストよりも最善の治療を優先することは職業倫理上当然のことで、それをどこまで許容できるかは社会全体の意思やコストとの綱引きの結果で決まる」と仰っています。
 「それは、弁護士が犯罪者を全力で弁護するのと同じことで、職業倫理上は、むしろ、そうであるべきなのだ」と。
 そう言ってもらえれば、医療職としては、ちょっと安心するところはあるんですよね。


 この新書では「人の命と経済」についての話が多く採りあげられています。
 人間の「健康」といえば、「病気」や「医療」とリンクされることが多いのですが、「経済で人が死ぬ」こともあるのです。

 たとえば1991年、ソビエト連邦共産党解散を受けて、ソビエト社会主義共和国連邦、つまりソ連が崩壊した。このとき、共産主義的な社会保障や雇用が急激に失われたのである。
 その状況で、経済的な混乱に陥ったロシアや東欧諸国を含む旧ソ連地域全体に何が起きたか。実に、970万人も成人男性の人口が減ったのである。さらにロシア人男性の平均寿命を見てみれば、1991年から94年までのたったの3年間で、64歳から58歳へ6歳も縮んだ。
 なぜこのような事態が起きたのか。当時の死亡診断書を紐解いてみると、25歳から39歳という、比較的、若い男性の死亡率の上昇が著しいことが分かる。死因としては「アルコール依存症」が最も多い。一説によれば、旧ソ連圏全体で約400万人がアルコール依存症で死んだと言われている。
 このほか、自殺や事故死、他殺などの外因も多かったようだ。なかでも失業者はそうでない者と比べて、6倍も死亡率が高かった。


 「社会不安」というのは、こんなにも人を殺してしまうものなのか……とこれを読むと愕然としてしまいます。

 緊縮財政を行ったギリシャにおいても同様で、2007年から09年にかけて自殺率は24%も増加している。さらに2008年から11年にかけて、乳幼児死亡率が40%も増加した。


 また、「貧困者の救済」について、歴史的な経緯を踏まえつつ、「生活保護バッシング」に警鐘を鳴らしておられます。
 産業革命を経験したイギリスの社会保障は世界に先駆けたものでしたが、さまざまな試行錯誤が行われることになりました。
 産業革命によって、羊毛の需要が高まったのですが、羊を飼うのは、それまでの農業に比べると、土地の広さに比べて人手は少なくてすみます。
 そこで、仕事にあぶれた農村の人々が、都市に出てきて浮浪者となり、徒党を組んで治安を悪化させてしまったのです。
 つまり、社会保障のスタートは、貧困者の救済とともに「治安の維持」を目的としたものだった、ということなのです。
 試行錯誤の末、イギリスでは1834年に「労役所での強制労働を除く救済は禁止」され、「救済の水準は、最下級の労働者以下」という「新救貧法」が成立しました。
(ちなみにこれは、国が手厚く賃金補償をした結果、企業がどんどん賃金を安く抑えるようになり、労働者は豊かにならず、国の負担ばかりが増してしまった、という流れを受けてのものでした)

 この決定と、「共産主義の父」であるフリードリヒ・エンゲルスは「最も明白な、プロレタリアートに対するブルジョアジーの宣戦布告」とこき下ろした。そして以降、イギリス全土におよぶ貧民・労働者の暴動という事態を招き、資本家と労働者の対立を激化させることになった。
 なお労役場への収容は在宅での救済と比べ、場所の管理・監督のための余計なコストがかかるため、約4倍も高くついたそうだ。これはずいぶんと割に合わない話である。
 ちなみに、現代の日本においても同様のことが言える。生活保護受給者1人あたりの年間支給額はおよそ180万円だが、受刑者1人あたりの収容費用は約300万円と言われる。
 つまり、貧困者を保護しなかった結果として犯罪者が増加してしまったり、刑務所のような施設に収容して強制労働させたりすれば、コストは削減されるどころか、むしろ高くつくこともあるのである。


 もちろん、貧困にあえぐ人が、みんな犯罪にはしるわけではないでしょう。
 でも、こういうのをみると「いまは生活保護を受ける必要がない自分たち」にとっても、「生活保護バッシングは、誰も幸せにしないのではないか」と思えてくるのです。
 あと、共産主義は「まちがっていた」というコンセンサスができてしまっているようですが、少なくとも歴史をみると、ああいう時代があったからこそ、労働者にとってマシな環境がつくられた、という功績は間違いなくありそうです。
 著者はさらに踏み込んで、データをもとに「幼児教育にもっとお金をかければ、もっと効率的に生活保護を受けなければならない経済状態の人を減らすことができる」という可能性も示しています。


 とにかく、今の日本は「教育」や「研究開発」にお金をかけていない。
 統計学的にみると、それが、経済成長を停滞させる要因になっているのです。
 ちなみに「単純な人口増は、経済成長と関係しないどころか、弱いながらも『阻害要因』の可能性があると示されている」そうです。
(ただし、「人口密度が減る」ことは経済成長と負の相関があります)
 1999年に経済学者のテンプルさんが発表した論文では、単純な人口増は経済成長に対して、弱い負の相関を示すことが述べられていました。その理由は「出生率が高いと人的資本の収益率(賃金)が低下し、人的資本への投資が低下するから」だそうです。
 アメリカが第二次世界大戦後、ずっと世界一の経済大国であり続けているのも「教育と研究開発のおかげ」なんですね。
 アメリカの教育も学資ローン問題などで揺らいでいることは確かですが、それでもまだ、世界をリードしていることは事実でしょう。


 実際に「統計」にしてみると、イメージほどコスト削減につながっていないことって、たくさんあるのだな、と思い知らされます。
 現在、政府は「在宅介護」や「在宅で終末期を過ごすこと」を推進していますが、それは、本当に社会にとってプラスになっているのか?

 また、病院や介護施設以外の在宅などで死亡した高齢者については、外来診療費用と訪問看護費用がそれぞれ35%を占めており、その総額として127万円となっている。2006年の診療報酬改定においても在宅での看取りを推進するように診療報酬点数が引き上げられたが、では在宅で終末期を迎えることを、もっと推奨するべきなのだろうか。
 そうした考え方に疑問を投げかける研究結果がある。
 少し古いデータになるが、東京大学の中山夕子による1995年の研究では、自宅で主に終末期を過ごして看取られた高齢者について調べたところ、がん患者を除く10症例の死亡前1年間でかかる費用は542万円と、入院死亡者や施設死亡者に比べても割高、という結果になっていた。
 先ほどの127万円という推計結果とこれほど乖離する大きな理由は、前者の研究が公的なコストのみを扱っているのに対し、後者は死亡者、あるいはその家族による自己負担についても考慮しているためだ。542万円中100万円が、医療費および介護費用に関する家族の自己負担額であり、それに加えて253万円が「介護にかかった機会費用」となる。
 機会費用とは、たとえば家族1人1時間を介護によって使ったとき「もしその介護者が労働していれば得られたはずの金額」という考え方である。この推計では控えめに「無資格のパートタイマーの自給で換算」しているが、それでも外で働いていれば253万円をもらえるだけの負担が家族にかかっていることが分かる。仮に介護をする家族が教師や看護師といった有資格者であったり、企業で高い職位についていたりすれば、この機会費用はもっと大きな額となる。
 またさらに言えば、親の介護というライフイベントは、中高年のメンタルヘルスに対して配偶者との離死別や失業、貧困状態以上の悪影響を与えるという結果も示唆されている。これは前述の小塩が、厚生労働省による中高年者縦断調査を用いて分析した結果である。ここから、施設での介護になる場合と、自宅で介護する場合で、どれほど精神的な負担が大きいか、という点についても考慮する必要が考えられるだろう。
 もし前者の研究で得られた在宅死亡者にかかる公的コスト127万円に、後者の研究から推計された253万円の機会費用を加えるとすると、合計380万円ということになる。つまり、介護施設と比べてもほぼ同様か、割高という結果になるのである。


 中山さんのデータについては、1995年と、もう20年前のものであることと、10例というのは統計として扱うには少な過ぎるのではないか、という問題点があるのですが、「コストの総量は、どちらもそう変わらない」あるいは「介護という行為に慣れている分だけ、施設のほうが効率的」な可能性はありそうです。
 もう、「親は子どもが介護するのがあたりまえ」という常識も、一度リセットしてしまったほうが良さそうな気がするのです。


 著者は、日本にとっての大きな問題となっている「少子化」についても検討しています。
「女性の社会進出が進んだことが少子化の原因である」という主張に対しては「日本よりはるかに女性の就労率が高い多くの国が、日本より高い出生率を示している」というデータを提示しているのです。
 種々の解析の結果、以下の結論になるそうです。

 つまり、政府が本気で少子化対策に取り組もう、というのであれば、やるべきことは既に明らかだ。有識者たちを集めて堂々巡りの「論」を戦わせるより、とにかくこの「子育て世帯向けの大幅な減税・給付」そして「保育サービスの拡充」を図った方がはるかに筋が良いのである。


 「子どもを生んでください」と「説得」することには何も効果はなくて、必要なのは「環境を整備すること」なんですね。
 最近の日本の政策をみると、遅まきながら、こういうデータがようやく活かされつつあるようにも感じます。


 読んでいると、これだけのことがすでに分かっているのに、なぜ実現できないのだろうなあ、なんて考えてしまうところもあるのですが、医療の話についても「社会全体の利益と個人的な都合が対立する」というのは少なくないわけで、そこで「自分のことを後回しにする」のはなかなか難しいとも感じるんですよね。
 でも、こういう「事実」を知っておくのは、「落としどころ」をさぐるためにも、すごく大事なことではないかとは思うのです。


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