琥珀色の戯言

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【読書感想】データでよみとく 外国人“依存"ニッポン ☆☆☆☆

データでよみとく 外国人“依存

データでよみとく 外国人“依存"ニッポン (光文社新書)


Kindle版もあります。

内容紹介
「日本社会は既に多民族化しているんです」――。
改正出入国管理法が2019年4月から施行され、外国人の受け入れ拡大が進む日本。
だが、現実は私たちの想像をはるかに上回る。もはや企業も自治体も、そして日本社会全体も外国人なしでは成り立たなくなっているのだ。
職場の戦力として、地域の一員として、言葉の壁やいじめ、孤独や老いに悩む一人の人間としてこの国で生きる彼ら彼女らは、既に必要不可欠な存在である。
NHKの特設サイト「外国人"依存"ニッポン」取材班がオープンデータを独自に分析し、日本社会の外国人への"依存"実態を明らかにする。


 最近は、九州の地方都市でも、コンビニや飲食チェーン店で働いている外国人が珍しくなくなりました。
 うちの近所のディスカウントストアにも、自転車で買い物に来る外国人が大勢いて、僕は「近くに日本語学校でもできたのだろうか?」と思っていたのです。
 この本を読んで、合点がいったような気がしました。
 日本では「移民の受け入れの是非」を議論している人が多いですよね。
 僕は、受け入れそのものには反対ではないけれど、島国だし、日本語はけっこう特殊だし、あえて日本に来たがる外国人労働者がそんなにいるのだろうか?と考えていたのです。


 この本で「日本の現状」を読んで、驚きました。

 そもそも「移民」とはどういう人たちなのだろうか。日本には労働者として来日した人やその家族もいる。この人たちは「移民」にあたらないのだろうか。
 実は、「移民」に正式な定義はない。
 ただ、国連では多くの専門家が移住の理由や法的な地位などに関係なく、定住国を変更した人々を移民とみなすことに同意していると考えており、このうち、3ヵ月から12ヵ月間の移動を「短期的または一時的移住」、1年以上の居住国の変更を「長期的または恒久移住」と呼んで区別するのが一般的だとしている。なお、「移民」と「難民」の2つの言葉が混同して使われることがあるが、「難民」は迫害のおそれや紛争などの理由で出身国を逃れた人たちのことで、「移民」とは明確に違う。
「移民」のはっきりとした定義がない中で、驚きとともに伝えられた数字がある。
 OECD経済協力開発機構)は毎年、世界の移民をめぐる統計や、加盟する先進国の移民政策について「国際移民アウトルック」という報告書をまとめている。
 この報告書の中ではOECDに加盟する36ヵ国とロシアへの外国人の流入人口がまとめられており、2018年版によると、2016年に日本に流入した人口は42万7600人。これが、ドイツ、アメリカ、イギリスに次ぐ4位にあたる数字となっているのだ。このデータが基になり「日本は世界第4位の移民数」、「隠れ移民大国」などとも報じられ、大きな話題を呼んだ。
 正式な定義がないため、これだけをもって日本が実態的に「移民」を受け入れている、と言うことは必ずしもできないが、「移民政策はとらない」というスタンスからはギャップがある数値のように思えるのも事実だ。


 「移民を労働者として受け入れるか」という議論よりも先に、日本に住み、働いて生活をしている外国人労働者は、こんなに増えているのです。
 もちろん、東京に外国人が多いのですが、技能実習生として農業や漁業に従事している外国人が地方に大勢いて、この本のなかには、「技能実習生がいないと、茨城の農業は成り立たない」という話も出てきます。
 技能実習生に対するひどい扱いが報道されることも少なくないのですが、貴重な働き手として、大切に扱っている企業や地域もたくさんあります。
 そして、日本と外国(とくに他の東アジアの国々)との経済格差が縮小していることに伴い、「日本を選ぶ外国人労働者」は減っていくのではないか、とも予測されています。
 日本で外国人介護士を受け入れることの是非が議論されたこともありますが、フィリピンでは日本で働くために日本語を学ぶコースが増設されたものの、希望する学生は定員をはるかに下回っているそうです。
 フィリピンでは英語が公用語であり、外国で働くのであれば、期間も限られる日本ではなく、英語が通じて資格を取れば永住も可能なカナダなどでの就労を希望する学生が多いのです。
 
 日本は、これから移民をどんどん受け入れていく、というよりは、外国の人たちにお願いして、日本で働いてもらう、という姿勢でいかないと、現状維持すら難しいかもしれません。
 

 現在、最も多くの技能実習生を日本に送り出しているベトナム。ここでも、日本で介護を担う人材を集めることが難しくなっている。
 首都ハノイにある送り出し機関の1つは、日本側のニーズの高まりに対応するため、数億円をかけて介護実習性専用の全寮制施設を整備した。日本側から寄せられている求人数は1000人。しかし、その4分の1しか実習生を集めることができていない。
 なぜベトナムでも介護人材が集まらなくなったのか。要因となっているのが、日本の介護現場で働くベトナム人たちがSNSへ投稿している体験談だ。
 そこには「日本人スタッフたちはさぼって私たちにキツい仕事を押しつけてくる」、「いつも暴言を浴びせられながら介護をするのは幸せですか」「自分たちはさぼって、仕事を押しつけてくる日本人スタッフもいる」などと厳しい労働環境、そして外国人ゆえに味わう辛い体験が赤裸々につづられていた。これが日本行きを検討している人たちの間で拡散されているのだ。
 医療系の大学を卒業し、日本で介護の仕事をしようと日本語の勉強を始めていたグエン・ティ・イエンさん(23歳)は、SNSの体験談を見て、日に日に不安が募っていったという。そして日本へ行くことはやめ、2018年7月、地元の病院に就職した。
ベトナムに残ったのは正解でした。私にはこんな仕事はできないと思います。給料は安いですが、今の仕事のほうが日本へ行くより良いです」


 給料の格差が大きい時代であれば、「仕事がつらくても日本で働きたい」という人も多かったはずです。
 今は、地元で働いても、それなりに生活していけるようになった国が増えています。

 この本には、仕事場だけではなく、外国人労働者の子どもたちも日本の学校で「いじめ」に遭っていることが記されています。
 日本では、「日本国民」に対しては「義務教育」の制度があるのですが、外国人労働者の子どもたちの教育に関しては、「義務」ではないのです。
 多くの場合、地方自治体の「善意」によって、地元の公立の学校に通ったり、外国人のためのフリースクールに通ったりしているのですが、日本語がわからずに孤立したり、いじめに遭ったりする子どもも多く、中には、学校に通っていない子どもたちもいるそうです。

 このように外国人の子どもの問題の取材をしていると、各地で学校に行っていない子どもの話をひんぱんに聞く。その事情は様々だが、そもそも国やほとんどの自治体が外国籍の「不就学」児童・生徒がどれほどいるのか把握できていない。国や自治体は「不就学」児童・生徒を把握するための調査を毎年行っているが、外国籍の子どもたちは調査の対象になっていないためだ。
 そこで私たちは、専門家と一緒に国のデータを分析し、試算してみることにした。具体的には、2018年時点で義務教育の年齢に相当する6歳から14歳までの外国人の数から、小・中学校や外国人学校などに通う外国籍の児童・生徒の数を引き、その数を推計した。すると、6歳から14歳までの外国人の子ども12万人のうち、約8400人が「不就学」のおそれがあることがわかった。
 この中には、認可されていない外国人学校に通うケースや、届けを出さないまま帰国や転居したケースも相当数あると見られる。しかし、統計などを基に私たちが出せる数字は、これが限界だった。
 2019年4月から外国人材の受け入れが広がったのに伴って、文部科学省も、ようやく重い腰を上げ、初めての全国調査を行うとしている。

 全く教育を受けていない、外国人の子どもたちが、そのまま成長していったら……彼ら自身の人生への不安だけではなく、治安を維持する、という意味でもリスクを負うことになります。
 もちろんそれは、外国人だから、というわけではなく、「今の社会では、最低限の教育を受けずに生きていくことが難しいから」なのです。

 しかしながら、日本語ができない子どもたちを受け入れるコストは、小さなものではありません。

 日本語指導を必要とする子どもが全国で最も多いのが、愛知県だ。県内の小中学校に通う外国人の子どもは約1万1000人いて、そのうちの6割、7000人は日本語がほとんどできない。
 このため愛知県では、1992年度から国の予算支援も受けながら日本語指導のための教員を小中学校に配置し、2018年度は542人いる。そして、そのための人件費は2018年度では国の負担分も含めて実に38億円余りにも上っている。制度を始めた1992年度時点と比べると約15倍に跳ね上がっているのだ。


 子どもたちだけではなく、日本で長年働いてきた外国人労働者たちの「老い」についての問題も紹介されています。
 日本で年金がもらえるわけでもなく、母国とはすっかり疎遠になってしまった外国人高齢者たちも、これから、どんどん増えていくのです。

 この本のなかで、20世紀のスイスの作家、マックス・フリッシュが残した言葉が紹介されています。

「われわれは労働力を呼んだが来たのは人間だった」


 日本は、「移民を受け入れるかどうか」ではなく、「どのように受け入れて、共生していくのか」を議論すべき時代に、すでになっているのです。


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