琥珀色の戯言

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【読書感想】仏像ロケ隊がゆく 見仏記7 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
仏像を見つめ続け、気づけば四半世紀。ひたすら仏像を求めて移動し、見る、喩える、まったく関係のない面白いことを言う。それだけの繰り返しが愛おしい、脱線多めの見仏旅。『新TV見仏記』のロケで訪れた寺では、懸命にコメントしても1匹のナナフシに見せ場を奪われたり、ひたすら昼飯の心配をしたり。行き当たりばったりの広島2人旅では、偶然の出会いが奇跡を起こす―!?ますます自由度を増す2人の珍道中!

 ※この文庫は、2015年3月に刊行された単行本『見仏記 メディアミックス篇』を改題したものです。


 『見仏記』久しぶりに読みました。
 僕は仏像が好きでこのシリーズを読んでいるというより、みうらじゅんさんといとうせいこうさんという仲良しオジサンたちが自分たちの好きなもののために一緒に旅をする様子に心地よさを感じているのです。
 ただ、「仏像に興味はなかった」はずなのに、こうして読んでいって、僕も年を重ねていくうちに、「仏像とかお寺っていうのも、なかなか良いものだな」と思うようになってきました。
 なんのかんの言っても、日本人は仏像が好きだというのは、『阿修羅展』の、あの恐るべき大混雑で思い知らされました。
「仏像が好きって言ってもいいんだ!」っていう雰囲気を生み出したこの二人の功績は、けっこう大きいのではなかろうか。
 連載当初は、訪問先のお寺でも「怪しい二人組」として邪険な扱いを受けていたのに、いまでは「まさかうちの寺にお二人が来てくださるなんて!」と大歓迎されているのを読むと、僕もちょっと嬉しくなります。
 お寺の住職さんたちも、『1』の頃と比べたら、世代交代しているのでしょうし。

 この『7』も、実際の仏像の写真は一切掲載されておらず、それを観たいのであれば、『TV見仏記』のDVDを見てね、という潔さ。
 本では、みうらさんの絵の魅力を活かすという確固たるポリシーが貫かれているのです。
 みうらさんの絵を見ると、実物はどんな感じなんだろう、と思うし、映像でその仏像をみると、みうらさんはどんな絵にしたのだろう、と気になるんですよね、このシリーズ。


 それにしても、みうらさんといとうさんは、相変わらず仲が良い。新幹線の中でもお互いの妄想をぶつけあっているし、ロケバスなかでは、みうらさんがさりげなくいとうさんに「いちばん良い席」を譲ってあげようとしているのです(その場では気づかない、いとうさん!)
 いとうさんは疲れやすくなっていて、ロケバスの中では後ろで横になっていることが多い、なんていうのを読むと、「仏友」のあいだに流れる悠久の時間を思わずにはいられなくなります。
 

 ロケバス内にメニューのコピーが配られた。昼食を時間短縮で摂るために、移動前に注文をしてしまうためだ。みうらさんと私は、その選択に迷うのがいつも好きだった。店の名前を聞いて雰囲気を予想し、となるとエビフライは冷凍だとか、親子丼なら間違いがないとかしばし世迷言を口走るのである。
 様々な論争を経て、私は『レストランはと』の名を冠した「はと定食」(目玉焼き載せのハンバーグ定食)、みうらさんは「賤ケ岳定食」(天ぷら、ショウガ焼き、そば、ご飯)と決まった。決まったあともみうらさんは私に、
「大丈夫? 変えなくていい? 俺、目玉焼きがカッチカチじゃないかと思うんだよね」
 としつこく言ってきた。あくまでも「賤ケ岳定食」を推しているのだ。
 ようやく技術班が帰ってきて、小道を行き、国道に出た。レストランの目玉焼きはちゃんと黄身がトロッとしていた。が、「ハンバーグはイシイ」(みうら判定)だった。デミグラスソースが濃厚で私はおいしくいただいた。


 『見仏』がいちばんの目的ではあるのですが、こういう昼食の話とか、旅の途中で会った人のエピソードが多くちりばめられていて、僕などはそちらのほうが楽しみでもあるのです。


 広島県福山市の安国寺を訪れた回より。

「天井、見てよ」
 みうらさんが言った。湾曲する細かい木が天井を複雑に支えていた。まさに浄土宗の阿弥陀堂と同じだったのではないかと思う。おそらく折り上げ小組み格天井、という形。
「建築、好きになりそうだよ、俺」
 みうらさんは震えるような声を出した。
まいっちんぐマチコ先生だ!」
 相当に参っていたのだろう。
 他に参拝客はいなかった。我々は好きなだけそこにいてよかった。みうらさんは知らぬ間にお堂の入り口に腰をかけ、
「これぞ、ザ・古寺」
 などと言いながら、阿弥陀三尊を見上げていた。たまにまた、参ったなあとも言った。


 「まいっちんぐマチコ先生だ!」
 『見仏記』のいちばんの功績というかすごいところって、「仏像という『お堅い』はずのものを、こういうふうに語ってもいいんだ!」と周知させたことにあるのではなかろうか。
 いや、今でも「語ってもいい」かどうかは、正直よくわからないのだけれども、みうらさんといとうさんがこんなに長くやり続けているうちに、既成事実化されてしまったんですよね。
 

 この本の「文庫版あとがき」で、いとうせいこうさんは、こう書いておられます。

 みうらさんと二人でいる時、よく「いやあ昔と違ってきたね」と感慨にふけることがある。特に第一巻の頃など、我々はしじゅう叱られたし、肝心のところを見せていただけなかったりした。そりゃそうだ。「これは怪獣的に言うと」とか「誰々に似てる」とか「金ピカだった頃を想像せよ」とか、思ったままのことを言っていたのだから。それも一方は赤い長髪で、一方は前髪を切り揃えていたのである。信用出来るはずがない。
 ところが、仏像が好きになればなるほど出かけて拝観し、次から次へと記録を出版し、博物館などで展覧会があれば必死に応援し、地方へ出かけてトークショーにいそしみ、とひたすら仏像に夢中になって少しでもお役に立とうとするうち、ありがたいことに「あいつらもそれほど悪い人間ではないかもしれない」と思っていただき、「それならばあの厨子を開いてやろう」「内陣に入れてもう少しよく見せてやろう」と各地のご住職の慈悲を賜るようになった。
 そうなると、どうしたって我々も引き返せない。もっと深くもっと遠く、と仏像求めて移動する。また見る。誉める。喩える。面白いことを言う。そしてまた見る。するとお寺もさらに扉を開いて下さる。という思いがけない循環が生まれることとなる。
 そんな中に、今回の見仏記がある。


 本当に好きなものを自分の言葉で語ることによって、世界が広がっていった貴重な歴史でもあると思うんですよ、『見仏記』って。
 それでも、ときどき、「もしかしたら、みうらさんにとっては、昼食のメニューのほうが大事なのではなかろうか……」とか思えてしまうのも、また一興なのです。


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