- 作者: 呉座勇一
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2018/03/09
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 呉座勇一
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- 発売日: 2018/03/09
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内容(「BOOK」データベースより)
本能寺の変に黒幕あり?関ヶ原は家康の陰謀?義経は陰謀の犠牲者?ベストセラー『応仁の乱』の著者が、史上有名な陰謀をたどりつつ、陰謀論の誤りを最新学説で徹底論破。さらに陰謀論の法則まで明らかにする、必読の歴史入門書!!
最初に書店でタイトルを見たときには、「日本史のなかの『陰謀』を採りあげて概説した入門書なのかな」と思ったんですよ。「陰謀論に染まりまくった、『日本はフリーメーソンに支配されていた!』みたいな内容かもしれない」とも疑っていました。
そんなの読むだけ時間のムダ!……でも、著者は中公新書の『応仁の乱』を書いた人なのか……この人も陰謀論者になってしまったのか?
読んでみると、「トンデモ陰謀論」をしたり顔で語る本ではなくて、『源頼朝と義経の仲たがい』『本能寺の変』『関ケ原の戦い』など、有名な歴史上の出来事で展開されてきた(あるいは、今も生まれつづけている)「実は、〇〇が本能寺の変の黒幕だった!」というような「陰謀論」について、史料を詳細に検討し、その矛盾を指摘していく、という「と学会」的な内容なのです。
紹介されているもののなかには、僕も信じていた「陰謀論」もあるんですよね。
著者は、「バカバカしい陰謀論の間違いを指摘するのは、学者にとっては業績にはならないので、『本能寺の変の黒幕は豊臣秀吉だった!』というような説をいちいち論破する専門家はいない」と述べておられます。中には「イエズス会が本能寺の変の首謀者だった」と主張している人もいるそうです。
まあでも、そういう話って、それはそれで面白いから、けっこうもてはやされることはあるし、歴史小説家が、史料をかなり強引に解釈して、作品に反映してしまうんですよね。
フィクションとして楽しむのは問題ないのだろうけど、「陰謀論」が、あたかも歴史的事実のように語られてしまうと、「江戸しぐさ」のような嘘の拡散や「ユダヤ陰謀論」のように、歴史的な悲劇にまでつながってしまう可能性もあるわけです。
ああ、これって、「業績にならないから、ニセ医学にいちいち言及しない医学界」と同じような構図だよなあ。
天正十年(1582)6月2日に起こった「本能寺の変」について、著者はこう述べています。
全国制覇も時間の問題であった信長と後継者信忠の死によって、日本の歴史の流れは大きく変わった。本能寺の変がなければ、豊臣秀吉の天下統一も江戸幕府の成立もなかっただろうから、日本史上最大の陰謀の一つと言えよう。
ただ問題となるのは、明智光秀の動機である。光秀は織田家中の新参者であるにもかかわらず、信長の信任を得て急速な出世を遂げ、丹波一国を領する大名にまで登り詰めた。信長に多大な恩義があるはずなのに、光秀はなぜ信長を裏切ったのか。これが巷間言われる「本能寺の変の謎」である。
この問題を難しくしているのが、手掛かりの乏しさである。周知のように、明智光秀は本能寺の変の11日後には山崎の戦いで羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に敗れ、敗走中に討たれている。光秀の重臣たちもほとんどは落命し、謀反の動機を語れる生き証人がいなくなってしまったのである。
明智光秀は織田信長を葬った後、自分に味方するように諸方に書状を送ったはずだが、これもあまり残っていない。光秀が負けてしまったので、光秀と関係のあった人々、事件の真相を知る人々は後難を恐れて口をつぐみ、証拠隠滅を図ったものと思われる。
明智光秀自身のコメントが残っていないことや関係者の大部分も決起後すぐに討たれてしまったことで、その「動機」については、謎のままになっています。
それこそ「霊言」でもなければ、本当の理由はわからないのではないだろうか。
しかしながら、「本能寺の変」は、歴史を変えた大事件であり、「なぜ、光秀はこんな無謀な賭けに出たのか?」ということに、多くの人々は興味を持ち続け、その「合理的な理由」を想像せずにはいられないのです。
その「理由」の代表である「怨恨説」は、江戸時代からみられていたそうです。
そして、光秀が信長を恨むようになった理由の代表的なもの5つが紹介されています。
(1)丹波八上城攻めの際、光秀は母を人質にして開城させたが、信長は城主の波多野兄弟を殺してしまったので母は城兵によって殺された。
(2)信長は光秀に徳川家康の饗応を命じたが、出された魚が腐っていたのに腹を立てて、光秀を罷免した。
(3)斎藤利三は稲葉一鉄のもとを去り、光秀に仕えていた。信長は利三を一鉄に返すように光秀に命じたが、光秀が従わなかったため、信長は暴力を振るった。
(4)武田氏を滅ぼした後の諏訪の陣中で、光秀が「骨を折った甲斐があった」と語っているのを聞きとがめた信長が光秀を折檻した。
(5)信長は光秀に羽柴秀吉援護のため山陰地方への出陣を命じたが、その際、丹波・近江志賀(滋賀)郡から出雲・石見への国替えを命じた。出雲・石見は未征服地であり、光秀が実力で勝ち取らねばならず、事実上の本領没収だった。
(1)(2)(5)は、僕も聞いたことがありました。
(1)や(5)なんて、そりゃ光秀も恨むよなあ、と思っていたんですよ。
ところが、著者は「これらの事件は現在では江戸時代の作り話と考えられている」と一蹴してしまうのです。
まず(1)の波多野城事件だが、この話を載せる『総見記(織田軍記)』は本能寺の変から100年以上経ってから成立した本で、史料的価値が乏しい。『信長公記』では、光秀が兵糧攻めの末に城主波多野秀治らを調略によって捕えたとなっており、光秀が母親を人質にした形跡は認められない。『信長公記』は織田信長に仕えた太田牛一が著した信長の一代記である。主君信長を美化している部分もあるが、信長の言動を直接見聞きした者が書いただけに、江戸時代の軍記物よりも遥かに信頼できる。(1)は江戸時代の創作と捉えるべきだろう。
こんな感じで、「怨恨説」の理由とされているエピソードは、みんな江戸時代以降の創作の可能性が高いことが指摘されているのです。
著者は、「これだけ怨恨話が作られたのは、江戸時代の人々にとっても、光秀が大恩ある主君信長に反旗を翻したという事実が不可解だったということだろう」と述べています。
「わからない」という状態は、人を不安にさせるのか、「わかりやすい理由」を創作してしまうこともあるのです。
「光秀の天下取りの野望説」についても、「結局のところ、確固とした証拠はない」と保留にしています。
研究が進むことによって、これまで歴史的な事実だと思い込まれていたことの多くが、後世の創作だったり、ごく一部の史料だけに基づいたものであることがわかってきているのです。
織田信長が天皇権威を超越しようとした証拠としてしばしば掲げられる自己神格化についても疑問が提出されている。信長が晩年に自己を神格化したという話はイエズス会宣教師ルイス・フロイスの書簡および『日本史』にしか見えない。日本人の記録には全く言及されていないのである。信長は一貫して伊勢神宮・石清水八幡宮・善光寺など大寺社を保護しており、自己神格化の傾向は看取されない。フロイスの書簡および『日本史』は信長の死後に書かれたものである。信長が驕り高ぶり自己神格化を図ったがゆえに全知全能の神デウスの怒りを買い非業の死を遂げた、というストーリーをフロイスがでっち上げたのだろう。
著者は、『本能寺の変』の陰謀論を次々に論破していきますが、「これが正解だ」という説を提示しているわけではありません。
これは、ものすごく誠実な態度だと思うのです。
黒幕がいたとか陰謀とか、綿密な計画があったというよりは、あのタイミングで、光秀が軍勢を擁していて、織田軍の中枢であった信長、信忠を同時に亡き者にできる機会が生まれ、自分の将来を悲観していた光秀が、衝動的に「やってしまった」可能性もありそうです。
著者は、何度もくりかえしているんですよね。
こういう陰謀を成就させるためには、準備を周到に整えて、大勢仲間を集める必要がある、と思われがちだけれど、時間がかかったり、その計画を知る人が増えれば増えるほど、秘密が漏れるリスクは高くなる、と。
「本能寺の変」が、信長暗殺まではうまくいったのは、もしかしたら、明智光秀が思いつきで行動したからなのかもしれません。
羽柴(豊臣)秀吉が本能寺の変を知ったあと、すぐに毛利と和睦して光秀を討つために畿内へ戻った「中国大返し」だって、イチかバチかの賭けだったと著者は指摘しています。
変を知った毛利勢が背後から襲い掛かってくれば、秀吉軍は挟撃されて壊滅していたかもしれないのです。
同じような状況にあった織田軍の他の諸将は、結局、まずは現地での混乱を収集することを優先していて、それはきわめて妥当な判断ではありました。
毛利軍が追撃してこなかったのも、余力がなかった、というのと同時に、せっかく強大な敵が内部分裂してくれているのだから、争わせて弱ったところに出ていっても遅くはない、という考えだったのかもしれません。
いずれにせよ、光秀も秀吉も、自分たちの戦略が100%成功するなどと思っていたわけではなく、それぞれの事情や感情に基づいて、「賭けた」のです。
後世の人間は、結果を知っているから、「勝者は明確な目標を設定しており、その目標を実現するために全てを計算しており、事前に立てた作戦通りに行動していたにちがいない!」と考えがちである。第七章で論及した徳川家康が石田三成を挑発したという説も、家康は全てを見通していたという理解を前提にしている。
しかし、当時を生きていた人は未来を知らないので、試行錯誤するのが普通である。前章で論じたように、「内府ちがいの条々」で窮地に追い込まれた徳川家康は毛利輝元との和睦を模索しており、会津征伐の目的が反家康勢力の一斉蜂起を促すことにあったとは思えない。家康が決戦しか考えていなかったという主張は、結果からの逆算でしかない。
先日、『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』という映画を観たんですよ。
僕は、第二次世界大戦の「結末」を知っていますから、大戦の序盤でここまでイギリスがナチスドイツに追い詰められていた、ということに驚いたのです。
人というのは、結果から、そのプロセスを「逆算」しやすいものなんですよね、本当に。
歴史好きにとっては「目から鱗が落ちる」ような本なので、興味持たれた方は、ぜひ手にとってみてください。
この本が100%正しいというわけでは、たぶんありません。
でも、そんなふうに「疑ってみる」ことこそ、「みんなが知らない真実」というセールストークで迫ってくる陰謀論に引きずられないために、すごく大事なことなのです。
そして、「正しく疑う」ためには、それなりの手順や検証が必要です。
そういうことが、誠実に書かれている新書だと思います。
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ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男 (角川文庫)
- 作者: アンソニー・マクカーテン,染田屋茂,井上大剛
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
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- 作者: 原田実
- 出版社/メーカー: 講談社
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