琥珀色の戯言

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【読書感想】天才はあきらめた ☆☆☆☆☆

天才はあきらめた (朝日文庫)

天才はあきらめた (朝日文庫)


Kindle版もあります。

天才はあきらめた (朝日文庫)

天才はあきらめた (朝日文庫)

内容紹介
「自分は天才にはなれない」。そう悟った日から、地獄のような努力がはじまった。


嫉妬の化け物・南海キャンディーズ山里は、どんなに悔しいことがあっても、それをガソリンにして今日も爆走する。
コンビ不仲という暗黒時代を乗り越え再挑戦したM-1グランプリ。そして単独ライブ。
その舞台でようやく見つけた景色とは――。


2006年に発売された『天才になりたい』を本人が全ページにわたり徹底的に大改稿、新しいエピソードを加筆して、まさかの文庫化!
格好悪いこと、情けないことも全て書いた、芸人の魂の記録。
《解説・オードリー若林正恭


 南海キャンディーズ山里亮太さんの著書。
 2006年に上梓された『天才になりたい』という本がベースになっているそうです(僕は未読)。
 2004年のM-1グランプリ準優勝で大ブレイクし、その翌年はM-1決勝で最下位になってしまった南海キャンディーズなのですが、その後、長いソロ活動期間を経て、ふたたびM-1に挑戦します。
 前著の「その後」のことにも多くのページが割かれているので、『天才になりたい』を既読でも、十分読み応えがあると思います。


 僕は南海キャンディーズの不仲説って、ありがちな「ビジネス不仲」なんだろう、と解釈していたのですが、本当にこんなに仲が悪かった(というか、山里さんがしずちゃんに嫉妬し、厳しくあたっていた)ということを知って驚きました。
 いやほんと、この本、山里亮太という「お笑いの超秀才」であり、「独裁者」の黒歴史でもあるんですよ。読んでいて、「これはひどい……」と何度も呟かずにはいられませんでした。


 千葉県出身で、「みんなが認める良い大学に入ったら」という条件で親から大阪行きと芸人になることを許してもらった山里さんは、見事に関西大学に入学し、3回生のときに、吉本総合芸能学院NSC)の22期生となるのです。
 

 山里さんは、NSCで最初にコンビを組んだ相方のことを、こう振り返っています。

 僕はクズです。本当にどうしようもない男です。先に言います、ごめんなさいM君。
 これから話すのは思い出話として話すというよりも、捕まった犯人が自供するような感じになると思います……。
 コンビを組んでくれたM君に対してとった僕の行動はまさに暴君だった。コンビというのは対等でなきゃいけないはずなのに、ネタを作っているというだけで相当上から目線になってしまった。僕は、それはそれは無理難題、理不尽極まりないことをM君にし続けた。
 例えば、M君は滑舌が良くなかったのだが、その中でもラ行が弱かった。聞けば、巻き舌ができないということだった。そこで近所の墓場に呼び出し、座っている僕の前立ちながら巻き舌をひたすら練習するというのを半日やらせた。
 なぜ墓場なのかもわからない。M君はひたすらルルルルと言い続けた。もしもここが「北の国から」だったら、キタキツネが数百頭集まるくらいルルルル言わせていた。
「なんでやねん」だけを3時間言わせたときもあった。ほかにも、バイトを休ませてまで、僕が選んだお笑いのビデオを数十本見せ続けたり、故郷の三重から彼女が来た日に急に呼び出してネタ合わせを入れデートをつぶしたり、1日30個のブサイクいじりワードの宿題を課したり、遊びに行ったらその先でのエピソードを必ず10件作ることを要求したり……。まだまだあります。ここらへんで1回挟みます。
 M君本当に申し訳ない。
 続けます。後に出てくる、あるスターコンビと仲良くするなら、何か向こうが不利になる情報を持ってこいと命令する。登場時のお辞儀の仕方が気に入らないと数時間そこだけ練習させる。警察のネタをやるときに、敬礼が違うという難癖をつけて敬礼をずっと練習させる……。
 こんな僕に「お笑いに熱い」なんて最高の誉め言葉をくれていたM君、本当にごめんなさい。僕は自分がすべきなのにできていないことを棚にあげ、それを全てM君に背負わせていた。そして自分もできた気になっていた。
 こんな僕の悪行三昧を経て、相方のM君は精神的に疲れきり、髪も薄くなり、頬はこけ、男前だったのに変わり果てたその容姿から、「死神」と呼ばれるようになっていった。


 お笑いのコンビって、こういうものなのだろうか、少なくとも一方だけがネタを作る場合は、こんな力関係になってしまうのだろうか。これって、パワハラモラハラ全開じゃないか……
 

 僕はこれを読んで、元ハリガネロックユウキロックさんが書いた『芸人迷子』を思い出していたんですよね。


fujipon.hatenadiary.com


 成功するお笑い芸人というのは、自分の芸に対してストイックで、それを相方にも求めがちなのです。
「俺はこんなにやっているのに、なんでお前はできないんだ」って。
 それが、こういうパワハラモラハラみたいな形で噴出してしまうことがある。
 コンビがふたりとも同じくらいの実力があって、助け合って売れていく、というケースもあるのでしょうけど、どちらかひとりが「支配者」になってしまいがちなのです。
 

 で、山里さんは、このM君への態度に反省して、その後の相方とはうまく折り合いをつけていったかというと……結局、また同じようなことを繰り返しているわけです。

 これって、今は山里さんが売れて、それなりに自信も余裕も持っているから、「あのときの自分はひどかった」と振り返ることができているのでしょう。
 「必ずしも、良い人だから、みんなの心を動かす作品をつくるわけではない」ということを考えさせられます。
 いち観客として山里さんのツッコミをみているとすごく面白いのだけれど、それが生まれるための過程には、相方たちの死屍累々、という世界なのです。


 自らを「天才ではなく、コンプレックスを燃やして努力を続けてきた」という山里さん。
 山里さんのパワハラで、売れかけたコンビも解散の憂き目にあい、ピン芸人として活動してみるもうまくいかず……
 そんななかで、自分を活かせるパートナーとして見つけたのが「しずちゃん」でした。
 

 候補はすぐ決まった。それはある大女だった。
 僕は男女コンビになろうと考えていた。理由は簡単、競争相手が少ないから。当時男女コンビはほとんどいなかった。今から男コンビで一からとんでもない数の敵と戦うより、男女コンビであまり戦わずに上に行けたほうが効率がいいと思っていた。
 しかし、ただの女の子では駄目だ。今自分が戦う劇場は、女子中高生がお客さんのメイン、かわいらしい女の子の笑いは受け入れられにくい。女の子女の子していてはいけない。
 僕の中では、男女コンビとは言っているが、女性の方には、女とか男とか意識させないような、何か特殊な女の人が理想と考えていた。そんな人はいるのだろうか?と思っていたが、いた……。
 身長180センチ超え、もそもそとしゃべる姿は大型の動物が食事をしているようなイメージだった。これしかない! 心から思った。
 その相手がしずちゃんだった。
 その当時、しずちゃんはほかの男性とコンビを組んでいた。僕はそのときのネタを見て、ますますこの人を手に入れたいと思った。


 この「略奪愛」によって、南海キャンディーズが生まれるわけですが、山里さんは、この本のなかで、しずちゃんを奪うまでのプロセスと「ここに書くまで、ずっと公にしていなかったこと」を明かしています。とはいっても、色っぽい話とかではないのですが。


 山里さんは、本当に「笑いに対して、ストイックな努力家」なんですよ。そして、どうすればウケるのか、売れるのかをひたすら考え、それを実行してきたのです。
 だから、こんなパワハラモラハラを繰り返していても、相方になってくれる人がいた。
 良いヤツなんだけど、才能がなく、一緒にやっても売れそうにない相方よりも、人格に問題があっても、自分を光らせてくれる相方のほうがいい、それもまた、芸の世界なんだろうなあ。
 まともな人が、まともなことをやっても、人は笑わないし、感動もしない。
 そういう「想い」が、芸の世界でのパワハラを密室化させてしまう面もあるのでしょうけど。


 2004年、南海キャンディーズM-1に出場したときのM-1対策について。

 やっと獲得した定期的な舞台では、お客さんの非難を浴びながらも同じネタをやりまくった。M-1には決勝に行くまでに必要なネタは極端な話、2本あればよかった。1回戦のネタをもう一度やることも別にルールとしては駄目ではない。なので、決勝に行ったときのことを考えると、決勝と最終決戦用の2本があればいい。なので僕は2本のネタひたすらやることにした。
 ただ全く同じものをやるのではなく、いろいろなマイナーチェンジを加えた。一つのくだりに、単純にボケの候補を50個作ってすべて試して、一番ウケたやつを残すという入れ替え戦のような形でやっていたり、ツッコミのフレーズもいろいろ試したり、ある程度ウケるものが固まってきたら、ネタ内容は全く一緒だが、ボケを言ってからツッコむまでの時間を長くしてみるという細かいことまでした。
 ノートのなかのネタの横には、ツッコむまでの秒数とそれのウケの量を書いていた。毎回、ライブが終わるたびに取捨選択の作業、そしてそれをノートに書く。そのとき思いついたボケは次の舞台で入れてみる。そして反応を見てそれを固定化する。その繰り返しだった。
 こういうノート、この前数えたら前のコンビからのものを入れて100冊近くあった。最終的に僕たちが初めて出たM-1のときの医者ネタ
50回以上書いてると思う。接続詞の一つまで気にするようになったのも、このノートのおかげだ。
 このノートがいろいろな緊張から助けてくれた。
「これだけ頑張ってるんだから」という気持ちにしてくれるお守りになっていた。


 山里さんは、これだけのことを「目標を成し遂げるためには、やり続ける人」でもあったのです。
 相方にとっての山里さんは、要求してくるものが高すぎたり、嫉妬されたりで、「すごいんだけど、ついていけない人」だったのだとしても。


 解説はオードリーの若林正恭さんで、これがまた「この解説のためだけにお金を払ってもいい」と思えるくらい見事な文章なのですが、その中で、若林さんは、こう書いています。

「声を張って前に出る」「飲み会大好き」であることが是とされていた当時の幕府(お笑い界)を革命すべく、初のたりないふたりのライブは2009年8月に開催された。
 その時、初めて山里亮太と漫才をした。
 ネタ作りや稽古の段階から「やる気と集中力がある人とやるとこんなに捗るのか!」と驚いた。
 なんせ、ぼくの相方は春日である。
 山ちゃんは、ネタを出す量、稽古をする時間、どれをとっても破格の熱量だった。


 山里さんは、自身のパワハラモラハラっぷりを、これでもか、とばかりこの本に書いているのですが、若林さんの目からは、こんなふうに見えたのです。
「なんせ、ぼくの相方は春日である」
 この一文の説得力はすごい!


 本当に、滅法面白い本なので、気になった方は、ぜひ読んでみてください。おすすめです。


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