Kindle版もあります。
バナナマン、東京03と共に
東京お笑いシーンを変えた
放送作家オークラの青春譚!
1994年、ダウンタウン旋風が吹き荒れる中、お笑いコンビとしてデビューしたオークラ。
しかし、才気あふれる芸人たちを前に「俺が一番面白い! 」という自意識は砕かれ、己の限界を知る。
「コント愛なら誰にも負けない」と作家へ転身したオークラは、バナナマン、東京03、おぎやはぎ、ラーメンズ──新たな才能たちと出会い、数々のユニットコントを生み出し、仲間たちとさまざまなカルチャーを巻き込んだ作品を世に出すようになる。
SAKEROCK、佐久間宣行との出会いから、いつしか夢となった「カルチャーとコントの融合」を舞台で、テレビで、その実現に向けてチャレンジは止まらない。
『ドラゴン桜2』の脚本を担当し、「コント愛」が多くの場所に広がった今、オークラの自意識はどこへ向かうのか?
天才たちの側で見た誰も知らないストーリー。オークラ初のお笑い自伝。
僕はこの本を読むまで、放送作家の「オークラ」さんを知りませんでした。
『トリビアの泉』から『ゴッドタン』まで、オークラさんがつくってきた番組をたくさん観てきたのですが。
それでも、この本で描かれている「お笑い」「コント」に魅せられて、「自分の理想とする面白いこと」を実現するために、オークラさんが辿ってきた道のりには、いち読者として、すごく引き込まれるものがあったのです。
最初は「芸人」として活動し、『細雪』というコンビでは、ブレイクしかけていたオークラさん。
細雪でコンビを組んでいたのは、以前から「一緒にやったら面白いことができる」と感じていた先輩芸人で、「略奪愛」のような形で、ようやく一緒にやることができたのです。
ところが、実際にコンビを組んで活動してみると、オークラさんがやりたいことを実現するには、オークラさん自身も相方も、演技者としての才能が不足していた。
壁を越えきれないなかで、バナナマンやおぎやはぎという、圧倒的な才能を目の当たりにしたとき、オークラさんは、ひとつの選択をしました。
たぶん、人の「情」としては、あまり褒められたものではない。
でも、その選択をしなければ、オークラさんは、いまのような仕事はできなかった。
「夢を追う」ためには、ときに、ひどく残酷な決断をしなければいけないこともある。
そして、そうやって失って、振り落としてきたものは、そう簡単には取り戻せない。
「面白いものをつくる」というのは、「面白くないものを、徹底的に削ぎ落していく」ことでもあります。
そんなある日、Sさんは僕の1本のビデオを貸してくれた。
「CITYBOYS LIVE」
ビデオのラベルにはSさんの手書きでそう書かれていた。それは当時WOWOWで放送したシティボーイズライブのビデオで、1992年の『鍵のないトイレ』から1994年の『ゴム脳市場』まで3公演が収録されていた。
正直、当時の自分はシティボーイズというグループを知ってはいたが、どういう芸をする人たちなのかをよくわかっていなかった。「よくわからないおじさんのコントか」と、大した期待もせず、なんとなく再生した。
そのビデオを見終わるまでの衝撃は今でも忘れない。
作り出されたコントの構成と世界観。
シンプルだが美しい演出。
コントとコントをつなぐオシャレな音楽。
さまざまなカルチャーがコントを中心に結びつき、自分の知らないポップカルチャーがそこにはあった。先ほども言ったが当時は渋谷系全盛期だったので、僕は積極的に音楽も聴いていた方だし、タランティーノの『パルプフィクション』、ウォン・カーウァイの『恋する惑星』、そのほか、ミニシアター系の話題作もこの頃はたくさんあり、そういったサブカル的なものにもアンテナを張っていたつもりだったが、インターネットも普及してない当時、群馬の片田舎出身の僕は、世界にこんなものがあるのを知らなかった。
「僕のやりたかったことはこれだ」
神の啓示である。
あっという間にシティボーイズの虜になった僕は、かたっぱしからシティボーイズとそれに関わる人々を調べまくる日々がはじまった。
オークラさんと僕は年齢が近いし、僕も地方ではそれなりに「サブカル好き」だと自負していたのですが、インターネット以前というのは、過去の名作映画はレンタルビデオで借りることができるとしても、昔のテレビ番組や劇団の公演のビデオなどは、そう簡単には手に入らなかったんですよね。そんな「テキストを得るのが容易ではなかった時代」だったからこそ、自分の好きなものを突き詰めやすかったのかもしれません。
オークラさんがこのビデオを借りた相手が、当時、まだ若手芸人だったオークラさんに声をかけてきて、「いい仲」になった同世代の女性だったのです。
そうか、当時の東京には、「売れない若手芸人をサポートするのが好きな女の子」って、本当にいたのだなあ、とも思ったんですよ。
僕自身は、田舎の大学で、堅い仕事に就くために部活と勉強ばかりしていた(というか、他にやることを思いつかなかった)大学生でした。
先輩に「夜、バーとかにひとりで飲みに行くと、知らない女性と仲良くなってそのまま云々」なんていう話を聞いて、「へぇ~」と返事をしつつ、「それどこの都市伝説?」と信じがたい気持ちでしたし、人生でそんなことは一度もなかったのです。
それが良いとか悪いとかじゃなくて、「いろんな人生があるものだよなあ」って。
現実では、みんながハッピーエンドを迎えるわけではないし、このSさんとオークラさんの「その後」のエピソードも「お互いに割り切ってるなあ」と、むしろ爽快な印象を受けました。
僕になかったのは「無謀さ」なのか「勇気」だったのか……
このネタ作りの時に、設楽さんが言った、今もシチュエーションコントを書くときの指針となっている言葉がある。
「矛盾を消せば、笑いが生まれる」だ。
コントを書くと、どうしても矛盾点が生まれる。「ストーリーを進ませるために登場人物のキャラに見合わないセリフを言わせる」、「展開の都合のため、登場人物をトイレにはけさせるか、用を足したとは思えない短さで返ってくる」みたいな都合から生まれる矛盾である。しかし、こういった矛盾を解消させるために、色々な意味をつけていくと違う展開が生まれたり、思わぬ笑いが生まれたりする……というものだ。今でもこれを意識してシチュエーションコントを書いている。
何度も何度もしつこいが、この当時、若手芸人たちは「自分が一番面白い」という思いが強く、尖りまくっていたので、強弱はあるが、どのコンビも仲が悪かった。これは実際にコンビを組んでネタ作りをしてみるとわかるのだが、結構険悪なムードになることが多い。面白さなんて人それぞれで、自分が「こっちの方が面白い」と言えばそれが正解でもある。そんな答えがあってないようなものを2人で話しはじめると、これはもう「どっちがイニシアティブをとるか?」の戦いでもある。ネタを書いている方からすれれば、書いてない方に「これちょっと違くない?」なんて言われると、もう世界がどうなってもいいと思ってしまうくらい腹が立つ。書いてない方にしたって、なにか口を出すたびにムスっとされたらたまったもんじゃない。ましてや、書いてない方のキャラが客ウケが良かったりするとさらにややこしくなる。どんなに仲の良かった同級生でもコンビを組めば、次第にプライベートでは疎遠になっていく。相当なパワーバランスで押さえつけるか、本当のお人好しがいるくらいしか、コンビの仲は平和にならない。
たしかに、本気で「笑い」を突き詰めようとすればするほど、「相方」との仲は刺々しくなっていくということに、納得せざるを得ないんですよ。「お笑い」とか「面白さ」は、妥協とか協調と相性が悪いのです。
僕は正直、バナナマンやおぎやはぎの「笑い」は、よくわからないというか、お笑い自体にそんなに詳しくはないのですが、この本を読んでいると、彼らやバカリズム、東京03の「凄さ」が伝わってきて、「今度、彼らのコントを観てみよう」と思うのです。
オークラさんは、物事を言葉にするのが本当に上手い、いや、「上手くなるまでに、ものすごいトレーニングを積んできた」のだろうけど。
オークラさんは、現在はテレビのバラエティ番組の放送作家やドラマの脚本家としても活躍されています。
バラエティ界の有名ディレクター・マッコイ斉藤さんとガレッジセールの番組を担当したときのことを、オークラさんはこんなふうに振り返っておられます。
ある日、外国人女性にカンペで指示を出しガレッジセールに失礼な面白フレーズを言わせるというロケコントをしたのだが、こういう時はいかに演者を笑わせるかが大事で、僕はかなり人を食ったフレーズをカンペに書いて指示を出した。しかし、それを見たマッコイさんは「違う!」と言ってカンペを取り上げ自ら書いてカンペを出した。そこに書かれていたのはたったひと言「バカ」だけであった。これはいまだ忘れられない。多くの人に見せるバラエティにおいて、いかにシンプルですぐに伝わる笑いが大切なのか、この時気づくことができた。教室の隅でコソコソやっている人間は自分の世界観の中では強いが、大勢の人に伝えなければならないとなると途端に弱くなる。おそらく学生時代に学校の人気者であったであろうマッコイさんの下でバラエティ番組を作ることで僕は「多くの人にシンプルに笑いを伝える」ということを学んだ。マッコイさんの笑いは「番長の笑い」だが、そのノリもフレーズもド級に面白い。(おぎやはぎの)矢作さんが言った天才ディレクターという言葉は本当だった。のちにマッコイさんが日本一の部室芸。とんねるずと笑いでシンクロしたのは今考えたら当然なのかもしれない。
僕も「教室の隅でコソコソ組」なので、この「番長の笑い」という言葉には、納得させられました。僕がとんねるずの番組が苦手な理由も、うまく言葉にしてもらった気がします。
放送作家としては、「わかりやすい、大勢の人にすぐに伝わるシンプルな笑い」が求められることも多いし、その期待にこたえなければ、仕事の幅が狭くなってしまうわけで、「世界観を持ったコントで食べていける芸人たちのための仕事」と、テレビバラエティ向けの笑いを使い分けられるのがオークラさんの強みなのだよなあ。
インターネット前の時代に、「自分の世界観を実現する新しい笑い」を目指した人の半生記として、また、「笑いの世界の裏側」の記録として、オークラさん自身をよく知らない僕にとっても面白い本でした。