琥珀色の戯言

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【読書感想】歴史の「普通」ってなんですか? ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
平成が終わりを迎えるのに、
今の社会問題は100年前と変わっちゃいない!
今の昔も変わらない日本人の姿を、事件や新聞記事などの資料などから明らかにする。笑える戦後の庶民の伝統文化論。
「保育園がうるさい! 建設反対! 」(昭和51年)
「マニキュアしてるから、漬け物なんて作れなーい」(昭和13年)
「祝日に国旗を掲揚する慣例はありません」(警視庁・大正9年)
「生まれつきの茶髪を黒く染めろと先生に言われた」(昭和40年)


 古代遺跡で見つかった石板に「最近の若い者はなっていない」と書かれていた、という話を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
 ところが、この文章の書き始めに使おうと思って、ネットで検索してみた範囲では、この石板の話も、「これがソースだ!」と断言できるようなものは見つからなかったのです。
 「常識」「歴史的事実」だと思っていたことが、調べてみたら、その起源がよくわからない、あるいは自分の思い込みだった、というのは、けっこうよくあることなんですよね。
 この本の著者のパオロ・マッツァリーノさんは、昔の新聞や雑誌などの資料に徹底的に目を通して、「歴史的事実だとみんなが思い込んでいること」を検証しつづけているのです。

 忘れられた近現代庶民文化史のおもしろい事実を発掘し、すべて具体的な根拠を添えてお伝えするのが、私の流儀です。根拠のないことはいいません。根拠は本文中や参考文献一覧であきらかにしています。
 今回私は、「庶民文化の伝統」という漠然としたテーマで検証をはじめたのですが、いくつかのテーマに興味を惹かれて深堀するうち、伝統という枠からもはみ出し、新書の分量も超えてしまいました。そこで本書は、教育・保育に関連したネタを中心にお届けします。
 そういった構成上、とくに結論めいた章は用意してありません。そこで、もともとのテーマである伝統について、おおまかな結論だけを先にいってしまいましょう。
 歴史的に見れば、伝統とは、ちょっと長めの流行にすぎません。伝統は永遠でも不変でもありません。
 過去の日本人は、自分たちの都合でたくさんの伝統を作りだし、たくさんの伝統を捨ててきたのです。長年続いていたのに、あっさりとやめてしまった伝統もあるし、数回やっただけ、数年間やっただけなのに、伝統を自称している例もあります。伝統の中身も、時代によってかなり変化しています。
 ですから、現代人も伝統なんてものを意識する必要はありません。伝統に振り回されないでください。伝統だから守らなきゃいけないんだんて義務は、どこにもないのです。伝統かどうかなんて基準に関係なく、いいものは続ければいいし、イヤだったらやめる勇気を持つべきです。


 たしかに、「伝統」とはいっても、自分たちにとって心地よいもの、記憶に残っている範囲内で続いているものを「伝統」という言葉で守ろうとしているケースが多いんですよね。
 著者が例示しているように、ダイヤル式の電話が懐かしい、無くなったらなんとなく寂しいからといって、iPhoneと黒電話のどちらか一方しか使えない、と言われたら、ほとんどの人はiPhoneを選ぶはず。もちろん僕もそうです。

 ある女性議員は雑誌に寄稿したコラムで、シングルマザーや同性婚夫婦別姓など、家族の多様化を批判していました。日本の歴史文化に対する無知・無理解をさらけ出す支離滅裂な文章からなんとか論旨を汲み取りますと、社会も家族もむかしのように「普通」でなければならない、普通でないのは不幸なのだ、とおっしゃりたいようです。
 どうやらこの女性議員は、むかしの日本では女性は議員になれなかったのが「普通」だったことをご存じないようです。その普通を変えることに女性活動家たちがどれだけ尽力したかってことにも関心がないのでしょう。むかしのおじさまなら、彼女にこう忠告したはずです。「女の分際で政治家になってどうする。女は普通に結婚して家庭に入り、普通にこどもを産み育てなさい。それが女のしあわせだ」。
 おっと、女性議員の勉強不足を笑ってはいけません。ほとんどのみなさんは、日本の家族や子育てをめぐる歴史について、正しい知識をお持ちではありません、こうだったはずだ、と思ってる記憶には多大な誤解とカン違いが含まれています。


 著者は、さまざまなデータや資料を調べて、日本で専業主婦が多かったのは、太平洋戦争後の高度成長期からバブル時代の、「お父さんの給料だけで家族が生活していけた、日本が経済的に豊かだった時期」だけであることを紹介しています。

 歴史として追える範囲での長期的な視野でみると、「共稼ぎのほうが当たり前」なんですよね。
 そして、「今ほど子どもが大切にされている時代」もない、と仰っているのです。


 僕は、あの女性議員って、自分が子どもの頃の「理想の家庭像」みたいなものをずっとアップデートできないまま生きているのだろうな、と思うんですよ。
 でも、それは彼女だけではない。
 僕が親になってみて痛感しているのは、学校教育というものを、自分自身が小学生だった40年前を基準に判断しがちである、ということなのです。
 理屈ではわかっているつもりでも、自分が慣れ親しんだ、あるいは憧れたものを自分で否定したり、更新したりするのは、とても難しい。


 この本を読むと、いろんな常識が更新され続けているのと同時に、人間の側の感じ方、考え方というのは、ずっと変わらない、ということに唖然としてしまうのです。
 何年かおきに、「保育園の子どもたちがうるさい」と抗議する人々が話題になり、ネットでは「お前たちも昔は子どもだったんだろ、最近の高齢者は心が狭い」とバッシングされがちです。
 
 ところが、著者は、同じような「子どもがうるさい」という抗議は、40年前からすでにあった」ことを紹介し、そのツイートは大勢の人によって拡散されたそうです。
(にもかかわらず、世間の「常識」を揺るがすには至っていない、ということでもあります)

 こどもの声は騒音かという議論は1970年代からあった、と断言したツイートについても、その根拠をきちんと示しておきましょう。
 1975年(昭和50)年9月9日付朝日新聞(東京版)と、1976年1月20日付読売新聞が同じテーマを取りあげてます。とりわけ読売は、「こどもの声は”騒音”か」というそのものズバリの見出しのもと、見開き2ページぶんを使い、レポートと賛否の意見を載せるという、かなりの力の入れようです。
 発端となったのは、東京都目黒区が建設した学童保育所でした。鉄筋二階建ての「デラックスな」施設は、老人憩いの家との共用となってます。
 およそ一年前のこと。この施設の建設計画が公表されると、周辺住民75名が建設反対を表明しました。近隣には、こどものカン高い遊び声などの騒音に耐えられない老人・病人・著述家・音楽家などがたくさんいて、仕事や生活に支障が出る、というのがその理由。
 区は反対住民と協議して、こどもたちを建物屋上や庭では遊ばせない、室内で遊ばせるときには窓を閉めたままにする、などの条件で折り合いをつけ、学童保育所はオープンに漕ぎつけたのでした。
 ところが今度はこどもを持つ親の側から、これでは密閉された収容所みたいだ、屋上を開放し、窓も開けろという請願書が提出され、区は板挟みに。

 著者は、同時期に杉並区で起こった保育園の騒音に関する争いについても紹介しています。

 重要なのは、この二例がけっしてレアケースではなかったという点です。
保育園や児童館の建設に対する近隣住民の反対運動は東京都内各所で起きていて、どこの区や市でも、紛争や訴訟を抱えていることを記事は報じています。
 反対住民に高齢者が目立つのは、年をとってワガママになったからではありません。家にいる時間が長く、騒音被害をもろに受けるからです。
 平日の昼間に仕事に出掛けてる人は、保育園の騒音を朝から晩まで聞かされる体験をしていないので、こどもの味方をしがちです。「こどもは未来を背負う存在だ」「保育園に反対するのはオトナのエゴだ」「こどもの声は騒音ではない」「ガマンしろ」「寛容になれ」。


 著者は、誰かを吊るし上げようというのではなくて、人間の営みを具体的な事例を追いながら、俯瞰しようとしているのです。
 僕も「子どもの声が騒音なんて!」と思っていたけれど、それは、多勢の子どもの声に長時間さらされるという機会がなかったり、たとえあったとしても、そのなかに自分の子どもがいたり、という状況での「寛容さ」なんですよね。
 本当の「寛容」というのは、相手にも事情があることをちゃんと理解したうえで、なんとか落としどころを探していくことなのかもしれません。
 
 僕は「人間って、目先のことにとらわれてしまう生き物だよなあ」って思っていたのですが、読んでいくうちに、そんな僕こそ、「わかったつもりで『伝統』とか言っている人間のひとり」ということを痛感しました。

 こういう「世の中の見方」こそ、道徳の時間に教えたら良いのではなかろうか。
 あまりに俯瞰しすぎると「昔はみんなプランクトンみたいなものだったのだから」とか言いだす人も出てくるので、どこかに基準を置かないといけないのでしょうけど。
 世の中って、紆余曲折がありながらも、少しずつマシな方向に向かっているのではないか、と思うのと同時に、システムや道具の進化のわりには、個々の人間っていうのは変わらないものだな、と嘆息してしまう、そんな一冊です。
 

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