琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】世界は経営でできている ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか?
張り紙が増えると事故も増える理由とは?
飲み残しを置き忘れる夫は経営が下手?

仕事から家庭、恋愛、勉強、老後、科学、歴史まで、
人生がうまくいかないのには理由があった!
一見経営と無関係なことに経営を見出すことで、世界の見方がガラリと変わる!
東大初の経営学博士が明かす「一生モノの思考法」

【本書の主張】
1 本当は誰もが人生を経営しているのにそれに気付く人は少ない。
2 誤った経営概念によって人生に不条理と不合理がもたらされ続けている。
3 誰もが本来の経営概念に立ち返らないと個人も社会も豊かになれない。


 「より幸福な人生を過ごすには、どうすればいいのか?」
 お金は不幸を回避するのには役に立つけれど、必ずしもお金が人を幸せにするわけではない、そんなことはわかっているはずなのに、ほとんどの人は、「お金を稼がないと幸せになれない」と思い込んでしまうのです。

 この本には、サンクコストとかアンガーマネージメントなど、自分自身の人生をその場の感情にとらわれず、俯瞰して考えていく、ということが書かれており、『ひととおり読んだ印象としては、10年前にベストセラーになった『嫌われる勇気』や『日本人のための怒りかた講座』に近いものがありました。
 ただし、多彩な「人生のセルフマネージメント」の事例に触れられているため、個々の章に関しては、かなり簡潔に書かれていて、「著者が言いたいことはわかるが、そういうふうに考えることができたら苦労しないよ……」と愚痴をこぼしたくなるのも事実です。


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 本当は、親子関係においても経営をおこなうべきだ。
 具体的には、「A:親が子の生き方を決めつけてしまう」「B:親が子の生き方を決めつけない」という対立の究極の目的が「C:子供に幸せになって欲しい」というものだとすれば、AとBがそれぞれCにどう寄与できるかを考えてみるべきである。
 すると、たとえばAによって「取り返しのつかない失敗をさせない」、Bによって「自由に伸び伸びと育ってもらう」という寄与が、それぞれありうると気付くかもしれない。
 その後は、「取り返しのつかない失敗をさせない」ことと「自由に伸び伸びと育ってもらう」の両立を考える。AとBの両立は無理でも、こうした「Cへの寄与同士の両立」ならば可能だからだ。
 すると、たとえば1400年以上前に成立した『顔氏家訓』的な「道徳教育を徹底的におこなった後に好きなだけ自由にさせる」あたりに落ち着くかもしれないし、その他にも家庭ごとに色んな解決策がありうるだろう。
 こうした家庭経営の考え方は、解決不能に思えた家庭内の問題に対して解決の糸口くらいは明らかにする。
 私の周囲でいえば、高額な玩具を子にねだられて子との関係と家計の安定との間で悩んでいた方が、この手法によって「親子で一緒に家の中の不用品をインターネット上で売って玩具購入代金を稼ぐという遊びを提案する」という解決に至った人もいる。もちろん最終的に足りないお金は親が出す腹積もりである。この方が最初から何でも買い与えるよりよっぽど子は親に感謝する。
 この他にも、子供が幸せになるための手段の一つにすぎないはずのお受験を究極の目的だと勘違いして家庭が崩壊したり、同じく手段の一つにすぎないはずの世帯所得向上が自己目的化してしまって家族関係がギスギスしたりするなど、家庭における非喜劇は経営の欠如によってもたらされている。
 今こそ、家庭は経営の場なのだということに気が付くべきだろう。

 
 著者はこの後、「結婚して家族を持て、というのではなくて、仕事や趣味、学業などを通じて、理想の擬似家族を創造することは誰にでも可能ではないか」と述べています。
 こういう話って、突き詰めると「虐待してくる親」とか「経済的に厳しく、給食費も払えない家庭」みたいなものを例示して反論される場合もあるので、難しいものではあるのですが。

 人間というのは、さまざまな局面で、「手段が目的になってしまいがち」ではあるのです。
 「もっと収入を増やすため」に、残業続きでイライラして当たり散らされるよりは、収入が減っても機嫌よく、周囲にも穏やかに接してもらった方が、みんな、より幸福度が上がるはずなのに、「稼がないとダメだ」と思い込んでしまう。
 あるいは、中学受験のために、子どもを勉強漬けにしたり、他の子と比較してプレッシャーやストレスを与えるような「毒親」になってしまう。
 それで子どもに生涯残るような傷を負わせ、不幸にしてしまう。

「お金を稼ぐ」のも「偏差値が高い、良い学校に行く」のも、「幸せになるため」のはずだし、お金や学歴以外にも、幸せになるルートはあるはずなのに、視野が狭くなって、ひとつのルートしか見えなくなるのです。

 他人事のように書いていますが、僕にとっても身につまされる話ではあります。
 人って、自分を客観的にみたり、自分が置かれている状況を俯瞰する、というのが、苦手なのだと思います。
 そして、自分の思いを、他者も同じだと、判断してしまう。他者にそれを確認することもなく。

 勤め人をやっていると「経営者目線で考えて」なんて言われると「ケッ!使う側の都合のいいことばかり押しつけやがって!」と反発してしまいがちなのですが、会社が潰れれば、自分の生活の安定も危うくなることも多いのです。給料だって、労働者が辞めない、そして、払いすぎて会社が潰れない、という均衡が保たれる範囲で払われています。

 誰だったか、有名な人が「仕事とセックスは家庭に持ち込まない」と言っていましたが、家庭はリラックスして自分をさらけ出して過ごせる場所、だと思っては経営者失格なのです。世の中は厳しい。経営者は、いつなんどきも、隙を見せてはいけない。ああ、書いていて悲しくなってきた。でも、それが「うまく人生をマネージメントする秘訣」なのでしょう。


 なぜ無能な上司が多い(ように感じる)のか?という問いに対しては、こう書かれています。

 残念なことに、むしろ無意味な何かを生み出すことを仕事だと思っていたり、恐ろしいことにこれこそが経営だと思っていたりする人もいる。
 なぜここまで会社には真の意味での仕事/価値を創り出す「経営」をおこなっている上司がいないのだろうか。その一つの理由は、次に示すような「人は無能になる職階まで出世する」という数理的に説明できる法則があるためである。

 条件1:組織はピラミッド状であり複数の階層(職階)が存在すると仮定する。

 条件2:ある職階において最も成績が良かったものがより上位の職階に就く(成績が悪い場合にも降格・解雇はされない)と仮定する。

 条件3:複数の職階において求められる能力はそれぞれ異なると仮定する。

 条件4:個々人が持つ能力値はランダムに割り振られ、異なる能力間に相関関係はないと仮定する。

 これらは特に現代の官僚制組織ではありそうな状況だろう。
 さてこの四つの仮定が揃うとどうなるか。
 まず特定の職階で優秀だったものが次の職階でも優秀である確率は低い。ただし上位階層のポストの数は少ないのでこれ自体はあまり問題でもない。問題なのは、確率論的にいって「特定の職階では優秀だったが、次の職階では優秀でない人」が多数いるということだ。
 彼らは新しい職階では評価されないため、さらに上位の職階に進まずに適性のない職階にとどまることになる。こうしたことがあらゆる職階で起こると組織の上層部は無能だらけになるわけである。
 数理的にいっても職階の数が多い組織ほどこうなる。ただしこれはあくまで先ほどの四つの条件が揃った場合であり、現実の健全な組織はこうした罠に陥らないように四条件のうち一つ以上を回避するという手を打っているはずである。


 ある職階で優秀だからこそ評価され、昇進するのだけれど、昇進した先での仕事はまた別の能力が求められるのです。
 もちろん、新しい仕事に適応して結果を残せる人もいるでしょう。
 その場合、また昇進していく。
 結局、その人ができない、向いていない能力が求められる階層まで進み、無能になる場所で、ずっと停滞する仕組みになってしまっているのです。


 「名選手、必ずしも名監督ならず」とスポーツ界ではよく言われるのですが、一選手としての能力と、監督として組織をまとめていく力が「異なるもの」であることは想像できます。スポーツにしても企業にしても、その人の「実績がカリスマ性となって、部下の信頼度を高めやすい」という面はあるとしても。
 現場では優秀だったのに、管理職としては能力が低い、というケースは少なくないですし、最近では、自分の適性を考えて「あえて昇進を望まない」という人も増えているようです。そういう人でも、企業側としては「今の環境で結果を出している人を抜擢する」というのをアピールするために、昇進させざるを得ない場合もあるのでしょう。

 人事というのは、難しいよね本当に。「選手としては全然ダメでも、監督には向いている人」であっても、いきなりプロチームの監督に据えたら、周囲の信頼を得られるかどうか。

 僕は、ローマ帝国五賢帝の一人、マルクス・アウレリウス・アントニヌスが書いたとされる『自省録』をときどき読み返しては、ため息をついています。
 『自省録』を僕なりにまとめてしまうと「人間としてより良く生きるには、自分が『やりたいこと』ではなくて、『やるべきこと』をやれ、やり続けろ」ということなのだと思います。

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 そうだ、そうなんだよなあ、と読みながら納得するのだけれど、それを生活の中で実践するのは、本当に難しい。言い訳ばかりになってしまう。

 この『世界は経営でできている』、現代の「読みやすい『自省録』」なのだと思います。


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