琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか ☆☆☆☆

内容紹介
2018年、M-1審査員として名を轟かせた芸人が漫才を徹底解剖。
M-1チャンピオンになれなかった塙だからこそ分かる歴代王者のストロングポイント、M-1必勝法とは?
「ツッコミ全盛時代」「関東芸人の強み」「フリートーク」などのトピックから「ヤホー漫才」誕生秘話まで、
”絶対漫才感”の持ち主が存分に吠える。
どうしてウケるのかだけを40年以上考え続けてきた、「笑い脳」に侵された男がたどりついた現代漫才論とは?
漫才師の聖典とも呼ばれるDVD『紳竜の研究』に続く令和時代の漫才バイブル、ここに誕生!


 ナイツの塙宜之さんが質問に答える、という形式で書かれた『M-1』論。
 『M-1』は注目度が高い番組だけに、その審査について批判されることが少なくないのです。
 いわば「火中の栗をあえて拾う仕事」でもあります。
 松本人志さんをはじめとする、大御所芸人たちが審査員席に並んでいるなかで、なぜ、『M-1』で優勝経験のない塙さんが2018年の審査員に選ばれたのか、僕は疑問だったのです。
 この本を読んで、塙さんの「漫才」に対する造詣の深さと「非吉本の関東芸人で、自らも審査される側だった経験がある」というのを買われての起用だった、ということがわかりました。

 この本、読みやすくて、面白いんですよ。
 自分たちのスタイルが『M-1』に向いていないことは承知のうえで、ナイツは『M-1』に挑みます。ナイツが2008年に「ヤホー漫才」を引っ提げて決勝に進出したときのことは僕も覚えているのです。
 そんなにお笑いに詳しくない僕にとっては、ナイツのネタはすごく新鮮だったのですが、塙さんは「2008年には、もうコンビのピークは過ぎていた」と述懐しておられます。

(2007年に「ヤホー漫才」ではじめて準決勝に進出したときのことを振り返って)

 準決勝は、ここらで審査員に他のネタもあるところを見せておこうと、ヤホー漫才の『スピルバーグ』バージョンにネタを変えました。そうしたら、思ったほどウケなかったんです。ネタの完成度が低かったのだと思います。
 敗者復活戦では、勝負ネタの『SMAP』に戻しました。やはり、こちらのほうがぜんぜんウケました。客観的に見ても、そこまでではいちばん「ウケ量」は大きかったと思います。でも僕らの後にはまだ、この年、敗者復活枠から優勝することになるサンドウィッチマンが控えていました。サンドウィッチマンがネタを披露したときは、はっきり「負けた」と覚悟しました。ウケ量がハンパじゃなかった。
 今でも思うのですが、ナイツが優勝するなら、あの年、敗者復活から決勝に乗り込むというルートがいちばんチャンスがあったのではないかと思います。技術的にはまだまだの部分はありましたが、そのぶん鮮度が高かったし、敗者復活という物語性もあります。
 コンビには、やはり旬というものがあります。開花寸前の段階でM-1を迎えるのがいちばんいい。そしてM-1で優勝し、大輪の花を咲かせるというパターンです。
 2007年のサンドウィッチマンまさにそうだったし、2018年の霜降り明星もそうでした。まずは2017年のABCお笑いグランプリで優勝し、翌18年の年明けにはytv漫才新人賞も獲りました。関西の新人お笑い芸人の登竜門を立て続けに突破し、滑走路に入って、まさに飛び立とうとしているところでした。
 もし、あのタイミングでM-1のタイトルを獲れなかったら、目新しさがなくなるぶん、その後は苦戦してたんじゃないかな。


 塙さんは自らの経験も振り返りつつ、『M-1』で優勝するには、そのコンビにとって、「いつ『M-1』に出るのか、というタイミングが重要である、ということを述べているのです。
 「運も実力のうち」とは言いますが、かなりメディアに露出していて、「またこのネタか」と思われるくらい売れている芸人さんと、「こんなことをやる人たちがいるのか」と『M-1』ではじめて見た人が多い芸人さんとでは、どうしても後者のほうがインパクトがあるし、「勝ちやすい」のです。
 塙さんは、南海キャンディーズスリムクラブ、オードリーを例にあげて、彼らの「『M-1』出場のタイミングの良さ」を論じています。
 彼らが決勝での2本目のネタで、1本目ほどウケなかったことにも触れて、「優勝するとしたら、初出場の年しかなかった」とも述べています。
 そして、彗星のごとく現れて準優勝したあとは、M-1から身を引いたオードリーの芸人としての戦略を「引き際が見事だった」と称賛しているのです。

 僕が言い出した「M-1は100メートル走」説は多くの共感を集めたようですが、4分と15分の違いをわかりやすくイメージしてもらうために陸上にたとえれば100メートル走と1万メートル走くらいの違いがありますと言ったのが最初なんです。寄席に慣れ切っていた体でいきなりM-1に出場したら、足がつるか、肉離れを起こしかねませんよ。最悪の場合、アキレス腱が切れちゃいます。
 僕らはM-1予選が始まる8月が近づいてくるのに合わせ、少しずつ体をM-1に順応させていました。
 M-1を100メートル走とするなら、過去、最速記録を叩き出したのは2005年王者のブラックマヨネーズだと思います。
 紳助さんは採点の際、「4分の使い方が抜群」と評していました。紳助さんは、常に「最後の30秒の印象」の大事さを説いています。ここでトップスピードに入り切らなければ好記録は望めません。
 ブラックマヨネーズは、スタートも完璧、中間までの低い姿勢も完璧、そこから徐々に上半身を起こし、トップスピードに持っていってからも完璧でした。
 M-1史上初の9秒台。そう言ってもいいでしょう。大会も5回目を数え、最初の円熟期を迎えていたのかもしれません。
 M-1の「煽り映像」(紹介VTR)のナレーションが「ブツブツ肌の吉田(敬)と、薄毛の小杉(竜一)が……」みたいな感じで、テロップも「モテない男たちの逆襲」だったので、最初は、容姿をいじるネタなのかなと思って観ていました。
 ところが、締めの部分で「誰に相談するねん、これから」(小杉)、「いつも行ってる皮膚科の先生に相談するわ」(吉田)というセリフはあるものの、それ以外の部分は、まさに本格派と言っていいしゃべくり漫才でした。ネタ、話術、二人の個性と、すべてが最高レベルにありました。
 煽り映像は、見事な「偽装」になっていました。いい意味での裏切りです。

 ちなみに、塙さんは「20分以上のネタをやらせたら、ナイツが日本一」だとも仰っています。

 塙さんは、『M-1』がお笑い界において、とてつもなく大きな存在であるのと同時に「『M-1』=漫才ではなく、あくまでも、漫才のなかの一種目にしかすぎないのだ」と考えているのです。
 とはいえ、陸上競技の100メートル走のように、注目が集まりやすい競技ではありますし、自分たちの適性とは違っていても、挑戦する価値があるのでしょう。


 「漫才における細かい技術や注意点」についても、演者の立場から、詳しく語られていたのも印象的でした。

 当たり前のことだけど、本番では、互いに「初めてしゃべってる」「初めて聞いた」という風を装ってしゃべります。ボケが変なことを言ったら、ツッコミは「何を馬鹿なこと言ってるんですか」と驚いた顔をします。その驚きが嘘くさく見えると、お客さんの共感は得られません。
 あと、ありがちなのが、慣れてくると相手のセリフを聞き終える前に次のセリフを言っちゃうんだよね。言葉をかぶせてしまうのは論外ですが、この状況でこう言われたら、普通、少し間ができるだろうというところで、すぐに返してしまう。お客さんは瞬時に、不自然さを感じ取ってしまう。コンマ何秒のズレですが、そういう違和感は、お客さんに伝わってしまうものです。
 僕は土屋とのやり取りが惰性にならないよう、ネタ中に、まったく予定にないセリフをちょいちょい入れます。もちろん、土屋は素で「何を言い出すんですか」という顔をします。それがいい。やり過ぎは禁物ですが、ときどきかませば、土屋も「いつ何が飛んでくるかわからない」と緊張感を持ってこちらの話に耳を傾けるようになります。
 ときどき、うまいけど笑えないよなというコンビを見かけます。じっと観察していると、だいたい演者の言葉に気持ちが入っていません。言葉に気持ちを込めるといっても、単純に大声を出したりすればいいというものでもない。目線とか、体のちょっとした動きにも出てくる。


 M-1を見つづけてきた人たち、そして、「何を基準に審査しているのだろう」と疑問を抱いてきた人たちにとっては、「待ってました」という内容になっていると思います。
 面白いって、こんなにも奥が深いのか。


天才はあきらめた (朝日文庫)

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