琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

「アレキサンダー」(Yahoo!ムービー・ユーザーレビューもあり)

http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=321050

 昨日観てきました「アレキサンダー」。
ネット上ではかなり叩かれまくっていて、ダメ映画の殿堂「ラジー賞」でも6部門ノミネートとかなり不安でもあったのですが、歴史好き、とくに西洋古代史好きとしては、「観ておきたい映画」だったので。
映画館は公開初日だというのに(まだできたばかりの映画館だったのと、16:30開演、という時間帯の影響もあったのかもしれませんが)、120人くらい収容のうち、3割くらいの入りでした。けっこう年配の人が多かったし。まあ、カップルは「オペラ座」とか「ネバーランド」とか「オーシャンズ」のほうが無難な選択なのでしょう。
  それで、映画の感想なのですが、まず最初のところでちょっとつまずいたのは、登場人物がみんな英語で話していることです。まあ、こういうのはアメリカ映画の「お約束」だし、少し経てば慣れてしまうんですが、古文書が英語で書かれていたりすると、なんだか「違うだろ…」と思ってしまいます。歴史考証のいいかげんさというよりは(そのくらいのことはわかりきったことのはずなのに)、「英語が公用語なんだから、そんなリアリティなんて必要ないだろ?」というような、ハリウッド的な傲慢さがちょっと鼻につきます。
 そして、アンソニー・ホプキンスが演じる年老いたプトレマイオスが、アレキサンダー(大王)の記憶を語り始めるのです。「彼ほど偉大な人物はみたことがない」と。
 この映画を観て驚いたのが、僕の事前予測では、この「アレキサンダー」のクライマックスシーンになるだろうと思っていた、4万の軍勢でペルシャの25万を打ち破ったという「ガウガメラの戦い」が、3時間近くの長尺にもかかわらず、始まってから1時間も過ぎないうちに出てきたこと。このエピソードって、アレキサンダーの人生のクライマックスなんじゃないの?この後どんな話をやるの?と観ているほうが心配になってしまうくらいでした。
 ちなみに、この「ガウガメラの戦い」のシーンはけっこう凄くて、あまりCGに頼らずに「戦場のカオス」がうまく出ているような気がしました。ただ、戦闘そのものについては、ちょっと目をそむけたくなるようなシーンが多かったです。ことさらに残虐な描写が多いわけではなくて、むしろ淡々と殺し合っているような感じが。
 それで、「ガウガメラ」の後、アレキサンダーは東征を続けていくのですが、1時間半くらい、延々と戦闘と宴会のシーンが続いていきます。なんだかとても不毛というかなんというか。
 その戦闘もどんどん殺伐としていって、最初のペルシャとの戦いのときは「大義」みたいなものを両陣営に見出すことができるのですが、どんどん「戦いのための戦い」になり、宴会も最初は「息抜き」みたいだったのが、次第に殺伐としたものになっていきます。そして、その繰り返しで、戦いに倦んでいく将軍たちや兵士たちと、何かにとりつかれたように新しい未開の地への進軍を主張するアレキサンダーとの溝の深まりが伝わってきます。基本的に「英雄」ではない将軍た兵士たちとしては、最初はアレキサンダーの「理想」とか「夢」に共鳴して、辛い遠征についてきたものの、終わりのないアレキサンダーの征服欲に「ついていけなくなってしまう」のです。普通人たる僕には彼らの気持ちが痛いほどわかりますし、故郷に帰れば栄光が待っているはずなのに、厳しい異国の地に留まって戦い続けるアレキサンダーに対して、「もう勘弁してください……」と思うのは当然のことでしょう。
 でも、アレキサンダーの「征服欲」というのは、裏を返せば「何か(それは、両親への反発心なのかもしれないし、神話の英雄たちへの憧れかもしれません)に追われ、今いる場所から逃げたいという「強迫観念的」なものにも感じられました。
 もっとも、こういう「英雄」の描き方は、「アレキサンダーが内省的すぎて、英雄としての魅力に欠ける」とか、「カタルシスが足りない」などという、「映画に娯楽を求める観客」からのブーイングを浴びているのであろうことも事実です。大きな戦闘シーンは、ガウガメラと、部下たちに見放されかけていたアレキサンダーが、最後に巨大な象にただ一騎で突入していくところくらいしかないし、最後のほうはもう、痛々しくて観ていられない、とすら思えてきますから。
 観ている観客たちは、むしろ戦いに倦む将軍たちや兵士たちに共感してきて、最後のほうは「もう帰ろうよ、アレキサンダー」とか、画面に向かって言いたくもなりますし。その点では、コリン・ファレルの「ちょっとナイーブな雰囲気」というのは、この映画で描こうとしているアレキサンダー像と綺麗にシンクロしているのかも。
 でも、そういう「戦い続けること、征服し続けることの虚しさ」と「征服し続けることでしか埋められない(あるいは、それでも埋まらない)心の隙間」というのを描いているとすれば、この作品はまさに「オリバー・ストーン的」なのかもしれませんが。
 ほんと、「こういう上司についていくのはたまらないだろうなあ…」と思う一方で、たぶん、アレキサンダーについていった人たちは、後世、「アレキサンダーと遠征を共にしたこと」を誇りにするのだろうなあ、とも思うんですよね。そういうのは、まさに「英雄的」なのかもしれません。
 さんざん語られている「ホモ描写」についてなのですが、僕はそんなに気になりませんでした。歴史好きとしては、「あの時代なら、あのくらい別に珍しくはないだろう」という感じで。むしろ、女性に対するアレキサンダーのコンプレックスのほうが、なんだか複雑に思えたくらいのもので。
 僕は、この映画でのアレキサンダーの「コンプレックスと英雄性」に共感できますし、「歴史を動かしてきたものは、単純な『何の疑問も抱かない信念』だけではなくて、こういうものなのではないかなあ、とも思いました。もちろん、この映画は100%史実に従ったものではないし(というか、現代人にアレキサンダーの時代の100%史実なんて、知ることはできない)、それは、批判されるべきところではないでしょう。
 まあ、この映画が、「映画を観て気分転換したい」という人たちにとって、「どうしてこんなに金と時間をかけたのに、こんなに『つまらない映画』になってしまったのか?」と思われてしまうのは仕方がないけれど、「歴史の必然性」というものを考えたい人にとっては、けっして「元が取れない」映画ではないし、歴史好きの人には、オススメしたい作品です。

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