琥珀色の戯言

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ロビン・フッド ☆☆☆


あらすじ: 12世紀末、ロビン(ラッセル・クロウ)は十字軍の兵士としてフランスでの戦闘に加わっていた。ある日、イングランドの騎士ロバートの暗殺現場に居合わせた彼はその遺言を受け、ロバートの父(マックス・フォン・シドー)に遺品の剣を届けると約束する。やがてノッティンガムの地を踏んだロビンは、ロバートの身代わり役を頼まれ……。

2010年23本目の劇場鑑賞作品。
12月23日の祝日のレイトショーで観てきました。
観客は10人程度と、ちょっと淋しい感じ。

リドリー・スコット監督、ラッセル・クロウ主演といえば、アカデミー作品賞を受賞した『グラディエーター』のコンビです。
僕はもともと歴史物の映画好きということもあり、『グラディエーター』は大好きな映画なので、この『ロビン・フッド』も予告編を観て大いに期待していました。

でも、この2時間半近い「大作」は、どうもスッキリしないというか、感情移入しがたいというか……
その原因のひとつは、『ロビン・フッド』という題材への僕の無知ではあるのでしょう。
最初に『ロビン・フッド』というタイトルを聞いたとき、じゃあ、あの有名な子どもの頭の上のリンゴを射抜く場面があるのだろうな、と思ったくらいです。
(それは、ウイリアム・テルだってば!)
「弓の名人」ロビン・フッドという名前は有名でも、彼が具体的にどんなことをしていたのか即答できる日本人は、あまりいないのではないかなあ。
西欧の人たちにとっては、日本人にとっての「忠臣蔵」みたいに「解説要らずの伝説の英雄」なのかもしれませんけど。

それにしても、この映画のロビン・フッドは、幸運続きでいつのまにか力を得て、なぜか周りが突然彼を英雄扱いしはじめる、という不思議な人物でした。
はじめのほうのシーンで、亡くなった兵士たちの遺体から「戦利品」を頂戴するロビン・フッドは、「現実主義者」ではあるけれど、あんまり好ましい人物とは思えませんでしたし、その後も、急に「有名な自由主義者の息子」であることが判明したり、みんなの前でありきたりの演説をしたら急に支持を集めるようになったりと、どうも腑に落ちないんですよね、観ている側としては。
リトル・ジョンらの仲間たちも、本当に影が薄いというか、映画『ノルウェイの森』の突撃隊レベルで、「とりあえず出しておいた」というのが伝わってきます。
どうしようもないジョン王(これだけは、ある程度史実に忠実だといえるかもしれません)にはイライラさせられるのですが、それでもジョン王に従う理由というのが、まったく観客にはわからないのです。

そして、クライマックスの上陸してくるフランス軍との戦闘も拍子抜け。
船から上陸してくる敵を水際で叩くのは兵法の常道なのですが(『プライベート・ライアン』の冒頭にも、そんな場面がありました)、最初からイングランド側が圧倒的に有利な状況で、あれなら、遠くから弓で攻撃していれば犠牲者なしで勝てるのではないかという感じです。
いやまあ、すべての闘いで、主人公側が苦戦する必要はないと思いますが、映画のクライマックスシーンとしては、かなり消化不良の印象です。
もっと激闘とかピンチからの大逆転、みたいな演出があっても良いはずです。
ロビン・フッド』という人物そのものが「伝説によって作りだされた、架空の人物」らしいので、そういう戦闘シーンだけ、中途半端なリアリティにこだわる必要を僕は感じませんでした。
そもそも、ロビン・フッドイングランドの勝利よりも、身内のこと優先の人みたいにも見えたしなあ。

「あんまりたいしたことのない男が、運で偉くなり、自分よりもっと無能な相手に快勝する」
……そんな映画、面白くないよねやっぱり。
グラディエーター』のマキシマスは、悲劇を背負っていて、有能で、勇気と理性を持っており、観ていて応援したくなる人物でした。
しかし、この『ロビン・フッド』は、「なんだコイツは?」という不信感をずっと拭えない「英雄」だったのです。

うーん、リドリー・スコット監督+ラッセル・クロウという組み合わせがせっかく実現したのに、出来上がった作品が、こんな『劣化グラディエーター』になってしまったというのは悲しい限りです。
スタッフロールの最後まで館内にいたのは、僕一人でしたし。
ラッセル・クロウを観ているだけで幸せ、という人以外には、ちょっと薦めがたい作品でした。

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