琥珀色の戯言

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リンカーン ☆☆☆☆☆



あらすじ: エイブラハム・リンカーン(ダニエル・デイ=ルイス)が、大統領に再選された1865年。アメリカを内戦状態に追い込んだ南北戦争は4年目に突入したが、彼は奴隷制度を永遠に葬り去る合衆国憲法修正第13条を下院議会で批准させるまでは戦いを終わらせないという強い決意があった。そのためにも、国務長官ウィリアム・スワード(デヴィッド・ストラザーン)らと共に憲法修正に必要な票を獲得するための議会工作に乗り出す。そんな中、学生だった長男ロバート(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)が北軍へと入隊し……。

参考リンク:映画『リンカーン』公式サイト


2013年10本目。
火曜日のレイトショーで鑑賞しました。
観客は僕も含めて、中年男性が4人。


この映画、「おお、スピルバーグが念願の『リンカーン』を撮るのか、これは観に行かなくては!」と思っていたんですよね。
しかしながら、公開後のネットでの反応は、あまり芳しいものばかりではなく「難しい」「冗長」「眠い」などの感想も少なからずありました。
まあ、いずれにしても、歴史映画好きとしては、自分の目で確かめてみるつもりだったのですけど。
冒頭にスピルバーグ監督が出てきて、時代背景についてのごく簡単な説明をしてくれるのですが、本編前にこういう「日本向けの前説」が入るということは「アメリカ人以外には、本編だけではわかりにくい」という判断がなされたということでもあります。
リンカーンの時代に、奴隷制度の存続をめぐって、アメリカ最大の内乱である「南北戦争」が起こり、そのなかで「奴隷解放宣言」が出された、という程度の予備知識は、世界史選択の日本人にはあるとは思うのですが……
この映画の時代では、共和党のほうが、より奴隷解放に積極的でリベラルだったり(いまは民主党のほうがリベラルで、共和党の支持基盤に南部のキリスト教原理主義勢力が強い地域が含まれています)、「人間の平等」と「人間の法の下での平等」の違いがわかりにくかったりはするんですよね。
たぶん、アメリカ人にとっては、日本人にとっての「関ヶ原の戦い」とか「西南戦争」みたいなもので、「あせこれ説明するまでもない話」なんだろうとは思うのですが、もちろんそれは「世界標準」ではないわけで。


この映画、予告編を観ると「南北戦争を舞台にした、壮大な歴史ドラマ」で、「リンカーンの活躍で北軍が勝ち、アメリカが再統一され、ラストに『人民の、人民による、人民のための政治』の演説が流れて終わり」だと僕は思い込んでいたのです。
それが「リンカーンの映画」だろう、と。
ところが、150分の上映時間のこの映画の大部分は、ホワイトハウスと議会が舞台なのです。


リンカーン南北戦争中に「奴隷解放宣言」を出しますが、これだけでは、内戦終了後に奴隷制復活の可能性が残されます。
そこで彼は、南北戦争の収束がみえてきたのを受けて、「合衆国憲法修正第13条」の下院での可決をめざすのです。
憲法を改正してしまえば、よほどのことがないかぎり、奴隷制度を元に戻すことはできなくなるので。
ところが、共和党が持っている議席では、憲法改正のためには、20票も足りない。
おまけに、共和党のなかも一枚岩ではなく、「黒人にも完全な平等を!」と叫ぶ急進派もいれば、「戦争が終わって国がまとまるなら、奴隷制廃止にこだわる必要はない」と考えている人たちもいるのです。
そんななかで、この法案の可決のために、リンカーンと同志たちが、どのようにして多数派工作を行っていったのか?
これが、この映画のストーリーなんですよね。


南北戦争を舞台にした、大スぺクタル!だと僕も思ったんですけどね……
予告はそんな感じだったしさ。
とはいえ、冒頭や作中に「こんな短時間のシーンのために、こんなにリアルな戦場を撮影してしまうとは、やはりスピルバーグ!『プライベート・ライアン』の冒頭で、物語が始まる以前に、多くの観客をスクリーンから離脱させたスピルバーグ!」と再確認してしまいようなリアルな戦場シーンも挿入されているんですけどね(ちなみに、今回は腸がべっちょり、とかは無いです)。
こんなリアルな戦場シーンを入れなければ、制作費もかなり節約できると思うのですが(この映画のストーリーにはあまり関係ないといえばないですし)、それを入れずにはいられないのも、スピルバーグ監督らしさ、ではあるのでしょう。


この映画で、ダニエル・デイ=ルイスさんが演じているリンカーンは、絵的には「本物そっくり!」です。
考えてみれば、ほんの150年前くらいの人なのに、実際はどんな人だったかわからないというのも、なんだか不思議ではあるのですが、少なくとも「見た目は教科書でみたリンカーンそっくり」です。
この映画のなかでのリンカーンは、「奴隷解放と自由のために命を捧げた英雄」ではなく、アメリカの分裂、そして家族の分裂という危機に直面しながら、したたかに自分の最低限の目的を達成するための「落としどころ」を探っていく人物として描かれています。
リンカーンは、共和党の急進派からみれば「ヌルい平等主義者」であり、共和党の穏健派からすれば「いきすぎた理想主義者」なのです。
そんな中で、リンカーンは、奴隷制廃止を永続的なものとするための「合衆国憲法修正第13条」を成立させようとします。
まともな説得から、買収まがいの手段まで、あらゆる手練手管を尽くして(脅したりはしませんけどね)。


そして、リンカーンは、家庭内での軋轢にも悩まされます。
自分だけが戦場に行かなくて済むことに悩む長男、絶対に息子を失いたくない、と訴える妻、幼い息子。
英雄リンカーンでさえ、他人の息子を死地に送り出しながら、自分の息子は戦場に行かせたくない、という凡庸な親のひとりでもあったのです。


僕はこの映画を観終えて、考え込んでしまったんですよ。
「なぜ、リンカーンは、奴隷制度を廃止しようと思い、そのためにすべてを賭けたのか?」
この映画は、その疑問に答えてはくれませんでした。
作中では、その「動機」については、明示されていない。
いや、もっと言うと、そもそも「これが理由だ」というものは無かったのかもしれません。
でも、彼は「奴隷制度はやめるべきだ」という信念を持っていた。
そして、そのために力を尽くした。
リンカーンというのは、歴史上の偉人であるのと同時に「すごくヘンな人」ある意味「狂った人」ではないかと思うのです。
そうでもないと、ここまで「奴隷制廃止のためなら、なんでもする」ことはできなかったはず。
彼がもう少し理想主義的であれば、穏健派は抵抗したかもしれませんし、もう少し現実的であれば、なし崩し的に奴隷制度はどこかで復活することになったかもしれません。
結局のところ「政治」というのは、その「目的を達するための妥協点」みたいなものに、綱渡りをしながら粘り強くたどり着くことなのかもしれませんね。
理想と現実のあいだにある、狭い狭い道を通って。


そして、「民主主義」というのは、実に微妙なものだなあ、と考えさせられました。
僕自身が物心ついてからは、内閣不信任案が通るかどうか、というような場面でしか「国会での緊迫した決議」をみたことはないのですが、民主主義っていうのは、ひとつの国のなかで、さまざまな異論が出て、争っているような事項に関して、「国会で賛成多数であれば、規定の投票数を一票でも上回っていれば、それまで反対していた人も含めて、すべてがその決定に従わなくてはならないシステム」なんですよね。
この映画でいれば、あれだけ「憲法修正案」に反対していた人たちも、それが「可決」されれば、おとなしく従わなければならないし、実際に反対派たちはそうしました。
99対1ならともかく、51対49でも、49の側は、51に従わなければならない。
この映画の憲法修正の場合には、3分の2をめぐる攻防ですけど。
実際、51対49ならば、49の側が決まったことに現場で抵抗すれば、かなり混乱するだろうし、51の思い通りにはならないでしょう。
それでも、「民主主義国家」では、多くの場合、負けたほうは「自分の主張を引っ込めて従う」のです。
51対49と、49対51の実際の「差」は、わずかなものです。
敗れてもその決定に従うという「良心」がなければ、民主主義は成立しない。


日本人にはわかりにくい、なんて言う人もいるみたいですが、僕はこの映画、好きです。
トミー・リー・ジョーンズさんが「目的のためにとった行動」は、観ていて涙が出ました。
あれは「負け」なのか「勝ち」なのか?
「醜い妥協」なのか、「前に進むための選択」なのか?


良いことばかりしてきたわけじゃないけど、少なくとも、「自分たちが世界を変えるきっかけをつくるんだ」という気概を持っている、いや、持ち続けている国。
さまざまな「異なるもの」を、ぶつかりながらも受け入れ、慣れ、同化していこうとしている国。


なんのかんの言っても、アメリカって、すごい国だな、とあらためて思い知らされる映画です。

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