琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

銀河鉄道999

http://d.hatena.ne.jp/putikko/20050409/p2

↑の文章は、今から僕が書くこととは直接の関係はないんですけど、これを読んで思ったことを書きたくてしょうがないので書きます。
松本零二先生の代表作、「銀河鉄道999」では、鉄郎の旅の終わりが近づくにつれ、最初の目的であった「機械の体をタダでくれる星へ行く」という鉄郎の目的は、「生身の人間の『限りある生命』の素晴らしさ:を知った鉄郎のなかで、どんどん失われていくのです。
メーテルの「ここで途中下車して、一生のんびり暮らしてもいいのよ」という言葉に多少の心の揺れを感じつつも、鉄郎は、「それでも、僕にはこの旅の『終わり』を見届ける義務があるんだ」と決心し、終着駅に向かっていくのです。
実際は、そこで彼を待っているのは「ネジの機械の体にされて、機械の星の部品にされる」という運命だったのですが。
漫画的には、結局はハッピーエンドになりますけど、僕は正直、「どうして鉄郎は、わざわざ終着駅まで行ったのだ?」と思っていたのです。だって、そこには彼が「求めたもの」は、何もないはずなのに。

でもね、今はなんとなくわかります。鉄郎は、「旅の終わりを見届けたかった」のと同時に、自分の人生を自分で平凡なものにしてしまう「勇気」がなかったんじゃないかなあ、って。誰も知らないような星で、ラーメン屋をやって終わる一生も考えないわけではなかったのだろうけれど(ああ、そういえば999の「本物のラーメン」は素晴らしく美味しそうだった!)、そこで妥協して「あのとき、思いきって終着駅に行っておけば…」って愚痴りながら生きていくという想像は、「死」より辛い未来予想図だったのではないでしょうか。

なんというか、中途半端にエリート的な人生って、一心不乱に頂点を目指せるほどの「野心」もなく、さりとて、途中下車して自分が平凡な人間であると認められるほどの勇気もなくなってしまいがちなのではないかなあ。すべてを投げ出してやる!と言いながら、本当に投げ出すとどうなるかを瞬時に頭の中でシミュレートしてしまえるという、悲しい性。結局、なんのかんの言いながら、終着駅にたどり着くまで、降りることはできないのかな、と、最近、やたらと悲しくなるのです。
それでももう、この列車から降りることができなくて、ネジにされるかもしれない終着駅に僕は向かっています。

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