- 作者: 角田光代
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2007/03
- メディア: 単行本
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[要旨]
逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるのだろうか。理性をゆるがす愛があり、罪にもそそぐ光があった。角田光代が全力で挑む長篇サスペンス。
[出版社商品紹介]
誘拐犯と誘拐された子…2人の女の心に分け入ることで家族という不可思議な枠組みの意味を探る、サスペンスフルで胸をうつ長編。
「ひとり本屋大賞」3冊目。
かなり評価されているこの作品なのですが、僕の率直な感想としては、「で、この小説って、『負の拡大再生産』の話なんだよね」というものでした。
うーん、僕自身には体験することができない世界がすばらしい技術で描かれているというのはよくわかるし、こういう人もいるのかもしれないな、とは思うのだけれども、なんだかちょっと「受け容れがたい」作品なんですよ。
僕は希和子がやったことを全然理解できないし、「子供への愛情」なんて、こんなに何年も純粋なままではありえないという気がするのです。誘拐したのは自分を裏切った男と憎い女の子供で、希和子はお金もけっこう持っていたのだから、普通は「リセットして、新しい人生をはじめる」ことを選ぶのではないかと感じましたし。
何よりも、角田さんが、この犯罪者を「美化」しているように感じられるのが、なんだかとっても鼻につくんですよね僕は。
僕はこれを読みながら、
西原理恵子さんと『100万回生きたねこ』(活字中毒R。)
↑のエピソードを思い出したのですが、この『八日目の蝉』っていう物語は、結局のところ「人は負のスパイラルから逃れられないのだ」という話にしか読めなかったんですよね。そもそも、この娘バカすぎだろ、と。お前、子供の頃自分がされて嫌だったことを、なんでセックスできるようになったとたんに自分でやるんだよ……いや、人って「過ちを繰り返す」生き物なんですよ。それは、僕自身にしたって、この年であらためて自分のなかに「親の嫌だったところ」が含まれているのを再発見してわかったようなわからないような気分になることはあるもの。
でもね、僕はそういう「負のスパイラル」を「人間の弱さ」とか「それでも強く生きる」とかいうふうに美化してほしくないんだよね。そういう人にさんざん振り回されてきた人間としては、お前みたいなやつは、いっそのこと死んでしまえ、とか言いたくなる。
川本三郎:思わずホロリとしてしまう。犯罪者に心動かされる。小説の魔力である。
香山リカ:読者はやさしさの感覚が、心に静かに満ちるのを感じるだろう。
感じねーよ! どこの「ゆとり」ですかあなたたちは……
僕がこの作品から感じたのは「空虚さ」「偽善」と「人間の愚かさ」だけですよ。
角田光代さんという人には、「人間は愚かかもしれないけれども、それでも強く生きていくのだ」という作品が多いし、『対岸の彼女』は僕にも理解可能だったのですけど、正直、この作品、僕は嫌いです。同じ「罪の小説」でも、『私の男』は「罪を罪として描いている」し、僕にとっては完全に「別世界」の話だからかえって「物語」として感心できるのだけれども、僕はこういう「不倫と家庭崩壊の話」って読んでいるとつらくなるばっかりなんですよ。ほんと、客観的なレビューを期待している人(が、ここに来ているとは思いがたいけれど)には悪いのですが。
ただ、これだけ読んでいて不快になるくらいの「力がある」作品ではあるのでしょう。それは認めざるをえない。とりあえず最後まで読みましたしね。
Amazonのレビューでは女性には大好評なので、「女性じゃないとわからない小説」なのかな、とも思うのですが、これに「共感できる」ということそのものが、僕には正直よくわからない……
ただ、「住民票とか免許証を持たないで生きていく」っていうのは大変だろうなあ、とは思いました。行く先々で『電波少年』みたいに助けてくれる人が出てくるのは御愛嬌ですけどねえ。
ちなみに、この小説が読売新聞の夕刊で連載されたときのインタビューを↓にリンクしておきます。
子供を望む切実な感情のまま罪を犯す希和子。子供をさらわれた不倫相手と妻。その誘拐犯の女に、愛情を込めて育てられた娘。
「みんな余分な何かによって、人生を狂わされた人たちです。どこでだれに育てられても、そのプロセスが少々ゆがんでいたとしても、人格というものは破壊されない。そう信じたい」
人格破壊されまくっているようにしか思えなかったんですけど……
そして、そういうのを「利用」する男がこの世界には尽きないっていうのも、なんだかすごく絶望的な話です。
id:chakichakiさんは、こんな感想を書かれているのですが、僕はこの「理解できない」という感想に頷けます。
ただ、「この小説に共感できる人がけっこうたくさんいるのだ」ということは、頭に入れておくべきなのかもしれませんね。「こういうのが好きだ」「泣ける」って言う人に「嫌え!」「泣くな!」って強要できるようなものじゃないし。