琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

独断流「読書」必勝法 ☆☆☆☆


独断流「読書」必勝法 (講談社文庫)

独断流「読書」必勝法 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
坊っちゃん』『ロビンソン・クルーソー』『伊豆の踊子』『ハムレット』『罪と罰』―。文学史に燦然と輝く20作品を、シミズ博士のウンチクとサイバラ画伯の過激なマンガで大胆に解釈する。名作を読まなくても楽しめる、新機軸のブックガイド。清水義範が選ぶ泣ける物語ベスト10、王道ミステリーベスト10も収録。

清水義範さんの作家や背景に対する薀蓄たっぷりの文章と西原理恵子さんの本質に容赦なく切り込んでいくようなマンガによるブックガイド。
僕はこの文庫の序盤、『坊ちゃん』『ロビンソン・クルーソー』『伊豆の踊り子』『ガリヴァー旅行記』くらいまで読んで、「これは面白い!」と感心してしまいました。『ロビンソン・クルーソー』の「植民地主義」への反論としてスウィフトが『ガリヴァー旅行記』を書いたという話は、もう清水さんの十八番ですしね。
ロビンソン・クルーソー』の回で、サイバラさんがこの本を子どものころ読んだときの感想。

ちっとも遭難してないじゃん。
ねたきりじいちゃん。
仕事と子育てとカイゴで再婚大はずれのふらふら母ちゃん。
バクチばっかして帰ってこないとーちゃん。
ぼろぼろの汚い家。
お兄ちゃんはいつも怒ってばっかで家にいない。

うちの方が、まるっきし遭難してるっつうの。

これなんかもう、忘れられません。
子どものころって、小説や物語に対して、こういう読みかたをしていたな、という記憶がよみがえってきて。

ただ、中盤の『嵐が丘』あたりからは、息切れしてしまったのか、愛着を持っていない作品を取り上げることを「大人の事情」で強要されたのか、どうも読んでいて退屈になってしまいました。とくに思い入れのある作品を最初にやってしまったから、なのかもしれませんが、あまり親しみのない作品ばかりですしね。
清水さんは、バルザックの『谷間の百合』の回で「紹介する本のバランスをとるために、この作品を今回はじめて読んでみた」なんて書かれてますし、サイバラさんはいくつかの作品で「読む気なし!読まずに書く!」と宣言して、日常マンガを描いているのですが、読む側としては、やっぱり「作り手がやる気を失っているものが、読んでて面白いわけないだろ……」と言いたくもなるのです。
この連載、途中で何かトラブルでもあったのでしょうか……紹介する作品を10巻くらいにして、ちゃんと「語れる作品」だけにすればよかったのに……

まあ、ブックガイドとしてより、清水さんの薀蓄話とサイバラさんの一発芸のための本として読んだほうが良いのかもしれませんね。

ちなみに、僕がいちばん印象的だったのは、サイバラさんの「おすすめミステリー」。

千葉の花和村の長松は十二ではりつけになった。
三つの妹も両親も一緒に。
泣きさけぶ妹に長松は
「あんちゃんの顔 おもしろいから みれー。」

ベロ出しチョンマ

ほんまラストこの展開だけはあっと息をのんだよ。

この悲劇のシュンカンをグッズにして売るか千葉県民

あれが「ミステリー」かどうかはさておき、僕にとっても、忘れられない作品です、『ベロ出しチョンマ』。
小学校の文化祭の劇でやったんだよなあ(たしか僕は「ナレーター(1)」とかそんな役)。
あまりに「救いようのない話」。
しかし、あの話とか『フランダースの犬』が読者、視聴者に与える「教訓」っていうのは、「正直者はバカを見る」とか、「圧倒的な力の前には、正義や優しさは無力」という、いかんともしがたい「現実」ではないかと思うんですよね、「神や天国を持たない日本人」が、こういう話を子どもに読んで聞かせることに、どんなメリットがあるのだろうか?
(まあ、封建社会、階級社会はダメだ、というアジテーションなのかもしれないけど)。

参考リンク:天翔の部屋 : ベロ出しチョンマ Ⅲ(『ベロ出しチョンマ』のあらすじが紹介されています)

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