琥珀色の戯言

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晴れた日は巨大仏を見に ☆☆☆☆

晴れた日は巨大仏を見に

晴れた日は巨大仏を見に

内容(「BOOK」データベースより)
風景の中に、突然、ウルトラマンより大きな仏像が現れたら…。日本各地に点在する巨大仏。その唐突かつマヌケな景色(マヌ景)を味わうため、牛久大仏、釜石大観音など、“四十メートル以上”の巨大仏を探しては、いたってまじめに日本を巡る。巨大仏のある風景を見ると、なぜ胸が騒ぐのか。日本風景についても論じた、怪笑紀行エッセイ。

実は僕が前に働いていた職場の近くにも「巨大仏」があったんですよね。
でも、地元の人たちは、不思議なくらい、この巨大なモニュメントを「黙殺」していました。
どこにいても目に入るくらい巨大なんだけど、観光客がたくさん来るわけでもなく、宗教的なありがたさも感じられず、ただただ巨大で、邪魔。
しかしながら、地元の物好きが酔狂で造った迷惑建築でも、仏像の形をしていれば、なんとなく罵詈雑言を浴びせかけるのも憚られ……

いや、僕自身は、あの「巨大仏」って、怪しげな宗教団体の秘密基地みたいなものだとずっと思いこんでいたんですよ。
それこそ、近づいたら洗脳されるんじゃないかというくらいの勢いで。
でも、宮田さんも書かれている「ああいう巨大建造物が、周囲に黙殺されながら日常の風景に佇んでいる違和感」は理解できますし、僕も「見ないようにしながら、興味はあった」のです。
実際は、狂信的な宗教団体が造った、という巨大仏は全然なくて、「事業で成功してお金持ちになった人が、地元や社会への還元として」造ったんだけど、地元や社会のほうは戸惑うばかり、という例が多いようです。

 巨大仏を見る瞬間、ふと不気味な感じがよぎるのは、”ぬっ”と何かが異世界から顔をのぞかせているからなのだ。そして、異世界がのぞくまさにその感じが、見る者の好奇心をくすぐるのかもしれない。

 巨大仏旅行の目的とは、「巨大仏のある風景」をただただ味わうことである。
 あらかじめ断っておくが、牛久大仏についてさらに何かを調べようとか、なぜこんなものがつくられたのか考察しようというような気持ちは、私にはさらさらない。むしろ知りたいのは、なぜ自分はこんな風景に惹かれてしまうのか、あるいは「巨大仏のある風景」がかもし出す奇妙な味わいの正体は何か、ということのほうである。
 しかし、そういう疑問は、調べようにも、どうやって手をつければいいのかよくわからないので、とにかくひたすら見物しているうちに、奇妙な味の正体がわかればいいだろうし、結局わからないならそれはそれ、というのが巨大仏旅行における私のスタンスであり狙いなのである。

 この本のなかでは、現存する15体の「40メートル以上の大きさの巨大仏(ちなみに、ウルトラマンの身長が40メートルなのだそうです)が紹介されています。
 「巨大仏」というテーマが与えられたとして、僕ならば、やはり「誰が、なぜ、こんなものを作ろうとしたのか?」を探るか、「こんな無意味なもの造っちゃってバカバカしいなあ!」と茶化すかの、どちらかのスタンスで書いてしまうと思います。
 ところが、宮田さんは、「日常生活のなかに”ぬっ”と出現する巨大な異物への好奇心」と「それによって変化する日常の風景」を追いかけていて、終始「そこにあるものはあるものとして観る」ことに徹しているのです。
 読む側としては、「ただ巨大なだけで芸術的でもなければ、信仰の対象でもない仏像の同じような話が続く」というのはやっぱりダレるし、この文庫も後半はけっこう「流し読み」になってしまいました。
 それでも、「巨大仏」がずっと気になっていた僕にとっては、長年の心のつかえが取れたというか、「ああ、これでもう自分が直接巨大仏に潜入しなくてもいいな」と安堵できたエッセイでした。

 しかし、宮田さんも書かれているのですが、こういう巨大仏って、とくに戦後つくられたものは、観光スポットとして成功した例も信仰を集めた例もないのに、なんで全国で何か所も懲りずにつくられていったのでしょうかねえ……

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