琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

下町ロケット ☆☆☆☆☆


下町ロケット

下町ロケット

内容紹介
「その特許がなければロケットは飛ばない――。
大田区の町工場が取得した最先端特許をめぐる、中小企業vs大企業の熱い戦い!
かつて研究者としてロケット開発に携わっていた佃航平は、打ち上げ失敗の責任を取って研究者の道を辞し、いまは親の跡を継いで従業員200人の小さな会社、佃製作所を経営していた。
下請けいじめ、資金繰り難――。
ご多分に洩れず中小企業の悲哀を味わいつつも、日々奮闘している佃のもとに、ある日一通の訴状が届く。
相手は、容赦無い法廷戦略を駆使し、ライバル企業を叩き潰すことで知られるナカシマ工業だ。
否応なく法廷闘争に巻き込まれる佃製作所は、社会的信用を失い、会社存亡に危機に立たされる。
そんな中、佃製作所が取得した特許技術が、日本を代表する大企業、帝国重工に大きな衝撃を与えていた――。
会社は小さくても技術は負けない――。
モノ作りに情熱を燃やし続ける男たちの矜恃と卑劣な企業戦略の息詰まるガチンコ勝負。
さらに日本を代表する大企業との特許技術(知財)を巡る駆け引きの中で、佃が見出したものは――?
夢と現実。社員と家族。かつてロケットエンジンに夢を馳せた佃の、そして男たちの意地とプライドを賭した戦いがここにある。」


第145回直木賞受賞作。
受賞を知って、帰りに書店で購入して一気読みしてしまいました。
400ページ以上ある、けっこう分厚い本なのですが、読みやすくて、感情移入できて、そして、熱い本です。


研究者としてロケット開発に従事していたものの、打ち上げ失敗の責任をとり、「挫折」して中規模町工場の社長を継いだ佃航平。
そして、彼の会社が生み出した特許と、彼の会社「佃製作所」を手に入れるため、容赦なく襲いかかってくる大企業。


この小説、「善良な中小企業と悪どい大企業」という、ある意味ステレオタイプな枠組みで描かれているのが、僕にはちょっと気になるのです。
実際は、そんな単純なものじゃなくて、鼻持ちならない中小企業オーナーもいれば、理想に燃える大企業の社員もいます(この小説でも、そういう人たちは出てくるんですけどね)。
「法律」というのは、必ずしも「正しいもの」の味方ではなくて、それを熟知し、うまく利用することができる人たちの味方だということにも、暗澹とさせられますし。
一度「ネガティブなイメージを植え付けられてしまった企業」が、どんなつらい状況に陥るか、というのも、読んでいていたたまれない気持ちになりました。


この小説で描かれているのは、「ごく稀な、幸運な一例」なのではないか?と思うと、「感動」よりも「理不尽な世界への嫌悪」も感じます。


でも、「中小企業が、大企業の都合に翻弄されながらも、しぶとく生き延び、目先の利益ではなく、「自分たちの手の届く最大限の範囲での理想と理念」を追っていく姿に、僕は素直に感動できたんですよね。
ああ、「佃製作所」って、まさに、いまの日本のことじゃないか、って。


この『下町ロケット』は、2010年11月に出版されたものです。
これが書かれたときには、2011年3月11日に、日本であんなことが起こるとは、著者も含め、誰も予想していなかったはず。


今回の第145回直木賞に、この作品が選ばれた理由は、作品そのものの素晴らしさだけではないのかな、と僕は想像しています。
いまの日本には、中二病の「死にたい女子中学生の物語」じゃなく、こういう「逆境に立ち向かっていった人々を描く、勇気と希望を与える物語」が必要とされているから、だと思うのです。


人は、一度挫折しても、立ちあがることができる。
僕は、この本を読みながら、故・木村拓也さんのこんな言葉を思い出していました。

自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、エースになる」だけではない。巨人の藤田宗一投手は、中継ぎ登板だけで自分と同じ歳までやっている。それで飯が食える、それがプロ野球。「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかない。それもプロ野球。その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか。


ロケット開発の研究者としてのキャリアを捨てざるをえなかった佃航平は、町工場に「自分の居場所」を見つけ、その社長であることにプライドを持てるようになっていくのです。
もちろん、彼自身の力だけではなくて。
佃製作所の社員たちは、どんなに優れた技術があっても、一流大学卒のエリートではありません。家族の生活のために、「理想」より「安定した収入」を求める人たちも、当然います。
それでも、「生活のためだけに働く」のでは、何かが足りない。

「俺はな、仕事っていうのは、二階建ての家みたいなもんだと思う。一階部分は、飯を食うためだ。必要な金を稼ぎ、生活していくために働く。だけど、それだけじゃあ窮屈だ。だから、仕事には夢がなきゃならないと思う。それが二階部分だ。夢だけ追っかけても飯は食っていけないし、飯だけ食えても夢がなきゃつまらない」

「こんなのは、ささやかな夢物語」なのかもしれません。
それでも僕は、いま、この時期だからこそ、こういう夢物語が求められているのではないかと思います。


何が伝えたいのか自分でもよくわからない感想になってしまいましたが、とにかく「面白くて、元気が出る」小説です。

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