- 作者: ウォルター・アイザックソン,井口耕二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/10/25
- メディア: ハードカバー
- 購入: 58人 クリック: 5,321回
- この商品を含むブログ (358件) を見る
- 作者: ウォルター・アイザックソン,井口耕二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/11/02
- メディア: ハードカバー
- 購入: 68人 クリック: 1,873回
- この商品を含むブログ (240件) を見る
内容説明
取材嫌いで有名なスティーブ・ジョブズが唯一全面協力した、本人公認の決定版評伝。全世界同時発売!
未来を創った、今世紀を代表する経営者スティーブ・ジョブズのすべてを描き切った文字どおり、最初で最後の一冊!!
本書を読まずして、アップルもITも経営も、そして、未来も語ることはできない。
アップル創設の経緯から、iPhone iPadの誕生秘話、そして引退まで、スティーブ・ジョブズ自身がすべてを明らかに。本人が取材に全面協力したからこそ書けた、唯一無二の記録。
伝説のプレゼンテーションから、経営の極意まで、ジョブズの思考がたっぷり詰まった内容。ビジネス書、経営書としても他の類書を圧倒する内容。
約3年にわたり、のべ数十時間にもおよぶ徹底した本人や家族へのインタビュー。未公開の家族写真なども世界初公開。
ライバルだったビル・ゲイツをはじめ、アル・ゴア、ルパート・マードック、スティーブ・ウォズニアック、そして後継者のティム・クック……世界的に著名なジョブズの関係者百数十名へのインタビュー、コメントも豊富に。まさに超豪華な評伝。
発売された直後に購入したのですが、ようやく読了。
時間がかかったのは、この本がつまらなかったわけではなくて、最後の数十ページになって、「読み終えるのが惜しくなって」なかなか本を開くことができなくなったからです。
「スティーブ・ジョブズとは何者だったのか?」
この本では、ジョブズの少年時代から、アップルのCEOを引退するまでが書かれています。
僕にとってとくに印象的だったのは、ジョブズがまだ若かった頃、「スティーブ・ジョブズができるまで」の話でした。
優秀な技術者だった養父から受けた影響や、LSDやマリファナ体験、禅宗への傾倒、インドに「自分探しの旅」に出かけたことなど。
当時、多くの若者たちが、ジョブズと同じような道をたどり、「スピリチュアル人間」となって、ある人はそのまま行方知れずになり、ある人は「改心」して、「まっとうな社会人」になっていきました。
アップル創業当初には、こんなエピソードもあります。
衛生上の問題もあった。そのころジョブズはまだ、絶対菜食主義ならデオドラントも不要だし定期的にシャワーを浴びる必要もないと信じていた。事実に目を向ければそうでないことが明らかであるにもかかわらず。これまたマークラの頭痛の種だった。
「文字通り事務所の外に追い出し、シャワーを浴びてこいと言わなければならなかったのです。会議では、汚い足を見せられましたし……」
便器に足を突っ込んで水を流すという、ジョブズ独特のストレス解消方法も、まわりにとっては心が休まらなかった。
ジョブズには「能力」と「権力」があったとはいえ、「よくみんなこんな人と一緒に仕事をしていたよなあ」と考えずにはいられません。「専横がひどく、周囲の人間に『クソみたいなデザインだな』なんて平気で言っていた」という証言もあります。
その一方で、多くの大人たちが経験してきて、「あの頃は若かったなあ」なんて「反省」し、「なかったこと」にするような行動を、スティーブ・ジョブズという人は、終生、忘れることがありませんでした。
そして、製品について、妥協することもなかった。
若い頃のジョブズに、こんな話があります。
ジョブズの最初の恋人だった、クリスアン・ブレナンとのあいだに生まれた娘・リサに関して。
こうして1978年5月17日、女の子が生まれた。その3日前、ジョブズが来て赤ん坊の名付けがおこなわれる。このコミューンでは東洋風のスピリチュアルな名前を付けるのがふつうだったが、この子はアメリカで生まれたのだからそのような名前にすべきだとジョブズは主張。ブレナンも同意し、ふたりでリサ・ニコール・ブレナンという名前を付ける。ジョブズという姓の入らない名前だ。名前を付けると、ジョブズは、ブレナンたちを置いてさっさとアップルの仕事に戻ってしまった。
「赤ん坊ともわたしとも、いっしょにいたくなかったみたいね」
ブレナンとリサは、メンロパークのあるホームに入り、ぼろ屋で暮らしはじめる。生活費は生活保護だ。子どもの養育費を求める訴えを起こす気にブレナンがならなかったからだ。いろいろあったが、最後は、生活保護を支給していたサンマテオ郡がジョブズを訴え、認知と養育費の支払いを求める。ジョブズは全面的に争う構えを見せ、彼の弁護士は、ふたりがベッドをともにしているのを見たことがないとコトケに証言させるとともに、ブレナンがほかの男と寝ていた証拠を並べようとした。
「電話でスティーブに叫んだことがあるわ。『そんなの違うじゃない』って。赤ん坊を抱えたわたしを法廷で引きまわし、わたしは売女であの子の父親が誰かなんてわかるはずがないって彼は証明しようとしたのよ」
当時すでにジョブズはアップルを創業し、かなりの資産を持っていました。
にもかかわらず、こんな態度をとっていたのです。
リサが生まれた1年後、DNA鑑定により、「ジョブズが父親である可能性は、94.1%」という結果が出て、ジョブズは、リサを認知し、養育費を支払うこととなりました。
ところが、ジョブズの往生際の悪さは、その後も続きます。
ことここにいたっても、ジョブズは、自分のまわりの現実を歪め続けた。
「取締役会のメンバーにもようやく話をしてくれたが、そうなってもまだ、自分が父親ではない可能性がかなりあると主張していた。ほとんど妄想の世界だった」
とアップルの取締役を務めていたアーサー・ロックも語っている。
タイム誌のマイケル・モリッツ記者に、統計的に分析すると「あの子の父親である可能性は米国人男性の28%にある」と語ったこともある。
でも、僕がジョブズを本当に怖いと思ったのは、その少しあとの、このエピソードでした。
この頃アップルは、HP(ヒューレット・パッカード)社からふたりのエンジニアをスカウトし、ジョブズのもとでまったく新しいコンピュータの開発にあたらせた。このコンピュータにジョブズは、心理学を学んだ人間ならどれほど疲れてぼんやりしていても「えっ」と思うような名前を付ける。
リサ(Lisa)だ。
自分が見捨てた娘の名前、いや、自分の娘だと完全に認めてさえもいない子どもの名前なのだ。たしかに、コンピュータにデザイナーが自分の娘の名前を付けるケースは多かったが――。広告代理店のレジス・マッケンナ社でこのプロジェクトの広報を担当していたアンドレア・カニンガムも驚いた。
「罪の意識からそうしたのかもしれません。ともかく、我々としては、子どもの名前以外が語源だと説明できるように、頭文字がLISAとなる言葉を用意する必要がありました」
こうして用意されたのが「Local Integrated Systems Architecture」――とくに意味はない言葉だが、公式にはこれがLISAの語源だとされた。口さがないエンジニアの間では、「Lisa:Invented Stupid Acronym」(リサーー新造のくだらない頭字語」と呼ばれたりもした。
なお、本書を執筆するにあたってジョブズ本人に確認した結果は、
「僕の娘にちなんだ名前に決まってるじゃないか」
だった。
ジョブズは、望まれずに生まれてきた、自分の娘を、愛していたのだろうか?
「自分の娘であることすら認めようとしない」というのと、「自分の会社でつくった『愛機』に、その娘の名前をつける」ということに、僕はものすごく矛盾を感じます。
だって、そんな娘の名前を、新製品をみるたびに思い出すなんて……
この本を読んでいると、たぶん、ジョブズにとっては、娘への「憎しみ」も「愛情」も、それぞれ「真実」だったのだろうと思います。
ジョブズの人生を読み進めていくほど、ジョブズという人は、「こういうふうにしか、生きられなかった人」なのだという気がしてくるのです。
そして、「そういう生き方を貫く」ために、ジョブズは自分の「やるべきこと」にこだわり、その目的に合った人を、とっかえひっかえ自分の周囲に置かざるをえなかった。
でも、それだからこそ、周りの人間にとっては、ジョブズは「単なる冷たい人間」よりも、残酷だった。
この本を読んでいくと、ジョブズとともにアップルで過ごしてきたひとたちのなかで、ジョブズの「パートナー」をずっと努めてきた人が誰もいないことがわかります。
それがアメリカの企業文化なのかもしれませんが、日本の企業の「創業物語」のような「忠実なパートナー」は、ジョブズには存在しなかったのです。
ジョブズは、スカリーのように、自分から三顧の礼で迎えた人物でさえも、しばらくすると強く批判し、排除していきます。
もちろん、アップルという会社にとっては、それが「正解」だったのでしょうけど。
ジョブズ自身も、一度はアップルを追われています。
僕は、この本を読むまで、疑問だったのです。
スティーブ・ジョブズ自身は、デザイナーでも、プログラマーでもない。
にもかかわらず、なぜ、ジョブズは突出して、「クリエイターたちの神様」として崇められているのか?
かつてジョブズは父親から、優れた工芸品は見えないところもすべて美しくし上がっているものだと教えられた。これをジョブズがどれほど突きつめようとしたのかは、プリント基板の例を見るとよくわかる。チップなどの部品が取り付けられたプリント基板はマッキントッシュの奥深くに配置され、消費者の目には触れない。そのプリント基板でさえジョブズは、美しさを基準に評価したのだ。いわく、その部品はすごくきれいだ。いわく、あっちのメモリーチップはみにくい、ラインが高すぎるーーと。
そのようなことに意味はないと新参のエンジニアが反論したことがある。
「重要なのは、それがどれだけ正しく機能するかだけです。PCボードを見る人などいないのですから」
ジョブズはいつもどおりの反応をする。
「できるかぎり美しくあってほしい。箱のなかに入っていても、だ。優れた家具職人は、誰も見ないからとキャビネットの背面を粗悪な板で作ったりしない」
数年後、マッキントッシュが発売されたあとのインタビューでも、父親から学んだこの点に触れている。
「引き出しが並ぶ美しいチェストを作るとき、家具職人は背面に合板を使ったりしません。壁にくっついて誰にも見えないところなのに、です。作った本人にはすべてわかるからです。だから、背面にも美しい木材を使うんです。夜、心安らかに眠るためには、美を、品質を、最初から最後まで貫きとおす必要があるのです。
隠れた部分にも美を追求するという父親の教えにつながるものを、ジョブズはマイク・マークラから学んだ。パッケージやプレゼンテーションも美しくなければならないのだ。たしかに人は表紙で書籍を評価する。だから、マッキントッシュの箱やパッケージはフルカラーとし、少しでも見栄えがよくなるようにさまざまな工夫をした。
「50回はやり直しをさせたと思いますよ。開いたらゴミ箱に直行するものなのに、その見栄えにものすごくこだわっていたのです」
ジョブズは、誰も持っていなかった「審美眼」を持っていた人物でした。
自ら製品をつくることはなくても、「何がいちばん素晴らしい製品なのか」を決めることができたのです。
そのためには、全く妥協を許しませんでした。
これはある意味「非合理的」なのですが、にもかかわらず、ジョブズのもとには、「世界を驚かせる製品」をつくるために、たくさんの有能な人材が集まってきたのです。
この本を読んでいると、アップルとマイクロソフトというのは、まさに、ジョブズとビル・ゲイツの人柄と「コンピュータ」に対する考え方を具現化した会社なのだな、という気がします。
個性や人格の違いから、ふたりは、デジタル時代を二分するラインの両側に分かれた。ジョブズは完璧主義者ですべてをコントロールしたいと強く望み、アーティストのように一徹な気性で突き進んだ。その結果、ジョブズとアップルはハードウェアとソフトウェアとコンテンツを、シームレスなパッケージでしっかりと統合するタイプのデジタル戦略を代表する存在となった。これに対してゲイツは頭がよくて計算高く、ビジネスと技術について現実的な分析をおこなう。だから、さまざまなメーカーに対し、マイクロソフトのオペレーティングシステムやソフトウェアのライセンスを供与する。
知りあって30年がたち、ゲイツは不本意ながらもジョブズに敬意を払うようになった。
「技術そのものはよくわからないというのに、なにがうまくいくのかについては驚くほど鼻が利きますね」
一方、ジョブズは、ゲイツの強さを正当に評価しようとしない。
「ビルは基本的に想像力が乏しく、なにも発明したことがない。だから、テクノロジーよりもいまの慈善事業のほうが性に合ってるんじゃないかと思うんだよね。いつも、ほかの人のアイデアをずうずうしく横取りしてばかりだから」
「自分たちが、最高のものを完成した状態で、人々に見せるのだ」というジョブズと、「いろんなことができる土壌を提供することによって、人々のなかから、より良いものが立ち上がってくるはずだ」というゲイツ。
ふたりは、まさに「水と油」なのですが、その一方で、コンピュータの世界がこうして発展してきたのは、この2つの異なる価値観で、両者がせめぎあってきたから、なのだとも言えるでしょう。
この本の最後のほうで、病状が悪化したジョブズの自宅を突然ゲイツが訪ね、ふたりきりで3時間、話をした、というエピソードが紹介されています。
ふたりは、「仲良し」ではなかったのかもしれないけれど、お互いの「歴史における役割」を、認め合っていたのではないかなあ。
晩年、イスタンブールを旅していたとき、「若者のグローバリゼーション」について、ジョブズはこんなことをひらめいたそうです
あれは本物の啓示だったよ。そのとき僕らはみんなローブを着ていて、淹れてもらったトルココーヒーを飲んでいた。そのコーヒーは淹れ方がほかの地域と違うんだと教授はしきりに説明してくれるんだけど、その瞬間に思ったんだ。「それがどうした」ってね。トルコも含めて、どこの若者がトルココーヒーのうんちくなんて気にするんだ? 丸一日、イスタンブールを歩いて、そのあいだにたくさんの若者を見たよ。みんな、ほかの国の若い連中と同じモノを飲んでいたし、ギャップあたりで売っていそうな服を着ていたし、みんな、携帯電話を使っていた。ほかの国の若者にそっくりなんだ。つまり、若い連中にとって世界はどこも同じ、そういうことなんだ。僕らが作る製品も、トルコ電話なんてものもなければ、ほかの地域と違ってトルコの若者だけが欲しがる音楽プレイヤーなんてものもない。いま、世界はひとつなんだ。
僕は先日、バリ島とシンガポールを旅行しました。
はじめて行った外国のさまざまな場所で、僕は、たくさんのiPhoneをみかけたのです。
うまく言葉にできないのだけれど、僕は旅先でiPhoneを見かけるたびに、すごく安心したんですよ。
ああ、言葉は通じないけれど、こうして同じiPhoneを使っている人たちが、ここにもこんなにいるんだ!
たぶん、こういうのが、ジョブズが感じていた「世界はひとつ」なのでしょう。
どんな国でも、どんな文化でも、iPhoneを使っている人がいる。
最高のガジェットで、世界はつながっている。
上下巻で870ページもある、かなりボリュームのある本です。
しかしながら、ジョブズの人生は、この本でさえも、まだ語り尽くされていないようにも感じられます。
もしかしたら、ジョブズの最高の作品は「スティーブ・ジョブズ自身」だったのかもしれません。
ジョブズに、コンピュータに、そして、いまの時代に興味があるすべての人へ、自信を持ってオススメします。
参考リンク:『林檎の樹の下で 〜アップルはいかにして日本に上陸したのか〜』感想(琥珀色の戯言)
- 作者: 斎藤由多加
- 出版社/メーカー: オープンブック
- 発売日: 2011/10/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (7件) を見る
ちょっとジョブズとアップルが嫌いになるかもしれませんが……