参考リンク(1):乙武さん入店拒否問題で考える「セレブ意識の客、セレブ意識の店」(モフモフ社長の矛盾メモ)
ネット上で良くも悪くも「盛り上がっているこの話」。僕が読んだもののなかで、かなり冷静に書かれていると感じたものをとりあえず紹介しました。
僕はどちらが正しいのか、というのにはあまり興味がなくて、「飲食店は障害をもつ人にどう対応していけばいいのか?」という本題そっちのけで、ネット有名人たちが「お前のほうが偉そうだ!」とかマウンティング合戦を繰り広げているのを生温かく観察していたのです。
でも、僕も下世話な人間なので、一枚くらいは噛んでみようかと思って。
参考リンク(2):ココロのバリアフリーで誰もが生きやすい世の中に | SYNODOS -シノドス
これ、素晴らしいエントリなんですよ。罵倒合戦ほど読まれていないけれども。
事故で脊髄を損傷し、車椅子生活を送っている池田君江さんが、自らの「外食体験」を語っておられるのですが、池田さんは「有名人」とか「セレブ」じゃありません。
にもかかわらず、決して広くもなければ、構造的にバリアフリーを意識していたわけでもなさそうな串カツ屋さんは、彼女の「この店で食べてみたい」という願いを、快く受け入れてくれました。
このエントリを読んでいて思うのは、「車いすの人を受け入れること」というのは、本当に店にとって、いや社会にとって、マイナスな面ばかりなのだろうか?ということなんですよ。
ネットでの反応をみていると、店側のデメリットばかりが強調されているような気がしてなりません。
僕はこのSYNODOSのエントリを読んで、ああ、世の中まだまだ捨てたもんじゃないな、と嬉しくなりました。
この店で食べていた人たちは、池田さんと直接言葉は交わさなくても、「ここはいい店だな」という気分になれたと思うのです。
以前オーナーが「池田さんと出会ったおかげで、スタッフの接客が断然よくなった。きてくれてよかった」と言ってくださいました。食事中のお客さんに席を立っていただくようにお願いするには、丁寧な接客が必要でしょう。そのとき、ちゃんとココロを込めてお願いをすれば、お客さんも嫌な顔せずに席を立ってくださるんです。
それに帰り際に、わたしと少しお話をしてくださったり、コミュニケーションが生まれるきっかけにもなっていて。ココロのあるお店には、ココロのあるお客さんが集まるのかなと思っています。
世の中、「誰かに親切にするのは損だ」って考えの人ばかりじゃないと思うのです。
「車いすの人を運ぶのはリスクがあるし、迷惑だ」って店ばかりじゃないし(ちなみに、乙武さんが告発した店に関しては、構造上かなり厳しかったのは事実ですし、僕は非難するつもりはありません。ああ、余裕がなかったんだな、と感じただけです。ある意味、乙武さんの「問題提起」の題材にされてしまって、ちょっとかわいそうだな、とも思います)、「ハンディがあっても、うちの店で食べたいと思ってきてくれる」ということに、意気に感じる店だって多いはず。
僕が知っているサービスのプロフェッショナルたちは、そういうときにこそ、自分の「ホスピタリティ」が試されているのだと「燃える」人ばかりです。
人は、けっこう他人に親切にしたい生き物なんですよ。
それが「ええかっこしい」なんて白眼視されるような環境でないかぎり。
乙武さんが書かれた『自分を愛する力』という新書を最近読みました。
そのなかに、乙武さんが学校の先生をやっていたときの、こんなエピソードが書かれています。
乙武さんが教師として赴任したとき、最初は「いざというときに『体を張って子どもたちを守る』ことができない」と、申し訳なく感じていたそうです。
そうした罪悪感から僕を救ってくれたのが、じつはクラスの子どもたちだった。はじめのうちこそ、手も足もない担任に戸惑い、身がまえていた彼らだったが、慣れてくると、ずいぶんその距離が縮まっていった。そして、その行動にも変化が表れてくるようになっていったのだ。
たとえば、牛乳キャップ。爪のない僕には、給食で出てくる牛乳ビンのフタを開けることはできないので、はじめは介助員がわざわざ僕の席まで来て、開けてくれていた。ところが、しばらくすると、近くの席の子どもが何も言わずとも開けてくれるようになった。
たとえば、漢字ドリル。休み時間に、僕が宿題に出した漢字ドリルの丸つけをしていると、いつのまにか子どもたちが僕のまわりに来て、ドリルを押さえたり、ページをめくってくれるようになった。
「僕たちの担任は、手と足のない障害者だから、僕たちが手伝ってあげなければーー」
そんな気負いがあったわけでもない。彼らはごく自然な形で、僕の手伝いをしてくれるようになったのだ。
そのやさしさは、やがて僕だけでなく、まわりの友達にも向けられていくようになる。ギプスをして腕を吊っている子がいれば、荷物を持ってあげようと歩み寄る子がいた。牛乳をこぼす子がいれば、何人もの子がいっせいに立ちあがって、後始末に走りだした。そうした行動も、「わざわざ」「恩着せがましく」ではなく、困っている人がいれば、自然に手を貸すーーそれがあたりまえという雰囲気ができていったのだ。
現場では、必ずしもこういう幸福なケースだけではなく、「ハンディキャップを持つ子が、イジメの対象になる」ことであってあるはずです。
だから、これはあくまでも「美談」であり、「レアケース」なのかもしれません。
でも、ハンディキャップを持つ人と「共生」することは、「障害を持たない人」にとって、プラスになることも多いのではないでしょうか。
もちろん、障害を持つ人にも、積極的にその場に入ってきてもらわなければならないし、「リスクをゼロにはできない」ことを理解してもらわなければならないのだけれども。
マイノリティに優しい社会は、たぶん、マイノリティじゃない人にも優しい社会です。
僕は仕事柄、「健常者」から「障害を持つ立場」になった人を、大勢知っています。
きっかけは、交通事故であったり、脳血管障害であったりするのですが、大部分の人は「まさか自分がそうなるとは」と悩み、苦しみます。
逆にいえば、僕やあなたが、明日は車いす生活になっている可能性だって、十分にあるのです。
障害を持つマイノリティを差別することは、近い未来の自分自身を差別することかもしれない。
それにね、日本は、あと30年くらいすれば「超高齢化社会」ですよ。
三浦展さんの『日本人はこれから何を買うのか? 』という新書のなかで、こんなデータが紹介されています。
2010年の一人暮らし世帯は20代だけで334万世帯、30代が260万世帯。しかし2035年は、団塊ジュニアが60〜64歳になり、50歳以上の中高年全体では372万世帯増え、1211万世帯になる! 一人暮らし世帯の3分の2が50歳以上なのだ。
これは「国立社会保障・人口問題研究所」による推計だそうです(2013年1月推計)
もう、逃げも隠れも見ないふりもできない時代が、すぐそこまで来ているのです。
超高齢化社会+「一人暮らし世帯の増加」となれば「外食産業のバリアフリー化」が進むのは当然の流れでしょう。
逆に、店側にとっても「バリアフリーであること」が、大きなメリットを生むはずです。
「障害を持つ人への『特別扱い』について厳しい意見」が、今回たくさん出てきたことは、けっこう良いことだと思うんですよ。
「ホンネ」がわからないと、きれいごとばかりが並べられて「解決」したことにされてしまうから。
乙武さんは、もしかしたら、確信犯なんじゃないか、とも感じています。
槍玉に挙げられた店は、そういう意味でも、ちょっとかわいそうではある。
こういうふうにしか対応できない店は、けっしてここだけではないはずだから。
僕がここで言いたかったのは、「いろんな人が、一緒にご飯を食べられる社会のほうが、生きやすくないですか?」ってことだけです。
で、「意識高い系ブロガー」みたいな人を除く、「ふつうの人」は、「まあそうだよね」って言ってくれると思っています。
やっぱりさ、自分の子どもにも、「あっ、車いす一緒に抱えましょうか」ってサラッと言える大人になってほしいから。
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