琥珀色の戯言

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【読書感想】風に吹かれて ☆☆☆☆☆


風に吹かれて

風に吹かれて

内容紹介
宮崎駿高畑勲という二人の天才を支え続けてきた、 スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫のすべて。 インタビュアー、渋谷陽一が名プロデューサーの足跡を辿り、その思想に迫る。 「鈴木敏夫は、アニメの神様がこの世に送った使者だ」――渋谷陽一。 名古屋で過ごした少年時代から、学生運動に揺れた大学時代、 『アニメージュ』の編集長として二足の草鞋を履きながら、 「風の谷のナウシカ」などを完成させる徳間時代、 プロデューサーとして、日本映画の記録を塗り替えたジブリ時代、そして現在――。 「風立ちぬ」公開を直前にして、ジブリを、そして自分自身を語り尽くした8時間のインタビュー。 あわせて、「アリエッティ」「コクリコ坂」などの公開前インタビュー6本を収録。 鈴木敏夫の世界観、ジブリ映画の制作秘話、スタジオジブリのこれからを伝えるファン待望の一冊。

これは面白かった。
僕はインタビュー本や対談集がけっこう好きで、かなり読んでいるのですが、そのなかで少なくとも5本の指には入るのではないかと思います。
インタビュアーの渋谷陽一さんが、鈴木さんに対して「あなたは○○なんだ、認めなさいよ」っていうような、決めつけを連発するのが、読んでいて「ちょっと出しゃばり過ぎなのでは……」と気になったのです。
ただ、鈴木敏夫さんという人は、すごく話が面白いのだけど、ちょっと「話を盛る(大げさに話す)」傾向があるらしいので、おとなしく「ハイ」と聞いているだけのインタビュアーよりも、こういう「毒をもって毒を制す」感じで、鈴木さんばかりが喋るのではないインタビューのほうが、バランスがとれるのかもしれませんね。

 宮崎駿高畑勲も、鈴木敏夫が居てこそ作品が作れる、ジブリ鈴木敏夫が居てこそのジブリなのだ、と言う人は多い。僕もそう言ったりする。しかし、実際のところ鈴木敏夫が何をしているのか、それは他の人をもって替える事は不可能なのか、それを正確に言える人はいないのではないか。プロデューサーなのだからお金を集めて来るのが役目だ。それだけが鈴木敏夫の仕事だとするなら、優秀な企画マンが居ればジブリは大丈夫なのか? それも違うだろう。では鈴木敏夫は何をやっているのか。鈴木敏夫とは何者なのか。その疑問に鈴木敏夫自らが答えるのがこの本だ。


それにしても、鈴木敏夫さんの話は滅法面白い。
宮崎駿高畑勲というふたりの天才のことを、「人間」としてこんなに率直に語れるのは、長年一緒に闘ってきた鈴木さんだけではないか、と思うんですよ。
日本を代表する映画監督である宮崎駿という人は、ある意味「聖域」と化していて、「宮崎駿のくせに、こんな左翼的な発言をしやがって!」なんてネットで叩かれることもあるのですが、この本を読んでいると、「宮崎駿はずっと昔から、そういう思想を持っていた人であり、ビッグネームになってもブレていないだけ」だということがよくわかります。
鈴木さんも、「学生運動の広報部長」がそのまま年を重ねてしまったような、そんな雰囲気があるんですよね。


鈴木さんは、徳間書店の『アサヒ芸能』での編集者時代のことを振り返って、こんな話をされています。

「ついでにいっちゃうと当時、無差別殺人ってあってね。三菱重工爆破事件で”狼夫婦”っていうのが捕まって、それで、ほとんどの週刊誌が、この夫婦がどういう夫婦であったかなんてバカな記事をやるんだろうと思ったから、その無差別殺人で被害に遭った遺族たちの話をやろうと思ったんですよ。というのは、新聞を読むでしょう。そうするとみんな遺族の方たちが『(犯人が逮捕されて)これで息子も浮かばれる』、『これでお父さんも天国へ行ける』ってそんな記事ばっかりなんですよ。それが気になったんですね。それでその新聞を持って一人一人回ってみたんですよ。『こんなこと言ったんですか?』って。誰もいっていないんですよ。記者に『これで浮かばれますね』っていわれて『はあ、まあ』っていったら、『浮かばれます』になっちゃう、っていうことなんですよ。これいったいどういうことなのかを書きたくなってね。で、その中のある人が教えてくれたんですけれどね、『(これで息子さんも浮かばれますね)といってきた記者に対してあなたはどう思いましたか』って聞いたら『腹が立つ。本当に頭に来た。むちゃくちゃですよ。だけどもっと腹が立ったことがある。三菱重工爆破の一日か二日後、全銀行が押し寄せました。<補償金が入ったらぜひうちの銀行へ>って』というのを全部記事にしたんですよ。これは、自分としても面白い記事ができたと思いますね」


――鈴木さんは、要するに、建前ではない現実に迫りたくてしょうがないんですね。


「ああ、そういうことができるんだ、ということが分かったんですね。それが面白かったんですね。でも、そのころ、デスクにいわれるんですよ。『君の記事は社会性があり過ぎる』って」


鈴木敏夫という人自身も、ある種の「行動する思想家」だったのです。
ジブリの作品が「きれいごと」だけで終わっていないのは、こういう人たちが作っているから、なのですよね。
週刊誌の記事として書いたら、読み捨てられるようなものでも、宮崎駿監督の手でアニメーション映画になれば幅広い人に伝わる、という快感もあったのではないでしょうか。


それにしても、困った人たちなんですよ、この宮崎駿高畑勲の「天才コンビ」。
不世出のアニメーション制作者であるけれど、作品に妥協は許さず、他人に任せる、ということがなかなかできない「天才」宮崎駿
天才的なプロデューサーであり、監督なのだけれども、偏屈で話が長く、自分の監督作品となると妥協できずに締め切りを守れなくなる高畑勲
とにかく、めんどくさい人たちなんです。
「天才」であることはまちがいなんだけど。
ふたりの作品はすばらしいけれど、あまりに他の作品とやり方が隔絶していて、スタッフに「自分の要求水準」を満たさせるため、ふたりの作品を作り終えたあとの制作会社はみんな抜け殻のようになって潰れていった、なんて話もあります。
でも、当時『アニメージュ』の副編集長と、宮崎駿アニメのプロデューサーを兼務していた鈴木さんは、「そんなやり方じゃあ、長続きしないよ。もっと付き合いを大事にしようよ」なんて言いませんでした。
「まあ、そういうことがあるのも、世の中だから」
鈴木敏夫という人は、宮崎駿高畑勲両監督のことが、本当に好きだったのだなあ、と思うのです。
スタジオジブリ』というのも、ふたりが作品をつくるために、要求水準に見合ったスタッフを集めてくるのが大変だから、ということで、とにかく「安定したスタッフ」を持つ、ふたりの「所属する場所」を決めて、映画を何本か作れたらいいや、という感じでスタートしたそうです。
結果的に、ジブリはこれほど大きな存在になっていますが、このインタビューを読んでいると、鈴木さんは「社会的責任」を感じているのと同時に「宮崎駿の映画をつくらないジブリ」に、そんなに未練は無いような気もするんですよね。
鈴木敏夫という人は、「天才を活かし、作品をつくるためには、犠牲はつきものなのだ」と割り切っているようにも思われるのです。
そして、純粋すぎるところがあるふたりの天才のために、あえて「汚れ仕事」を引き受けている。
ただ、それは「良心」というよりは「良い作品をつくるのにコミットしたい」という鈴木さん自身の野心でもあるのでしょう。


このインタビューのなかでは、ジブリの「後継者問題」についても、かなり突っ込んだやりとりがなされています。
耳をすませば』を近藤喜文監督で制作したときの話です。

――これはジブリ的にはすごく大きなトライアルじゃないですか。要するに、宮崎、高畑以外の監督が撮るという。


「だけど宮さんは単に優しいだけの人じゃないから。要するに自分の描いた絵コンテで宮崎アニメはつくれるかという実験でもあったと思いますね、クールないい方をすれば。もしこれが成功していたら、その後、そのやり方を採ったかもしれない。やっぱりアニメーションの映画監督って体力勝負なんですよ。コンテを描いてそれに芝居をつけて動かすことができて初めて作品になるわけでしょう。そうすると、宮さんと同等の力を持ちながら、それをやってくれる人がいれば宮崎作品は量産できたんですよ。宮さんがそこまで考えていたかどうか分かりませんけれど、あの作品は、近ちゃんには失礼かもしれないけれど、宮さんが描いた絵コンテをほぼ宮さんの思うとおりにやってくれた。そういうことでいうと、大成功作ですね。ところが残念ながら、この近ちゃんという人は、この映画の数年後、若くして亡くなっちゃうんですよ。47歳でしたけどね。だから、彼が死んじゃったことが、ジブリの運命を僕は決めたんじゃないかなって思ってて。もし彼が生き続けて、現在も元気だったら、宮さんの代わりに、宮さんの描いた絵コンテで宮崎作品をつくるということをやってのけていたでしょうね。そういう人だと僕は思います。宮さんはたぶん、『違う』っていうでしょうけれどね」


(中略)


――となると、近藤さんがもしずっと活躍なさっていても、ある時点で宮崎さんとは決裂したんじゃないかという。


「それはありました。つくっている最中もそうだったし。例えば、あのファンタジーで物語の世界が出てくるシーンがあるでしょう。猫の男爵が出てきて。あそこのシーンは彼にやらせなかったんですよ。全部自分でやっちゃうんですよ」


――それじゃ意味ないじゃないですか。


「まあ、宮さんってそういう人だから。我慢できない人なんです(笑)」


――後に米林(宏昌)さんという非常に優れた監督が現れるんですけれども、そのときのやり方は鈴木さんの知恵ですか?


「あれは運がよかったんですけれどね、本当に」


――彼がつくるとき、そこから宮崎さんを隔離したっていうのは『耳をすませば』の反省が反映されていると考えてもいいのかもしれませんよね。


この本のなかでも、「宮崎駿近藤喜文の演出のちがい」を鈴木さんが解説しているところは、すごく読みごたえがありました。
耳をすませば』の「雫が地球屋で壁にもたれかかってへたり込む場面」ひとつが、演出の差によって、こんなに違ってみえてくるのか!と。
興味がある方は、ぜひこの本を手にとってみてください(186ページにあります)


あの宮崎駿に、いつも接していられるのは幸せなのだろうけれども、同じ「監督」としてチェックされ続けるというのは、かなりキツイことのはずです。
宮崎駿という人は、自分があまりにも優れたクリエイターであり、審美眼が厳しいため、「若手を信じて任せる」ことが、なかなかできないのです。
「任せる」つもりではじめても、ついつい、口も手も出てしまう。
そして、宮崎駿監督は「こういうのもアリだな」という妥協というか「他人の基準への寛容さ」に乏しくて、「宮崎駿基準」で判断してしまう人なのです。
いや、だからこそ、あれだけのクオリティの「自分の作品」ができるのだけれども、「人を育てる」ということには、かなり不向きなタイプなんですよね……
アリエッティ』の米林監督は、そのプレッシャーを避けるため、最初の数か月間、鈴木さんによって宮崎監督の目の届かないところに「隔離」されていたそうです。


もうひとりの天才、高畑勲さんも製作予定が遅れに遅れた挙句、『火垂るの墓』を「未完成で公開する」などという、大きな汚点を残してしまいます。
それでも、鈴木敏夫さんは、高畑監督に映画を撮らせ続けた。
才能はわかっていても、人柄のややこしさと妥協をしないためにスケジュール度外視の仕事ぶりに、それまで、「高畑勲監督と2本一緒に仕事をしたプロデューサーはいなかった」そうです。
高畑監督の作品がこれだけ世に出たのは、鈴木敏夫さんの信頼と忍耐のたまものでしょう。
高畑監督にとっては、なんのかんの言っても、ある程度定期的に作品をつくれる宮崎駿監督と、ずっと一緒にやってきたことが、結果的には最大の生き残るための戦略にもなっているのではないかと。
いくら「天才」でも、高畑監督ひとりを抱えたスタジオでは、あまりにも計算が立たなさすぎるので。
宮崎駿監督も、高畑監督という「ライバルであり、口喧嘩仲間」がいることによって、能力をいっそう発揮できたのです。
本当に『スタジオジブリ』というのは「困った大天才たちの、奇跡的なシンクロによって成り立っていた」のだよなあ。

千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず

という有名な故事成句があるのですが、もし、鈴木敏夫という豪腕プロデューサーに出会わなかったら、宮崎駿監督も、高畑勲監督も「市場の論理」に飲み込まれ、「実力はあるんだけど、扱いにくくて使えない人」として不遇な生涯をおくっていたのではないかと思われます。
もちろん、鈴木敏夫さんの力だけで『トトロ』や『もののけ姫』をつくれるはずもないし、鈴木さんもそれは百も承知で、自分の役割を果たしてこられたわけですが。


あと、この本のなかでは、庵野秀明さんとの関係なども話されていて、それもすごく面白いものでした。
エヴァンゲリオン』のテレビ版に、ジブリが制作した回が1話だけある、なんていうのも初めて知りましたし。


本当におすすめの珠玉のインタビュー集ですよ。
紹介し足りないところがたくさんあるので、宮崎駿監督、そして、スタジオジブリに興味が少しでもある方はぜひ。


鈴木さんは、自身と宮崎・高畑両監督について、こんな話もされていました。

「要するに、ビジョンがないっていうのが三人の特徴ですよ。イメージがないんですよ。だって35年、いろんな機会に顔を突き合わせてきたけれど、三人で過去の話ってしないですからね。いつも今の話。『あのときこうだった』って話、一回も出てない。で、なぜだかっていわれたってしょうがないですよね。そういう性格の人が集まっちゃったんだから。宮さんって変な人で、二、三年前に階段を駆け上がって……ドタドタドタって部屋に来て、『分かったんだよ』って息せき切っていうから何かなと思ったら、『パクさん、俺、鈴木さん、三人がなぜうまくいってるか分かったんだ」って。何だこの人はと思ったんだけれど、『なぜですか?』ってきいたら、『お互いがお互いを尊敬してないんだよ』って」


――(笑)。


「明日のことをあんまり考えないんですね、三人とも。で、昔のことも考えない。いつも今とちょっと未来のことなんですよ。性格ですかね」

「引退」と発表されたけれど、宮崎駿監督は、「これからも、また映画をつくりたくなったら、つくる」ただ、それだけなんだろうな、と思っています。
まあ、それでいいじゃないですか。
宮崎駿は、死ぬまで宮崎駿なんだから。

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