「ぼくは誰と出会い、どんな話をして来たのか」
共同通信配信の人気連載が待望の書籍化!スタジオジブリの名プロデューサーが、手塚治虫、黒澤明、池澤夏樹、富野由悠季、スピルバーグ、米津玄師、あいみょん、ダライ・ラマ14世、そして宮﨑駿ら、その人生の道ゆきで巡り合った人々との鮮烈な思い出を振り返る。闊達な筆致で胸に希望の灯がともる、86のエピソード。
スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、これまでの人生で出会った人たちの「一瞬」を切り取ったエッセイ集。
宮崎駿監督、高畑勲監督がいなければ、ジブリの作品が生まれなかったのは衆目が一致するところでしょう。
しかしながら、彼らのような「アニメーションづくりの天才」が仕事をできる環境を整えることができたのは、鈴木敏夫さんの力が大きかったのではないかと思います。
僕はこれまで、さまざまなスタジオジブリ関連の書籍やドキュメンタリーをみてきて、鈴木さんには「宮崎駿監督作品」は作れないけれど、鈴木さんがいなかったら、宮崎駿監督も「ジブリ作品」の数々を生み出すことはできなかったのではないか、と感じています。
最近は、タイから来たカンヤダさんへの「寵愛」や、三顧の礼でウォルト・ディズニー・ジャパンからジブリに迎えた星野康二社長の退任と鈴木さんの社長再任など、鈴木さんの「老害化」を指摘するような週刊誌の記事もあり、功成り名を遂げた人の「晩年」を考えさせられるところもあるのです。
鈴木さん自身も、もとは週刊誌の記者として、スキャンダルを報じていたわけで、いろいろ言われるのも因果応報でしょうがないな、という感じなのかもしれません。
その一方で、宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』では、事前の情報公開をほとんど行わず、パンフレットも公開からしばらくたってからの発売にするというプロモーションを行ない、作品を興行的に成功させています。けっこう難解な作品で、後に出たパンフレットには、期待された「ネタバレ」「解説」が無かった、とのことですが。
手塚治虫先生、スピルバーグ監督から、米津玄師さん、あいみょんさんまで。
老若男女を問わない、鈴木さんの交友録として、共同通信で連載(配信)されているものをまとめたものです。
掲載されているのは、86人。
交流の長短、深さはまちまちですが、鈴木さんはその人との「仲の良さ」をアピールするのではなくて、実際に接したときに印象に残った「瞬間」を切り取って、「その人」を紹介しています。読んでいると、宮崎駿監督や高畑勲監督のような「盟友」は、むしろ素っ気なく語っているようにすら感じるのです。別の機会や著作で語り尽くしているから、というのもあるのだろうけど。
鈴木さんは、高畑勲監督を「こんなに頭のいい人がいたのか。それが高畑勲に初めて出会ったときの衝撃だった。頭がいいだけじゃない。人を怒らせ、その人自身が潜在的に秘めていた能力を引き出すことでも一流の人だった」と評しています。
この本を読んでいると、鈴木敏夫という人は、すごく「耳がいい」というか、「相手の話の要点を見抜いて、それをずっと記憶している」のだな、と感じます。
ピクサーのジョン・ラセター監督がお忍びで来日した際のエピソード。
ジョンと話したのは、恵比寿にある小さな小料理屋さん。カウンターだけのお店で、お客さんは六人でいっぱいになる。ジョンに本物の日本を味わってもらおう。そう考えて、この店に決めた。
料理は主人がひとりで作る。カウンター越しにある調理場は、お客さんの目の前。ジョンが目をきょろきょろさせている。そして、「突き出し」が出る。しかも何種類もある。その度に、食器が替わる。食べ終わったあとの食器を片付けるのもひとりだ。
ジョンが主人に質問した。
「これらの食器は、目的を考えてから選んで買うのか。あるいは、気に入ったものを買ったあと、使い道を考えるのか」
主人の答えは明快だった。何に使うかは最初から決めておく。狭いのは調理場だけじゃない。食器棚も小さい。
ジョンがしつこく質問した。
「しかし、食器を見ながら、気に入るものもあるだろう」
主人の答えは切なかった。
「目的が大事です」
この回は、「ジョンと話していると、いまだに、こうしたささいなことで米国と日本のカルチャーギャップを感じることがあり、文化の違いを埋めるのは本当に難しい」と締められています。
僕はこれを読んでいて、この話はラセターさんよりも小料理屋の主人のほうが主役ではないか、と思ったのです。
そして、「目的から徹底的に逆算して手段を決めていく」というのは、むしろ、欧米の合理主義的な考えではないか、とも。
なぜ、鈴木さんは、主人の答えを「切ない」と感じたのか。そこに、インスピレーションとか「遊び」の余地がないから、なのだろうか。それならばむしろ、日米の文化の差というより、アーティストと職人の気質の違い、と考えるべきではないのか。
ただ、こういうエピソードを、したり顔で「解説」せずに、素材のまま読者に提示してみせるところが、鈴木さんの魅力なのかなあ、とも思います。
手塚治虫先生とは、漫画家と編集者として「何かわからないことがあると、すぐに電話がかかってくる」関係だったそうです。
巷では『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が大ヒットしていた。
「どういう内容なのか知りたい!」
これは電話じゃ終わらないと考えたぼくは、即、仕事場に駆け付けた。そして、求められるままに、先生の質問にこう答えた。
全宇宙の危機を救うためにガミラス帝国と戦った地球の若き戦士たちの物語で、最後は自己犠牲、特攻です!と。
すると、他者の漫画を描いていた先生のペンが止まった。いつもニコニコしている先生の表情が激変した。ぼくの目を見た。そして、少し間をおいて、落ち着きを取り戻した先生は静かな口調でこう語り始めた。
「それって浪花節ですよね。浪花節が日本を戦争に巻き込んだ。ぼくはそう思っている。しかし、いまの話を聞くと何も変わっていない。日本人は、そんなに浪花節が好きなんですか……」
気が付くと、先生の目が真っ赤になって、涙が頬を伝った。突然、言葉が激しくなった。
「だとしたら、戦後、ぼくのやってきたことは全部、無意味だったんですか!」
「いまから40年くらい前の話」だそうです(2020年1月に掲載)。
有名人、偉大なクリエイターたちが、鈴木敏夫という人の前では、「仕事仲間」や「友達」に対する顔を見せているのです。
鈴木さんは「聖人」ではないし、「善人」ですらないかもしれません。
でも、「なかなか他人にわかってもらえない」という人にとっては、「目的」を共有することができれば、これほど頼りになる味方はいないのではなかろうか。