琥珀色の戯言

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【読書感想】エンピツ戦記 - 誰も知らなかったスタジオジブリ ☆☆☆☆


内容紹介
となりのトトロ』から『思い出のマーニー』まで。
ジブリ作品のアニメーターとして、裏方に徹した著者・舘野仁美による回顧録。


スタジオジブリに嫁いだ」27年間を振り返って、
記憶の中にある宮崎駿監督、鈴木敏夫プロデューサー、
そして高畑勲監督、スタッフたちのエピソードをつづる。
スタジオジブリ鈴木敏夫プロデューサーによる序文「メイちゃんの誕生」を収録!


 著者の舘野仁美さんは、27年間、スタジオジブリで、宮崎駿監督や鈴木敏夫プロデューサーと一緒に働いてきました。
 『未来少年コナン』を観て、アニメーターを目指した舘野さん。
 これは、そんな「スタジオジブリのスタッフ」による「内側からみたジブリの物語」なのです。

 私はスタジオジブリで長年、アニメーターとして働いていました。とくに動画チェックと呼ばれる作業を担当していました。
「動画チェックってどんな仕事?」
 そう思われる読者の方も多いかもしれませんが、簡単に言うと、アニメーターが描いた線と動きをチェックする仕事です。動画の線は、アニメーションが生きるか死ぬかの生命線であり、その品質管理をする仕事です。
 というと、なんだかすごくカッコいい仕事のようですが、アニメーターの仕事の中で、いちばん地味で目立たない裏方で、まさしく縁の下の力持ちであることを求められます。


 この本を読むと「アニメーターという仕事の面白さ」とともに、その厳しさ、難しさも伝わってきます。

 アニメーターの仕事は、大きく分けると、「原画」と「動画」に分かれます。原画は、動作のポイント、基本になる絵です。その原画をもとに、動画マンは、原画と動画のあいだに入る絵を描きます(この作業を「中割り」と言います)。
 監督や原画マンがつくったタイムシート(動画を何枚描くかを指示したもの)にもとづいて、原画のニュアンスを保ちつつ、整った線で動画を描くのが動画マンの仕事です。


 舘野さんがやっていた「動画チェック」という仕事は、もともと『アルプスの少女ハイジ』の際に、宮崎駿高畑勲両監督が発明したものだそうです。
 タイトな制作期間のなかで、たくさんの動画が上がってくるのだけれど、その出来にはかなりバラツキがあり、その場で急いで直さなくてはならない。
 そこでいちいち動画マン(動画を描く人)に戻してやり直してもらっていたら間に合わないので、絵が描ける人を「動画チェック」担当にして、その場で直せる仕組みを作ったのだとか。


 ただ、この「動画チェック」というのは、動画マンと監督との板挟みになることも多いのです。
 動画マンとしては自分が描いたものを他人に描き直されるのはイヤですよね。
 監督は、とにかく締め切りに間に合わせて作品を完成させなけばなりません。

 
 巻末の「構成者あとがき」で、構成者の平林享子さんは、こう書かれています。

 動画チェックをずっと担当してくれた舘野さんに対して、宮崎さんは感謝とともに、申し訳なさを感じているようでした。アニメーションをつくりたいと思ってアニメーターになった以上、自分で絵を描きたいのが真情で、ほかの人の絵を直す仕事を喜んでしたいはずはないだろう。それをずっと引き受けてくれた舘野さんは、きっといろいろ我慢してくれていたはず。宮崎さんはとてもこまやかな気配りをする方なので、そういうふうに感じているようでした。


 「動画チェック」は、アニメーションの質を向上するためには、必要な仕事ではあるのだけれども、「自分の絵を描きたい人」にとっては、あまり好ましくはない仕事だったのかもしれません。
 ある程度「自分で描ける」人じゃないと務まらない仕事なのだけれど、そういう人にとっては、「自分の絵を描けないもどかしさ」があったのです。
 それでも、舘野さんは、その仕事に誇りを持ってやっていた。


 この「こまやかな気配りをする方」である宮崎駿監督も、「創作」に関しては、独善的なところがありました。
 『魔女の宅急便』で、キキが雁の群れと出会うシーンで、宮崎監督が「鳥の飛び方はこうじゃない!」と元が担当者を叱責したそうです。
 舘野さんは「担当者は研究熱心で、ちゃんと描けていたはずなのに、なぜ?」と疑問を抱きました。

 では、なぜ、宮崎さんの気に入らなかったのでしょうか。その謎は数年後にとけました。
 1994年の秋に社員旅行で奈良を訪れ、猿沢池のほとりを歩いていたときのこと。その鳥の種類がなんだったのか覚えていないのですが、池には水鳥の姿が見えました。たまたま近くに宮崎さんがいたのですが、空から舞い降りて翼をたたんだ一羽の水鳥に向かって、宮崎さんはこう言ったのです。
「おまえ、飛び方まちがってるよ」
<えええーっ!?>
 私は心の中で驚きの声を上げました。本物の鳥に向かって、おまえの飛び方はまちがっているとダメ出しする人なのです、宮崎さんは。現実の鳥に、自分の理想の飛び方を要求する人なのです。
 いろいろなことが腑に落ちた瞬間でした。
 宮崎さんが口癖のようにスタッフに言っていたのは、「写真やビデオ映像を見て、そのまま描くな」ということです。「資料を参考にして描きました」と語るアニメーターたちに、宮崎さんが厳しく接する場面を何度も目にしてきました。


 鳥も「いい迷惑」だったと思うのですが、これぞまさに宮崎駿!というエピソードです。
 写真や映像をそのままうつしても、「作品」にはならない。
 このくらいの傲慢さがないと、クリエイターというのは大成しないものなのかもしれませんね。
 そして、観客も、その「理想の飛び方」に「ジブリらしさ」を見出しているのです。


 この本を読んでいると、宮崎駿監督の「優しさ」と同時に「作品と、その作り手に対する厳しさ」が伝わってきます。

 宮崎さんは私たちスタッフによく言っていました。
「自分たちはつくり手であって、消費者になるな」
「消費者視点で作品をつくってはいけない」
 いつのまにか社会は、消費者によって占められてしまった。いまの大きな問題というのは、生産者がいなくなって、みんなが消費者でいることだ。それが意欲の低下となって、この社会を覆っている。
 ジブリにおいてもしかり。人を楽しませるために精一杯の力を尽くすより、他人がつくったものを消費することに多くの時間を費やしている。それは自分のような年寄りから見ると、ひじょうに不遜なことである。もっとまじめにつくれ!! 全力を挙げてつくれ!! 自分のもてるものをそこに注ぎこめ!! と言いたくなる――。
 私たちはこうした宮崎さんの意見をそれぞれに受け止めながら、自分にできることはなんなのかを考えて仕事をしていたと思います。


 ジブリって、スタッフにやさしい、働きやすい職場、というイメージがあったのですが、物理的な環境はともかく、この「宮崎駿のプレッシャー」は、かなりキツかったみたいです。
 そんなにしょっちゅうガミガミ怒る人ではなかったようですが、あまりに偉大すぎて、同じ空間にいるだけで、かなりのプレッシャーがあったのだとか。
 これも、「消費者がいるから、ジブリは経営的に成り立っていたのではないか?」と問いたくなるのですが、宮崎さんは、「うちの子は『となりのトトロ』が大好きで何度も観ているんです」と言う親に、「そんなの一度観せればいいから、外で遊ばせなさい」とか言っちゃう人ですからね……
 いまの世の中って、ネット上で「軽い創作」を行っている人は、以前より増えていると思うのです。
 宮崎監督からすれば、「あんなのは、つくっているうちに入らない」ということなんでしょうね。
 昔の厳しい制作環境を知っている人だからこそ、なおさら、そう思うのではなかろうか。
 この本のなかで、舘野さんは制作スケジュールを間に合わせるために「日曜日を除く休日出勤」をスタッフに求めたことがあると仰っていますし、宮崎駿監督のプレッシャーなども考えると、けっして、ジブリも「楽園」ではなかったのです。
 というか、「みんな好きでやっている」ということを除けば、かなり「ブラック企業的」だったのです。


 スタジオジブリの「公式内部告発」でもありますし、舘野さんの人柄もあって、ひどい悪口や愚痴は書かれていませんが、「いちスタッフからみた、スタジオジブリ」が書かれた、貴重な記録だと思います。


 

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