- 作者: ハウス加賀谷,松本キック
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2013/08/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
人気絶頂の最中、突然芸能界から姿を消した一人の芸人--。「タモリのボキャブラ天国」「進め! 電波少年インターナショナル」など人気番組にレギュラー出演していたお笑いコンビ「松本ハウス」は、ハウス加賀谷の統合失調症悪化により、1999年活動休止。その後入院生活を経て症状を劇的に改善させた加賀谷は、10年ぶりの芸人復帰を決意する。相方・松本キックの視点を交えながらコンビ復活までの軌跡が綴られる、感動の一冊。
リリー・フランキー推薦!
「馬鹿は死ななきゃ治らない。でも、生きてりゃ治る馬鹿もある。夢あるねぇ」
そうか、松本ハウスの加賀谷さんは統合失調症で、病気の悪化で休んでいたのか……
僕がそれを知ったのは、彼らがコンビ復活後に出演した、NHKの番組でのことでした。
その番組で、加賀谷さんは、統合失調症について多くの人に知ってもらうために、率先して病気のことを語っていたのです。
(いまも、ふたりは統合失調症への理解を広めるための講演会を行っているそうです)
『ボキャブラ天国』に出演していた芸人たちのなかには、爆笑問題や海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)のように、売れ続け、テレビに出続けた人たちがいる一方で、消えていった芸人も多いので、松本ハウスも、その「消えてしまった組」のひとつなのだろうな、と漠然と思っていましたが、こんな事情があったんですね。
この本には、ハウス加賀谷さんの少年時代から、統合失調症の発症、相方・松本キックさんとの出会いと売れっ子になるまで、そして、加賀谷さんの病状が悪化しての再入院とコンビ復活までが、ふたりそれぞれの視点から語られます。
この本を読んでいて、いちばん考え込んでしまったのは、加賀谷さんの少年時代の話でした。
一流企業に勤めていて、経済的には恵まれているけれど、家族とのまともな交流がほとんどない父親と、息子にべったりで、勉強して良い大学に入り、一流企業に就職することが「子どものため」だと信じ、過剰なまでの期待をかけ続けた母親。
加賀谷さんは、小学校二年生の頃の自分のことを、こんなふうに振り返っています。
「かがちんはいいよなあ、いつもニコニコしてるよな」
友達からよく言われた言葉。リーダーシップを取るわけでもないし、ムードメーカーでもない。どちらかといえば、大勢の中では、自分の意見を主張しないタイプ。それでも楽しくて、みんなと一緒の時間が終わらなければいいと思っていた。
だからぼくは、大好きな時間を奪う習い事が大嫌いだった。
でも、親に「もっと遊びたい」とは言わなかったし、言えなかった。
ぼくは小さい頃から、自分の正直な気持ちを口にしたことがない子どもだった。
いつも親の顔色をうかがい、求められるであろう、ベストな選択肢を先読みして答えていた。
ああ、僕もこんな感じの小学生だった……
ただ、「親の顔色をうかがわない子ども」っていうのは、そんなにいないのではないかなあ、とも思うのですよ。
僕の息子だって、僕の顔色をうかがってるな、と感じることがあるし。
それはもう、とにかく「程度問題」だとしか言いようがないのかもしれません。
当時、ぼくの父さんは荒れていた。
お酒が入った父さんが、母さんと喧嘩をするようになっていた。母さんが語気を強めて反論すると、父さんは物に当たる。本棚、食器棚、部屋のドアに箪笥。家の中の物がグチャグチャに壊されて、母さんが泣く。
ぼくはその光景を見ていることしかできなかった。泣きながら、布団に潜り込むのが精いっぱいだった。そうした修羅場が毎日のように繰り返された。
あまりに辛く、ぼくは母さんに聞いたことがある。
「父さんと、離婚しないの?」
母さんは、諭すようにぼくに言った。
「ママの経済力ではね、あなたを習いごとに通わせてあげる力がないの。潤ちゃん(ハウス加賀谷さんの本名の下の名前)のためなの」
ぼくは加賀谷家の生命線なんだ。母さんの期待に応えるため、もっと頑張らなければいけない、と思った。
「一流の大学に行き、一流の会社に就職することが、潤ちゃんの幸せになるの」
それが母さんの口癖だった。母さんの願いの強さはよく伝わっていた。ただ、一流企業に勤めている父さんの姿を見ると、その言葉の意味はわからなかった。
お酒を飲んでは、母さんに当たり、家の物を壊す。酔っぱらって、そのままリビングのソファーにバタン。朝、ぼくが起きても、まだソファーで眠っている。これが父さんの日常だった。
そんな家庭環境のなか、加賀谷さんは、小学校4年生のときに、有名進学塾・四谷大塚の正会員に合格したそうです。
僕は「お受験事情」にそんなに詳しくはないのだけれど、この本によると、かなり勉強ができる子じゃないと入れない難関塾なんですね。
この加賀谷さんの家庭環境を読みながら、僕は考えていました。
ああ、子どもの頃にこれを読んでいたら、僕はきっと「こんな家庭環境が悪かった、親のせいなんじゃないか」と判断していただろうな、と。
でも、自分が大人になって、その立場から読んでみると、「毎日夫婦ゲンカひとつせず、しっかりコミュニケーションをとって、子どもに何も押しつけない家庭」のほうが珍しいのではないかと思えてならないのです。
「生育環境」は、発症の要因のひとつにはなりうるかもしれませんが、環境だけが統合失調症の発症原因ではありませんし。
そもそも、統合失調症というのは、一定の割合でみられる、ごく一般的な病気なのです。
加賀谷さんの場合は、やはり環境が多少なりとも影響していたようには思われますが。
少なくとも、「自分のにおいが気になって仕方がない」「周囲の人がずっと自分のことを『臭い』と言っている声が聞こえる」というような症状での発症後、それがまわりの大人に上手く伝えられず、治療が速やかに行われなかったのは事実です(他者にうまく伝えられないのも、この病気の症状の一部ではあります)。
もっとも、「自分が臭いような気がする」=「統合失調症で薬物治療が必要」というわけでもなく、若いころに一過性でみられ、いつのまにか気にならなくなっている、ということも少なくないようです。
こういうのは「誰かのせい」「何かのせい」にしてしまえば、少しはラクになるのかもしれないけれど、加賀谷さんの家庭の「歪み」がなければ、統合失調症を発症することがなかった、とも言えないのです。
むしろ、「誰にでも起こりうること」だし、「周りの人、とくに大人が気づいてあげるべき」だというのが、この本でふたりが言いたいことなのではないかなあ。
加賀谷さんの家庭は、この本で読むかぎりは、崩壊してしまっているようだけれど、僕自身だって、完璧な家庭生活とは、ほど遠いところでなんとか生きてきているわけで。
息子には、僕がどう見えているのだろうか?
きっと、やりきれない思いも、たくさん抱えているのだろうなあ。
でも、だからといって、完璧な親を演じ切ることもできなくて……
薬を服用しつつ、具合のましな日は学校へ行く。それがぼくのペースだった。「行かなくてもいいや」という思いも強かったが、性格からか、「行かなきゃいけない」という意識も持っていた。
だけど、具合がましなのは部屋でのこと。学校へ行くと不安が加速してくる。
薬の効果か、「臭い」という声は少し減ったが、ぼくは教室や廊下で、背中をピッタリと壁につけないと歩けなくなっていた。声は常に後ろから聞こえてくる。後ろに隙間を作らなければ聞こえることもなくなるはず。だから、後ろへ回られまいと、壁にはりついたまま横ばいに歩く。ズルズル、ズルズル……。
学校はぼくにとって、「苦しい場所」でしかなかった。
決定的な症状、「幻覚」(幻視)が出たのも学校だった。いつものように壁伝いに廊下を歩いていると、突如として廊下が大きく波打ち、ぼくを呑み込まんと迫ってきた。
「うわああっっっっ!」
とっさにしゃがみ込んだが、過去にない恐怖がぼくの体を貫いた。なんだこれは。なんなんだ今見えたのは……。
これ以上学校へ来るのは困難だ。ぼくは怯えながらそう思った。
「なぜ、統合失調症の患者さんは、こんな簡単なことができないのか?『常識』に従えないのか?」
これを読むと、コントロールが不良な状態での統合失調症の症状というのは「世界そのものに、つねに襲い掛かられているような感じ」のようです。
「簡単なことができない」のは、やる気がないとか、サボっているわけではなくて、「彼らにとっては、それが簡単なことではなくなっているから」なのです。
周囲からみれば「おかしな行動」でも、当人にとっては、それなりの理由もある。
それを頭で理解しているつもりでも、実際の患者さんを前にすると、こちらも困惑したり、どう接していいか分からず、避けてしまうというのもわからなくはないのですけど……
僕には、松本キックさんという人も、すごく印象に残りました。
松本さんは、若いころ、あの初代タイガーマスクの佐山聡さんが創設した「シューティング」という新しい格闘技に憧れ、総合格闘技のジムに通っていたこともあったそうです(それで、芸名が「松本キック」)。
そんな松本さんに、行き詰まりの時期がありました。
このまま同じことの繰り返しの人生を送ることに耐えられず、さりとて、自分がやりたいことも見つからず……
俺は、眠れなくなっていった。ワンルームの部屋の中で、独りうずくまる夜が増えていく。
空手もジムも行かず、バイトも辞めた。人に会うことが億劫になっていった。
何やってんだよお前は。
どうすんだよこれから。
なんで生きてるんだお前。
自分自身に問い詰められ、頭がこんがらがってくる。グチャグチャになり、ますます眠れなくなってくる。
髪の毛は伸び放題、ひげも伸ばし放題。それでも腹はすくから、人様の寝静まった深夜になって、こそこそとコンビニ弁当を買いにいく。道中、警官に職務質問をされたこともあった。
「ちょっと交番まで来てもらえますか?」
なんのことか理解もできないまま付いていく。汚いコップで気の抜けたコーラを出され、根掘り葉掘りの尋問を受ける。近くに過激派のアジトがあるらしい。俺は氏素性を話し、指紋まで取られ、やっと帰された。帰り道、警官に聞かれた一言は今でも忘れられない。
「友達いるの?」
いなきゃいけないのか。
その反発からか、俺は友達との連絡を一切取らなくなっていった。
「友達いるの?」
ああ、嫌な言葉だな、それ……僕も反発するか、落ち込むか、だろうなあ……
松本さんは加賀谷さんにベッタリ張り付いて「献身的にサポート」しようとしたわけではない、ということなんですよね。
同じ「孤独な人間」として、お互いの能力をあわせて、「芸人」として、世間と戦い、認められようとしてきたのです。
その結果、松本ハウスが売れ、ハードスケジュールが加賀谷さんの病状悪化の引き金になってしまったことで、松本キックさんは後悔することにもなったのです。
加賀谷さんは、『ボキャブラ』などで売れっ子になったあと、その多忙の影響もあったのか(薬の量を自己判断で調節していたそうで、それがよくなかった可能性も高そうです)、病状が悪化し、芸能界を引退して入院することになります。
長年の闘病生活の末、加賀谷さんは復帰し、松本さんと再度ステージに立っています。もちろん、治療は続いており、今後もまた病状が悪化するリスクはあります。
病気の治療という観点では、多くの人の前に立つことを要求され、「ウケなければならない」というプレッシャーがかかる「芸人」という仕事は、けっして望ましいものではないはずです。
病状を安定させるためには、なるべく決まったことを、決まった時間にするようにして、刺激やストレスの少ない生活をおくったほうが良いのでしょうが、そうやって「穏やかに生きる」のも、それはそれでけっこう難しい。
それで病状が悪化するリスクが高まっても承知の上で、「芸人」として生きることを選んだ加賀谷さん。
「内容紹介」には「感動の一冊」と書いてありますが、僕は「感動」よりも「圧倒」されました。
「何を求めて生きるか?」っていうのは、そんなに簡単なことじゃないんだよね、誰にとっても。