クラウドからAIへ アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場 (朝日新書)
- 作者: 小林雅一
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2013/07/12
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 小林雅一
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2013/07/18
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内容(「BOOK」データベースより)
しゃべるスマホ、自動運転車、ビッグデータの解析―。共通するキーテクノロジーは、AI=人工知能。人間が機械に合わせる時代から、機械が人間に合わせる時代への移行は、ビジネスにどのようなインパクトを与えるのか?クラウド以上の変化を生む、AIの未来を読み解く。
この新書のサブタイトルは「アップル、グーグル、フェイスブックの次なる主戦場」。
著者は、冒頭で、「AIの現状」について、このように述べています。
私達のような一般人がコンピュータに向かって、ごく普通の言葉で「あれをしたい、これをしたい」、あるいは「こういうことを知りたい」などとリクエストすれば、コンピュータがまるで賢く従順なロボットのように、私達の言う通りに仕事をしてくれる。こんなに便利で楽なことはありません。
そんな遠い未来の夢物語を聞いても何にもならない。あなたはそう思ってらっしゃるかもしれません。でも私が今、述べたような世界は実は意外に近くまで迫っています。なぜならアップルやグーグル、フェイスブックやIBM、マイクロソフト、さらには日米欧の大手メーカー等、世界の強豪企業が今、最も力を入れているのが、そのための技術開発であるからです。
それはAI(Artificial Intelligence:人工知能)と呼ばれる、古くて新しい技術です。人間のように見たり、聞いたり、話したり、考えたりするコンピュータ(あるいはマシン)。これを実現するための技術がAIです。その研究開発は1950年代に始まりましたが、文法のようなルールをコンピュータに植え付けようという当初のアプローチが限界に達し、1970年代から90年代にかけて「AIの冬」と呼ばれる低迷期を何度か経験しました。このため、日本でも当時を知るエンジニアなど関係者には、いまだにAIに対して深い失望感を抱いている人が少なくありません。
ところが、このAIは1990年代の後半から思いがけぬ復活を遂げます。かつてのAIが各種ルールでガチガチに固められ、柔軟な適応力が欠けていたのに対し、復活したAIは統計・確率的な手法や脳科学の最新成果を導入することによって、非常に融通の利く現実的な技術へと生まれ変わりました。最近話題となっているアップルの音声アシスタント「Siri(シリ)」、あるいは普通の言葉で検索できるグーグルの音声検索、さらには同社や世界の自動車メーカーが開発中の「自動運転車(ロボット運転車)」などは、いずれも生まれ変わったAI技術に立脚しています。
この新しいAIは、21世紀に入ると冒頭で紹介したビッグデータ・ブームに乗って、飛躍的な成長を遂げました。現在のAIはビッグデータから有益な知見を引き出してくれると同時に、そうしたビッグデータを消化吸収して、さらに高度なものへ進化するという便利な性格を備えています。そこから大量のデータが拡大再生産され、それがまたAIの進化を促すという、無限に続くプラスの循環が生まれるのです。
長々と引用してしまって、すみません。
僕がマイコン少年だったころ、1980年代にも「人工知能」のちょっとしたブームがありました。
僕にとっての「AI」のもっとも古い記憶は、当時アスキーから発売されていた『Emmy』というゲーム(?)です。
(参考リンク:Emmy(Wikipedia))
当時は、マイコンに表示された女の子と、キーボードを通じて、会話「らしきもの」ができるというだけで、かなりのインパクトがありました。
会話っていっても、こちらの話に相槌をうったり、おうむ返しをしてくる程度がほとんど、だったのですけど。
その時代のことを考えると、いまの『Siri』なんて、ものすごくテクノロジーなのですが、いろいろやりとりをするのは面白いけれど、検索の実用性という点では「まずSiriに聞いてみる」という人は、いまのところ僕のまわりにはいないようです。
まあ、iPhoneに話しかけている姿を、他人に見られるのはちょっと照れくさい、というのもあるのでしょうけど。
この新書によると、初期のAIは、「人間の思考の『ルール』をコンピュータに組み込もうとするもの」がほとんどだったそうですが、コンピュータの性能の向上もあり、新しいアプローチが試みられるようになります。
現在のAI研究は大きく三つの学派に分かれて行われています。
一つは昔ながらのやり方で、たとえば文法や構文木(文章を名詞、動詞、形容詞など各品詞に分解した後、それらをプログラムが理解できるツリー構造に組み直したもの)のようなルールをコンピュータに教え込み、それによって知的処理を行うもので、「ルール・ベースのAI」などと呼ばれます。
二つ目は、そのようなルールはほぼ無視して、大量のデータをコンピュータに読み込ませ、それによって統計的、確率的なアプローチから知的処理を行うAIです。
現在、勢いを増しているのは二つ目の学派で、グーグルで検索エンジンや機械翻訳などに携わっている社員はほぼ、この統計・確率派に属する人達で占められていると見られます。ルール・ベースの古典的なAIは柔軟性に乏しく、実用化に向かないとする見解が主流となりつつあり、グーグルのエンジニアもほぼこのような見方をしているのです。
(中略)
統計・確率的AIというのは、たとえばコンピュータが大量に読み込んだ文書を分析し、それに基づいて「I」の後には「love」が、「love」の後には「you」が来る確率が何パーセントといったやり方で、「I love you」という文章を出力します。要するにコンピュータ(AI)は確率に基づいて単語と単語をつないでいるにすぎず、肝心の文章の意味は全く理解していないのです。確かに今は結果を出しているかもしれませんが、これが今後幾ら進歩したところで本当の知能に成長することはない、いずれは限界にぶち当たる、という見方が根強くあるのです。
そこで今、大きな期待を浴びているのが第三のやり方、これは人間の大脳活動のメカニズムをコンピュータ上で再現する方法です。言わば「AIの王道」とも呼べるやり方で、AI研究が始まった1950年代から、「パーセプトロン」や「ニューラル・ネットワーク」などと呼称を変えながら研究されてきた長い歴史を持っています。しかし王道であるだけに実用化は難しく、何度もその未来が絶望視されました。ところが、こちらも2006年に「ディープ・ラーニング(Deep Learning)と呼ばれる画期的な手法が考案されたことで息を吹き返したのです。
この「ディープ・ラーニング」の詳細についても、この新書のなかでは解説されているのですが、これを読んでいると「人間の『脳』とか『知能』とは、いったい何なのだろうか?」と、逆に考えてしまうところもあるのです。
扱えるデータが多くなれば、「ルールを覚えさせて、それに応じて対応する」よりも、「統計学的、確率的なアプローチを行う」ほうが、それらしくなるのか……
「人間の脳は、コンピュータとは違う、特別なもの」ではなくて、単に「これまでのコンピュータでは再現できないくらい、高性能、あるいは特殊なコンピュータ」なのかもしれないな、とか。
「Siri」とさまざまな「会話」をしてみると、「なぜ、アップルはこんな機能に、ここまでこだわりを見せているのだろうか?」とも思うのです。
新しい技術開発への、純粋な興味?
この新書によると、アップルには、狙いがあって、Siriを開発しているのです。
現在、アイフォーンから何らかの情報を探しているユーザーに対しては、Siriはグーグル検索を起動して、これに仕事を任せることが多いようです。しかしアップルは本来ならグーグルには仕事を回したくありません。なぜなら様々な検索(問い合わせ)の際に入力されるキーワードによって、ユーザーが今、何に興味を持ち、何を欲しがっているかという個人情報がみなグーグルの手に渡ってしまうからです。
それらはビッグデータと呼ばれ、これを分析することによって新たなビジネスの創出が期待されています。アップルはこのビッグデータがグーグルへと流れることを阻止したい。いや、それが当面無理だとしても、少なくともビッグデータの流れを制御する力だけは今から蓄えておきたい。その役割を担っているのが Siriなのです。
アップルは2013年秋に、Siriが起動するデフォルト(既定)の検索エンジンを、従来のグーグル検索からマイクロソフトの「ビング(Bing)に切り替える予定です。ここにも「ビッグデータをグーグルにだけは渡したくない」というアップルの気持ちが露骨に現れています。
AIを利用し、より使いやすい、ユーザーが最初に頼りにする検索エンジンをつくりあげるというのは「ユーザーへのサービス」であるのと同時に「ユーザーの囲い込み」や「ビッグデータの集積」をインターネット企業にもたらすための最大の武器になるのです。
ユーザーはグーグルで「自分に必要な情報を調べている」一方で、グーグルは「そのユーザーが何を欲しがっているのか」という情報を検索の内容から得ています。
アップルにとっては、この「ネットの入り口」をグーグルにおさえられているのが不満で、その人の流れを変えるための試みのひとつが「Siri」なんですね。
「採算度外視の技術開発」ではありません。
お金になるからこそ、これだけAIが急速に発展してきた、というのも事実です。
この本のなかには、パソコン上のものだけではなく、さまざまなAIが紹介されています。
病院では「代理ロボット」で医師や看護師の業務のサポートが行われ、車の自動運転システムもかなりのところまで実用化に近づいてきているようです。
まるで昔のマンガの「ロボットカー」みたいなのが、もう現実になりつつあるのですね。
テクノロジーの進化は、新しい兵器を生みだしてもいます。
アメリカの無人航空機・プレデターは、遠隔操作で操られ、操縦者は「テレビゲームのように」画面越しに敵を攻撃できるのです。
たとえば世界的な人権団体「ヒューマン・ライフ・ウォッチ(HRW)」が2012年末に発表したレポートによれば、米英やイスラエル、韓国など一部先進国では、政府主導で高度な自律性を備えたAI兵器の開発に注力し始めており、この傾向が野放しにされると、いずれ「自らの判断で(つまり人間の判断に頼らずに)人を殺す軍用ロボット」が開発される可能性が十分あるといいます。
(中略)
もっとも同レポートによれば現時点で、「完全自律型の兵器ロボット」は存在しないし、そうした兵器を開発する意志表明している国は一つもありません。が、米国を始め各国政府の公式見解には、兵器に高度の自律性を持たせることに向けた含みが残されており、これと軍関係者や軍需産業の新兵器開発に向けた熱意を併せて考えると、完全自律型のロボット兵器が今後、現れる可能性は十分あるといいます。
それを促す環境は醸成されつつあります。たとえばプレデターを遠隔操作する兵士達の中には、神経症を患う人が少なくないそうです。なぜかというと、まず無人機を操作できる人の数が少ないので、一人一人への負荷が極めて大きいということ。
もう一つの理由は、ある種の後ろめたさです。つまり自分は戦地から遠く離れた安全な場所(ネバダ州にあるクリーチ米軍基地)で無人機をリモコン操作しながら、(敵とはいえ)遠くの国にいる人間を殺している。そういう意識を持ちながら日夜働いていれば、確かに少しおかしくなるのも理解できます。このため米軍兵士の中で、無人機の操縦士を志願する人は極めて少ないと言われます。
「テレビゲームのような無人機のパイロット」なら、自分が敵にやられたり、機体のトラブルで命を落とすこともないし、「一方的に攻撃するだけ」。
戦場で命の危険にさらされることに比べたら、ラクなお仕事じゃないか……そう僕は思い込んでいたのです。
でも、「安全なところにいて、一方的に敵を攻撃できる」という、あまりにも有利な状況に、人間というのは「後ろめたさ」を感じてしまう生き物なのです。
その気持ちはわかる。しかし、人間というのは、ややこしい生き物ではありますね。
「人工知能を利用し、機械の自律的な判断で敵を攻撃できるような兵器」というのは、そのジレンマへのひとつの解決法になりうるのは確かです。
マンガやSF映画だと、これがまさに「人類とロボット軍団との戦いのきっかけ」となるんだろうなあ。
しかし、「国と国との戦争で、実際に戦うのはお互いのロボットだけ」であるのなら、最初から両国の代表がテレビゲームで勝負しても、そんなに変わらないのではないか、という気もします。
「AIの現在」が実例をまじえて、わかりやすく書かれている読みごたえのある新書でした。