琥珀色の戯言

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【読書感想】AI失業 生成AIは私たちの仕事をどう奪うのか? ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

人工知能(AI)で明暗が分かれる仕事、業界、日本社会…その未来を経済学者が大予測!

ChatGPTを代表格とする文章生成AI、ミッドジャーニーやステーブル・ディフュージョンに代表される画像生成AIなど、各ジャンルで高機能のAI技術が続々と誕生している今。

あらゆるビジネスパーソンはそれらの概要を理解し、使いこなせなければ生き残れない時代が到来しているといえます。
さらには、最新のテクノロジーツールを自在に操れたうえで、自らのプレゼンスを高めるために、「己の付加価値をどうビジネスで生み出すか」が問われ始めてもいます。

そんななか、多くの働く人の頭にあることは、「テクノロジーによって自分の仕事が奪われるのではないか」「共生していくにしても、太刀打ちできる気がしない…」という危機感でしょう。
数年前は、「どんなに技術が進歩しても、ヒトにしかできない仕事やクリエイティビティはある」と信じて疑わなかった人々でさえ、この現実を目の前にして「いよいよ本格的に多くの人が失業するのでは?」と考えを一転させているはずです。

本書は、かねてよりAIやメタバース、テクノロジーと雇用の関係性について、先見的な意見を述べてきた経済学者・井上氏が、この大変革期に「人工知能が私たちの雇用と経済に与える影響」についてやさしく語る1冊です。


 ChatGPTをはじめとする文章生成AIでつくられた文章や、画像生成AIで描かれた画像は、あっという間に「当たり前のもの」になってきました。
 X(Twitter)で拡散されてくるのは、「ひとひねりしたテーマで画像生成AIに描かせたら、こんな変な画像ができた」みたいなものが多いのです。
 「普通に描けているAI生成画像」では、もう誰も話題にしない、という状況だから、とも言えます。
 まだ使ったことがない人は、ChatGPTをぜひ一度使ってみていただきたい。もちろんまだ未完成なところはたくさんありますが、このテーマに関して、これだけ「書ける」人間がどのくらい存在するだろうか?と驚かされます。

 2000年以降のAI(人工知能)の急速な発展を目の当たりにするまでは、コンピュータやロボットの発達によって、人間は単純作業的な労働から解放され、より「創造的な仕事」に従事するようになる、と多くの人は考えていました(僕もそうです)。

 ところが、現在の生成AIの隆盛と進化のスピードをみると、安泰だったはずの「クリエイティブな仕事」の多くが、AIで代替可能なものになっていきそうなのです。


 著者は、これからは絵画やデザイン、作曲などの技能を身につけても、稼ぐことが難しくなっていく、と述べています。

 というのも、今ですらAIの生み出す画像や音楽はレベルが高いうえに、今後さらなるレベルアップが図られることが予想されるからです。
 そのため、AIが乱造する作品にすら、並みのクリエイターでは太刀打ちできなくなるでしょう。さらに、人々はAIの生み出した無料の作品を消費することで満足してしまい、AIの作品よりも優れた人間の作品があったとしても、わざわざお金を出さなくなるかもしれません。
 2023年6月時点でも、「美術家・デザイナー」の有効求人倍率は0.17倍ほどで、5人に1人くらいしか職を得られない狭き門ですが、この倍率は今後ますます低くなるはずです。そうすると、確固たる作家性のある一流のクリエイターしか、本業で食べていけなくなるでしょう。
 中国のゲーム業界ではすでに、画像生成AIによってイラストレーターの仕事が奪われています。これまで1週間かけて人が書いていたイラストを、AIならば数秒で生成してしまうからです。代わりに人間のイラストレーターは、AIが作った画像の微修正を担当させられ、仕事量も報酬も激減しています。
 アメリカでは、コピーライターやカウンセラーが生成AIにて職を失い始めています。ChatGPTを使った映画の脚本作りも試みられており、ハリウッドでは脚本家などによる大規模ストライキが起きていました。これから多くの職業で雇用が脅かされるようになるでしょう。


 これからは「けっこう絵が上手い、気が利いた文章を書ける」くらいでは、AIが作ったもののチェックをするくらいしかできなくなっていきそうなのです。
 ごく一部の「名のあるアーティスト」以外は、もう、それだけで食べていくのは難しくなっていくのでしょう。
 実際に使ってみると、生成AIの製作コストは、最初にシステムを揃えてしまえば、微々たるものですし。


 AIやロボットによって、人間が「解放」されるはずの単純にみえる手作業のほうが、いまのAIやロボットには難しいこともわかってきています。そもそも、AIには繊細な動きができる「手」がありません。

 私は、あるビルメンテナンス会社の顧問を務めています。その会社では、人にビルを警備させるよりも安上がりかもしれないということで、ロボット警備員の試験的な導入を図りました。
 ロボットが1階のフロアを警備し、次に2階にいくことになりますが、階段は登れないので、エレベーターで行くしかありません。そのためには、上に行くためのボタンを押す必要がありますが、ロボットはそのボタンが押せませんでした、それで結局、警備ロボットの導入は断念することになったのです。
 これは意外なことだと思いますが、5歳児でもできることでも、ロボットには困難なことがあります。人は手先をうまくコントロールし、絶妙な力加減でボタンをポチッと押すことができます。このような基本的な動作には、何も難しいことはないと思いがちですが、ロボット工学の観点から言うと、私たちは日々とてつもなく高度なことをやってのけているのです。
 AIやロボットは、大人でないと難しい知的作業は得意ですが、幼い子どもでも簡単にできるような動作が逆に困難です。このようなねじれは、そう指摘したAI・ロボット研究者のハンス・モラベック氏にちなんで、「モラベックのパラドックス」と言われています。このパラドックスが存在するために、肉体労働を担うブルーカラーよりも、頭脳労働を担うホワイトカラーの方が先に危機に陥るのです。

 
 ロボットは基本的に手先が不器用です。
 手術用ロボットのように精密な作業を行うことも可能ではありますが、現在のところ人間の術者が操作していますし、多くの対象物の微妙な差異に適当に対処しながら大量生産できるスピーディさはありません。
 もちろん、研究開発費をかけて、人間の手作業を代替できるロボットも進化していくのでしょうが、結果的には「高価な産業用ロボットに単純作業をさせる」より、「安い給料で人間を雇う」ことが選ばれそうな気がします。

 コスト面も含め、「クリエイティブな仕事はAIやロボットに任せ、単純にみえる労働や細かい手作業は人間が低賃金で行う」時代になってきているのです。

 果たして、AIやロボットは、人間の労働を「幸福」なものにしてくれるのだろうか?

 ただし、著者は、全体の仕事が減ることにより、働きたくない人は、ベーシック・インカムをもらって生活する社会も想定しています。
 50歳くらいになってみると、若い頃は「そんなこと低賃金でやりたくない」と思っていたような内容のものでも、ずっと「仕事」をして、社会と繋がっていたい、と考える人は多いことがわかってきました。

 ChatGPTは、自分で価値判断を下すことができずに、世の人々の平均的な判断にしたがっているだけの主観のない人のようでもあります。
 たとえば、見たことのないような真新しい絵画を見たときに、人間であればこの絵は綺麗だとか、優れているとか、あるいはイマイチなどと判断できるわけです。けれども、こうした価値判断をAIにさせることは今のところ不可能です。
 誰かがゴッホの絵の美しさを発見してそれが世の中に広まった訳で、そのような最初の発見がAIにはできないということです。ただし、ゴッホは死後にようやく優れた画家として認められるようになったため、生前多くの人が彼の絵を見ても大して評価をしなかったことは事実です。よって、素晴らしい絵の発見はAIだけでなく普通の人間にも難しいとも言えます。
 そのほか、善悪の判断もAIには困難でしょう。これは、一見すればAIにもできるように見えるかもしれません。「人の財布を盗むことは悪いことですか?」とChatGPTに聞けば、「それは悪いことです」と答えるでしょう。
 しかし、それはオリジナルな価値判断を人間がしていて、その表現をChatGPTが加工して書いているだけなのです。これも価値判断のオリジンは人間が作り出しているのであって、AIはそれを表面的に真似ているにすぎないのです。
 AIにもオリジナルな価値判断ができるようになる日が来るかもしれません。しかし、その判断が人間とかけ離れていては、AIによるアウトプットは人間にとって意味がありません。つまりAIは、人間と同様の価値判断を下せなければ人間の役には立たないのです。
 人間はどういう絵画が好きか、どういう音楽が好きかというデータがあれば、AIにも同等の価値判断が下せます。しかし、真新しい作品については、過去の作品データがあてにならないため、今の技術の延長線上ではAIが価値判断できるようにはならないのです。


 僕は長年、いろんなアートを見てきたのですが、「有名だから良い作品のはず」というような先入観にとらわれてしまい、その作品の「本当の価値」が自分にはわからない、と思うのです。
 千利休が高評価した茶器、とか、そう言われると味がありそうだけれど、他の「ちょっとよくできた茶器」と事前情報なしで区別するのは無理です。
 AIには「ゼロから評価を決める審美眼」は無いけれど、それはほとんどの人間も同じです。
 AIは千利休にはなれないけれど、実際に千利休が評価した茶器のデータを学習すれば、「千利休と極めて近い判断基準で作品の評価ができる」ようになるはずです。

 人類の未来は、ごくごく一部の「価値を決めることができる人間」以外は、AIが作ってくれたコンテンツをベーシックインカムで生活しながらひたすら消費していくだけ、になっていく。

 それは映画『ターミネーター』に描かれたような「AIに支配された世界」とは違う、「穏やかで幸福なディストピア」なのかもしれません。


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