琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】アホウドリを追った日本人 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
明治から大正にかけ、一攫千金を夢みて遙か南の島々へ渡る日本人がいた。狙う獲物はアホウドリ。その羽毛が欧州諸国に高値で売れるのだ。密猟をかさね、鳥を絶滅の危機に追い込みながら、巨万の富を築く海千山千の男たち。南洋進出を目論む海軍や資本家らの思惑も絡んで「帝国」日本の拡大が始まる。知られざる日本近代史。


 書店でこの新書のタイトルを最初に見たとき、僕は「そんな『鳥マニア』の酔狂な日本人がいるんだなあ」としか思いませんでした。
 まあ、そんな特殊な人の話とか、読んでもね……と。

 アホウドリは、両翼を広げると2.4メートルにも及ぶ太平洋でも最大級の海鳥であるが、「馬鹿鳥」のほか、さまざまな名前が付けられ、その多くがアホウドリという呼称に象徴されるように、この鳥にそって不名誉なものである。これはアホウドリ無人島で繁殖するため、人を恐れず簡単に捕獲されたことによる。


(中略)


 現在、アホウドリは、国際自然保護連合から絶滅危惧種に指定されているが、明治以前は、北太平洋全域で見られ、驚くべきことに小笠原諸島、伊豆諸島の鳥島尖閣諸島大東諸島では至る所に生息し、『小笠原島新誌』(1876年)には、「海陸鳥類は少なく、その多くはアホウドリなり」と記述されている。また、これより早く1774年(安永三)の「小笠原島通船之事並国嶋図」の添え書きに、白鳥の形をした大鳥がいるという記載がある。
 アホウドリは、北太平洋イカや小魚を補食し生息しているが、秋になると繁殖のため南下し、10月頃、日本近海の無人島に飛来する。年に一つの卵を産み、ヒナを育てて翌年4月下旬に島を離れる。このため、この飛来に合わせた時期の人間による捕獲、しかも棒を使った簡単な「撲殺」による大量捕獲は、アホウドリの壊滅的な現象をもたらせることは明らかであった。


 明治維新後の日本人にとって、この「アホウドリ」という、「人に対して警戒心を抱かず、素手で捕獲できる鳥」は、「一攫千金」をもたらす存在だったのです。
 そして、日本人が南洋の島々を探検していくのは、領土を広げるための国家的な事業というより、この「欧米で高く売れる鳥を片っ端から捕らえて、羽を穫ったり剥製にしたりする」という目的だったことに驚かされました。
 その「狩り場」として、南洋の島々が探索されたのです。
 そしてそこでは、容赦なく、鳥たちが「撲殺」されていきました。
 自然保護であるとか、資源が枯渇しないようにコントロールするというのは後世になっての考え方で、当時は「いるだけ捕獲し、いなくなったら、次の島へ行く」というのが一般的な考え方だったのです。


 今の僕の感覚からすると、警戒心のない鳥を片っ端から捕まえて「撲殺」しまくるなんていうのは「卑劣な行為」だとしか言いようがないのですが、当時の日本人のなかには「それで稼ぐため、なりふり構わず鳥を探し、殺し続けた人々」がいたのです。
 そうやって裕福になった人は、憧れの対象にもなっていました。
 実際に現場で働く人たちは、高給ではあったけれど、ひどい労働環境で、「島に置き去りにされた」なんて事例も少なくなかったようです。


 鳥の羽毛は、1871年(明治四)頃には、ロンドン市場で日本からの羽毛が年間数千羽の規模で取り引きされていたそうで、かなり早い時期から、羽毛は日本にとって重要な輸出品でした。
 

 日本が鳥類の輸出大国であるという現実は、1887年(明治二十)の鳥島での玉置の成功を皮切りに、一旗揚げようともくろむ人々を、日本近海の無人島獲得競争にますます駆り立てる結果となった。無人島には高値で取引されるアホウドリなどの鳥類が生息し、小船と棒と袋や網だけで容易に捕獲でき、羽毛が軽量なこともあり、簡単に一攫千金の夢が実現できると日本人は認識したのである。


 こうして、アホウドリは日本にとっての大きな「輸出産業」になったのですが、この新書で紹介されている、その「現場」は、凄まじいものがあります。
 尖閣諸島でのアホウドリ捕獲事業の様子について。

 アホウドリの捕獲の方法は、鳥島などで行われていたのと同様、撲殺であり、労働者は一人で一日300羽を捕獲した。1897年(明治三十)から1900年までの三年間に20万斤(120トン)の羽毛が採取された。羽毛は、鳥島ではアホウドリ三羽から一斤(600グラム)取れるとされたが、尖閣諸島では四羽で一斤といわれることから、およそ三年間で80万羽のアホウドリが撲殺され、久場島では島が鳥の死骸で覆われたという。羽毛の価格は、腹毛100斤(60キログラム)で30〜40円、皮膚に密生する柔らかい綿毛では80〜90円にもなった。

 この記録によると、「アホウドリは四年目には激減した」そうなのですが、それはそうだろうな、と。
 読んでいると、なんだかもう、アホウドリに申し訳ないような気持ちにさえ、なってきます。
 同じようなことが、いくつもの南洋の島々で、行われていたのです。


 日本人が、何もなさそうな南の島に目を向けた理由は、国家的事業というより、「事業者の個人的な欲望」だったのです。
 結果的に、それが、日本という国の南洋進出にもつながりました。

 人が居住しにくい島、断崖絶壁や低平な無人島ほど、アホウドリなどの鳥類にとっては、逆に天国の地なのである。当時、これらの島々では世界市場、とりわけヨーロッパ市場で驚くほど高値で売買される鳥類が生息し、しかも鳥が人間を恐れないため、その捕獲はきわめて容易であった。棒と袋、さらに網があれば「撲殺」という簡単な方法で、一攫千金が狙えるのである。
 このため、日本人にとっての太平洋の島々、とくに無人島への進出は、アホウドリから得られる富に刺激された人々により、その緒が切られ、太平洋の彼方にはアホウドリが生息する「豊土」があるという、無人島探検ブームが興ったのである。加えて、当時の地図や水路誌には、数多くの疑存島が記載されており、太平洋には多くの無人島が存在すると認識した人々は、競って小舟で、海へ海へと漕ぎ出したのであり、日本の大航海時代が到来したと言える。


 そうか、日本人を南の島の探検に駆り立てた最初の動機は「鳥」だったのか……
 「鳥島」という名前の島にも、そういう歴史的な背景があるのです。
 長年、自らの疑問を追いかけて、この新書を書き上げた著者の好奇心と努力には、頭が下がります。
 そして、先祖がアホウドリに対して行ってきたことを考えると、なんだか申し訳ないなあ、と。
 もちろん、当時の人々には罪悪感などなかったし、現在の価値観で当時の人々を断罪すべきではないのでしょうけど。


 歴史って、こんな動機で動いていたんだなあ、ということが感じられる好著だと思います。
 

アクセスカウンター