- 作者: 又吉直樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2017/05/11
- メディア: 単行本
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内容紹介
一番 会いたい人に会いに行く。
こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろな。
演劇を通して世界に立ち向かう永田と、その恋人の沙希。
夢を抱いてやってきた東京で、ふたりは出会った――。
『火花』より先に書き始めていた又吉直樹の作家としての原点にして、
書かずにはいられなかった、たったひとつの不器用な恋。
夢と現実のはざまでもがきながら、
かけがえのない大切な誰かを想う、
切なくも胸にせまる恋愛小説。
又吉直樹さんの長編(中編?)第二作目。
僕は『火花』が大好きだったのですが、漫才師の世界が描かれていたこともあって、「自伝的小説がハマった一発屋」かもしれない、とも思っていたんですよね。
今回のタイトルが『劇場』で、演劇の世界の話ということもあって、前作の二番煎じとか、劣化コピーになっているのではないかなあ、とか。
読み終えて、僕はそんなことを考えていたのが申し訳なくなりました。
又吉さんは、「本物」だ。
めんどくさい人間のめんどくさい感情みたいなものを、これだけ言語化できる人というのは、そんなにいないと思います。
もちろん、「あの又吉さんが書いている」という「有名人バイアス」が、入口の部分でプラスに作用しているのは事実だろうけど。
なんと身勝手で、自分のことしか考えていない男なんだろう……と、半ば呆れつつも、でも、これは僕のことではないか、とも思いながら読んだんですよね。
沙希さんが、何を考えているか、さっぱりわからないじゃないか!
でも、これは「自分のことしか考えられない男」を、その男の視点から描こうとしている作品なんですよね。
あまりにも自意識過剰で、でも、そういうのは、けっして他人事でもなくて。
「何を考えているかわからない」
「ドラマチックな展開がなかなか訪れず、同じところをぐるぐる回りながら、何かが壊れていくのか、作り上げられていくのかわからなくなってくる」
そんな作品なんですよ。
読み終えて、村上春樹さんの『ノルウェイの森』を、ちょっと思い出しました。
簡単なものを複雑にすることを人々は許さないけど、複雑なことを簡単にすると褒める人までいる。本当は複雑なものは複雑でしかないのに。結局、自分たちの都合のいいようにしか理解しようとしていない。それを踏まえたうえでなら簡単と複雑の価値が対等なように、劇的なものと平凡な日常も創作上では対等でなければおかしい。「劇的なものが好きだ」とか「平穏な日常を描いてこそだ」とかは、それぞれの好みにすぎないから決まりみたいに言われても、「知らねえよ」という感想のほか特に思うことはない。
いかにも「私は恋愛がわかってます!」と言いたげな人が書いた「恋愛小説」よりも、この作品は、僕にとっては、ずっとリアルな「恋愛小説」だったのです。
「相手のことを思って、しっかり向き合っていく恋愛」みたいなのが理想だって言うじゃないですか。
でも、本当に、みんなそんなことができているのだろうか。
実際は「相手にしっかり向き合っている自分」「大切な人に尽くしている自分」をお互いに演じているだけで、「わかっているふり」をしているだけではないのか。
舞台は現実の一部であり、現実も舞台の一部ではないのか。
うまく生きられるというのは、現実という舞台で、自分に求められている役割をうまく演じられる、というだけのことではないのか。
一緒に暮らしている彼女を働かせて悠々自適に過ごせる男を羨ましいと思う。たとえば、ヒモなどという言葉に身をゆだね、他人から蔑まれる存在になっても恥と思わない男を、一旦は馬鹿にしたうえで羨ましく思う。痛覚が狂っているのではないか。
それでいて、「救いようがない男」という安易な堕落に逃げ込み、自分だけは居場所を見つけて上手く救われている人も羨ましい。自分は彼等と行動は似ているかもしれないけれど、実体は全然違う。僕には完全に負け切れない醜さがある。サッカーゲームに熱中している横顔を恋人に見せながら、これをなんとかストイックな一面と受け取ってもらえないかなどとせこいことを考えている。
ああ、なんかわかるなあ、というのと、でも、本当に彼等は「恥と思っていない」のか?というのと。
人にはいろんな面があって、時と場合によって、別の面をみせることもあるのです。
ふだん「なぜ女だからといって、いろんなことを押しつけられなければならないのか」と言っている人が、誰かを「男らしくない!」と責めている姿をみて、心がフリーズしてしまうこともある。
こういうのって、「ここまで自分のことを客観的にみることができている自分に酔っている」ところがあって、さらに「そんなしょうもないヒモ男を応援することが生きがいになってしまっている人」がいるのも事実なんですよね。
「夢をあきらめて、定職について地道に過ごす」と幸せになれるのかというと、「そんな人を好きになったわけじゃない」とか、言われるし。
ネットでは、正しい、正しくないが語られがちだけれど、人間って、なるようにしかならないのではないか、と思う夜もある。
一緒に苦労はできても、一緒に成功を分かち合うのは難しい、という関係もある。
これを読んでいると、どうしても主人公・永田を又吉さんと重ね合わせてしまうところがあって、「でも、最後はきっと、永田は成功するんだよね」と思いながら読み進めるのだけれど、現実には、こういう人の大部分は、芽が出ないまま田舎に戻ったり就職したりして、後輩に「俺も昔はやんちゃしたなあ」なんて絡んで煙たがられるのです。
これは、主人公とその恋人の「悲しい恋愛の話」というよりは、「恋愛という行為そのものの悲劇性」を描いた小説なのだと思います。
「もっと素直に生きればいいのに」って言うのは、「素直に生きる役を演じるのが得意な人の台詞」なんだよね。
スクリーンの中の高倉健さんに「器用に生きればいいのに」ってアドバイスするようなものだよなあ。
「手つないでって言うたら明日も覚えてる?」
「うん? どういうこと?」
「明日、忘れてくれてんねやったら手つなぎたいと思って」
又吉直樹さんは、すごいよ。
「お涙頂戴小説」に転んではいないんだけれど、こんなめんどくさくて憂鬱になるような内容なのに、最低限の読者への目配りがされていて、「読ませる」のだよなあ。
- 作者: 又吉直樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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