- 作者: ブレイク J ハリス,Blake J. Harris,仲達志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/03/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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Kindle版もあります。
セガvs.任天堂 ゲームの未来を変えた覇権戦争(上) (早川書房)
- 作者: ブレイクJハリス
- 出版社/メーカー: 早川書房
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セガvs.任天堂 ゲームの未来を変えた覇権戦争(下) (早川書房)
- 作者: ブレイクJハリス
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/03/31
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内容(「BOOK」データベースより)
弱小企業セガは、巨人・任天堂をいかにして打ち破ったのか?ソニー・ピクチャーズ映画化予定の傑作ビジネス・ノンフィクション!1990年、任天堂はアメリカにおける家庭用ゲーム機市場の90%超を握る圧倒的な存在だった。一方、セガは大いなる野心を秘めた注目株だったものの、アーケードゲーム専門の中小メーカーにすぎなかった。だが、トム・カリンスキーがセガ・オブ・アメリカのCEOに就任したのを機に、潮目が変わりはじめる―。「チーム・カリンスキー」が次々に繰り出す常識破りの奇策は、セガと任天堂の間に莫大な収益をめぐる「仁義なき戦い」を引き起こした。ソニックとマリオ、日本とアメリカがにらみ合い、家庭から米連邦議会に至るまで、あらゆる戦場で繰り広げられた激闘の行方は?600億ドル産業を生み出した企業戦争の内幕に、200人を超える取材で迫る痛快群像ノンフィクション。
1990年代のアメリカにおける、セガと任天堂の戦いを関係者への綿密な取材で描いたノンフィクション。映画化も予定されているそうです。
日本では、プレイステーションの登場まで、家庭用ゲーム機の市場は、ほぼ任天堂「一強」で、それに対するゲームマニアの砦のような感じで、メガドライブ(アメリカでは「ジェネシス」)やPCエンジンなどが存在していたわけですが、アメリカ市場では、この「ジェネシス」が、任天堂のスーパーファミコンよりも売れていた時期があったのです。
日本では苦戦続きだったジェネシスを、彼らはどんな戦略でアメリカで売ったのか、そして、任天堂はそれに対して、どう対抗したのか。セガは覇権を握ったように見えたにもかかわらず、なぜ、急速にシェアを落としていったのか。
物語は、セガ・オブ・アメリカ(SOA)の社長に、マテル社でバービー人形を世界的ヒット商品にしたトム・カリンスキーさんが就任するところからはじまります。
彼のもとに、個性的な人材が集まり、セガは5年間でアメリカの市場占有率を5%から55%にまで伸ばすことに成功したのです。
同じ時期に、日本のセガ(セガ・オブ・ジャパン:SOJ)は任天堂にずっと歯が立たなかったのに。
この本は、ゲームやハードの開発者ではなく、できあがった作品をいかにして売るか、というマーケティングに携わる人々の視点から主に書かれています。
「弱者」であり、「挑戦者」であったセガは、絶対王者・任天堂の戦略を利用し、「任天堂が、任天堂らしくあるために、できなかったこと」をやってみせ、アピールしていきます。
アメリカ側からみると、SOAとSOJの間には、ずっと「埋めがたい溝」があったようです。
『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』のソニックのデザインについて、アメリカ側から修正案が出た際、日本側はそれを突っぱね、元の案に戻そうとするのです。
この時、カリンスキーは初めてあることに気づいた。それは、セガ日本本社とセガ・オブ・アメリカはセガという同じ傘の下にありながら、基本的に二つの異なる企業だという事実だった。SOJにとって新しいハリネズミの方が優れているかどうかは問題ではなかった。問題はそれが自分たちのハリネズミではないことなのだ。日本本社とアメリカ法人の間には微妙なレベルとはいえ、確実に摩擦が生じていた。そして、それは『サージェント・カブキマン』の時とは比較にならないほど深刻な問題をはらんでいた。
その後も、日本側は、より大きな業績を上げているはずの(だからこそ、なのかもしれませんが)SOAの方針に、異議を唱え続けていきます。
まるで「日本人以外には、面白いゲームをつくれない」と考えているかのように。
SOJとSOAの関係は、レースが当てこすったほど険悪ではなかったが、確かに最近の販売実績には明白な「格差」が生じていた。SOJは、『ソニック』の生みの親であるゲームクリエイターの中裕司に二、三週間の猶予を与えてゲームの不具合を修正させ、SOAより遅れること一カ月後の1991年7月後半に日本市場でリリースした。発売時期が送れたことに加え、日米間の最も顕著な違いは、『ソニック』がゲーム機に無料で同梱されていなかったことだ。ゲームは1本6000円で別売りされ、すぐにSOJにとって最も売れているソフトになったが、アメリカを席巻しているソニック・ブームに比べると明らかに見劣りがした。『ソニック』の販売本数は、日本でリリースされた最初の週に7178本、その翌週は7062本で横ばいだったが、その翌週には6086本まで落ち込んだ。結局、年末までには日本でも何とかヒット作になったもんお、アメリカ市場で達成したメガヒットには到底及ばなかった。それにハードと同梱されていたわけではあいので、ゲーム機の保有世帯数を強力に押し上げることもなかったのである。SOJ側からは両国における業績の不均衡を認める声はめったに聞かれなかったが、売れ行きがアメリカより低調であることが言及される際も、任天堂による小売店支配、サードパーティーによる支持の欠如、そして『ソニック』が日本ではなくアメリカでヒットするようにSOAが微妙な変更を加えたことなどが原因として挙げられた。
ただ、この本に書かれているSOJや任天堂の日本人スタッフについては、ちょっと偏見が含まれているのではないか、と感じるところもあるんですよね。
主要人物のひとりが、日本で接待された際、フグ料理店に連れていかれたときのエピソードなど、「フグを食べるときに、こんなにもったいぶったり、食べるのをためらったりする日本人なんて、本当にいるの?」と思いましたし。
著者が勝手につくった話ではなく、取材した相手が「盛って」語っているのかもしれませんが、なんだか、1990年代の日本というより、『攻殻機動隊』に出てくるような世界だな、って感じがするんですよ。
当時のアメリカ人にとっての日本は、まさに『攻殻機動隊の世界』だったのかもしれませんが。
これを読んでいると、SOJがもっとSOAに学んでいたら、日本でもセガはもっと大きな成功を得ていたのではないか、とも思うんですよね。
でも、Xboxの日本での成果をみると、アメリカで売れたからといって、日本でも支持されるとは限らない、というのも事実です。
この本のなかで、あるハードウェアについて「サイズが大きい」ことをSOJ側が問題視し、セガが機を逸したことが描かれていますが、日本では「大きさ」というのは、かなり重要なファクターなのです。
ただ、「SOJが、SOAに対して、もっと自由な裁量を認めていたら、アメリカでは、セガの成功はもう少し続いたかもしれない」とは思います。
大ブームとなったにもかかわらず、つまらないゲームの粗製濫造によって凋落した『アタリ』を教訓に、任天堂はメーカーごとに年間制作本数を制限したり、発売に値するクオリティかどうかを審査するシステムをつくります。
それによって、ゲームの質はある程度担保されることになったのですが、そんなふうにして「自由度が奪われる」ことに対するメーカーの不満も高まっていったのです。
『ソニック』ブームや若者にアピールする広告戦略で任天堂を上回るシェアを獲得したセガですが、1992年頃から、任天堂陣営は巻き返しをみせてきます。
だが、何にも増して任天堂の復活を可能にしたのは、同社のゲーム体験を特徴づける「良質のゲーム」へのこだわりだった。タイトル数ではいまだにセガの後塵を拝していたが、任天堂のソフトも急ピッチで拡充されつつあった。しかも同社の観点からすると最悪、そこそこ、平均点以上という質的にもばらばらなソフトの寄せ集めにすぎないライバル企業のラインアップと異なり、任天堂のゲームはいずれも一定以上の品質水準をクリアしていたのだ。これはセガと任天堂の間に横たわる根本的な違いをよく表していた。セガは一部のゲームが標準以下の品質だったり、奇抜すぎたり、暴力的だったり、あるいは内容が性的すぎたりすることを特に問題視しなかった。セガはあくまでも選択肢を与えることの重要性を信じており、何が良いゲームで何がそうでないかは最終的には消費者が判断すべきだという哲学を信奉していたのだ。対照的に、任天堂はこの自由放任主義に反対の立場を取り、ソフトの評価プロセスでもっと主導権を発揮すべきだと考えていた。厳しいルールの下で管理される開発サイクルから、ゲームを中心に展開されるマーケティングまで、任天堂は小売、日常業務、流通を管理するのと同じやり方で創造的なプロセスを管理しようとした。
「管理」という言葉を多用しすぎれば、いつか突然「ビッグブラザー」が姿を現すのではないかという不安を招きかねないが、任天堂の動機によこしまな意図はまったくなかったことは強調しておく必要がある。同社はむしろ、良い意味での「兄貴分(ビッグブラザー)」の役割を引き受け、幼い弟が誕生日や歯が生え変わる時にもらったお小遣い、あるいはリビングの長椅子のクッションの間から見つけた小銭を無駄遣いせず、貴重なゲーム体験を得られるように世話を焼こうとしたにすぎない。このようにゆっくりと着実に顧客層との信頼関係を築く手法は、今すぐにでも『ソニック・ザ・ゲッジホッグ』を入手したい消費者にとってはまるで無意味かもしれないが、任天堂はセガのゲーム機を買った人々も何度か駄作をつかまされれば必ず見方を変えるはずだと信じていた。
これを読みながら、ゲーム機の世界でも「歴史は繰り返す」のだな、と考えていました。
アタリの失敗をみて、ゲームソフトの品質管理を重視した任天堂と、それに対して、「自由さと多様性」をアピールしたセガ。何が面白いゲームなのか、過激な表現なのか、というのは、人それぞれ違うわけで、「任天堂が決めた枠は狭すぎる」という人も少なくなかったのです。
しかしながら、「自由で多様」には、「低品質なもの、(子ども向けとしては)過激なもの」も含まれてしまうのです。
あまりにも粗製濫造されると「ハズレ」を引いてしまって失望するし、品質管理を徹底すると「画一的」にみえる。
結局、このふたつの方針を交互に繰り返しながら、歴史は(たぶん)前に進んでいるのです。
アメリカ市場でハード戦争を大きく左右した人気ゲームのなかに、日本ではそれほど大きな話題にはなっていない、というか、むしろ「ネタゲーム」扱いの『モータル・コンバット』が入っていたり、『ドンキーコング・カントリー』(日本では『スーパードンキーコング(スーパーファミコン版)』)が特大ヒットしていたり、というような市場性の違いを感じるところも多々ありました。
こういう内容のノンフィクションって、日本でも書かれてほしい、と思うのですが、いろんなしがらみとかがあって、難しいのかなあ。
この本についての「SOJの言い分」を聞いてみたいのだけれど。
- 作者: 井上理
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
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- 作者: ピョコタン
- 発売日: 2014/03/13
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