- 作者: 北大路公子
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2017/07/11
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- 作者: 北大路公子
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内容紹介
解説の宮下奈都さんも悶絶! 人妻界の秘密を知っておののき、河童とのひと夏の感動的な邂逅を果たし、フェイスブックに「なりすましアカウントの削除」を申し立て、深夜に父の部屋から漏れ出るテレビの大音量と格闘する日々……。ビールを飲みながら妄想を膨らませるキミコの日記風爆笑&脱力エッセイ。あえて「見ない」という稀勢の里への応援、納豆パックに見る人類が進化を諦めた理由など、今回も笑いが止まらない!
これは、どこまでが「日記」で、どこからが著者の「妄想」なのか?
こういう「日常+妄想のエッセイ」って、三浦しをんさんや岸本佐知子さんなど、競合する作家も多いのですが、北大路公子さんは、その活動範囲の狭さとバカバカしさ、そして、なんだこれは、と思いつつも、読んでいるうちに、伝奇小説になっていくような広がりがあるのです。
正直、何作か読んでいくうちに、「慣れてしまう」ので、初見の驚き、みたいなものは薄れてはくるのですが、上手いよねえ本当に。
このエッセイ集を読んでいると、実際にこんなことがあるのか、あるいは想像の産物なのか、もし事実だとすれば、どうしてこの人の周りには、こんなエピソードがあふれているのか、と考えずにはいられなくなるのです。
人妻界の秘密。
私がそれに気づいたのは、まだ二十代の頃でもあった。年上の人妻と一緒にお酒を飲んでいた時のことである。それまで子供の塾代(高い)のことや、夫の給料(さほど高くない)のことや、住宅ローン(返済六年目から急に高くなった)のことについて冗談交じりに語っていた彼女が、ふとした拍子にぽろりと漏らしたのだ。
「明日は何になろうかな」
言った直後に「しまった」という顔をした彼女を見て、それが口にしてはいけない一言だったことは、すぐにわかった。案の定、そこから彼女の挙動がおかしくなった。「何になろうかなって何?」私の質問には一切答えず、目を合わせようともしない。それどころか「ところでお姑さんがねえ」などと、わざとらしく話を逸らそうとまでしている。
「ねえ、明日は何になろうかなって何?」
しつこく食い下がる私と、そのたびに「いやまあ」などと言葉を濁す彼女。その攻防が数回続いた後、根負けした彼女が声を潜めて教えてくれたのである。
「実は夫と子供を送り出した後、様々な人に変身して一日を過ごしてるのよ」
「え……?」
「大物政治家の愛人として、バスローブ姿でワインを飲みながら何日も姿を見せない愛人を待ってみたり、幽閉された女王として、カーテンを閉めきった部屋でテレビも見ず電話にも出ない一日を送ってみたり」
「女王……?」
「あとは国家権力から追われる政治犯として潜伏してみたりとか、時には重い病に冒された孤独な少女として一日ベッドの中で過ごしたりとか」
「少女……?」
「だから、ちょっとした気分転換だってば」
と、今やすっかり開き直った彼女は余裕の笑みを浮かべて言った。
「言わないだけで、みんな結構やってるんだから。あなたも結婚すればわかるって」
本当ですか、人妻。
僕もぜひ聞いてみたい。
本当ですか?人妻。
まあ、それはそれで知ってどうなるってものでもない、というか、そのくらいで気が済むのなら、やっていただいて全然構わないではないか、とは思うのですが。
激烈に高いワインでさえなければ。
こういうのを読むと、北大路さんの友人は変わった人ばかりなのか、みんな一皮むけばこんなものなのか、あるいは、こういう人妻が北大路さんの想像の産物なのか、と考え込んでしまいます。
いや「考え込む」っていうほど、深刻なものでもないんですけどね。
あと、ブログについてのこんな話が出てきました。
大人になってからも、「親友だと信じていた人が、ブログでAさんのことは親友と書くのに、私のことは友人としか書いてくれない」と相談を受けたことがあって、これは「知るか」と答えるのが正解だと思うのでそう答えたが、彼女は真剣に悩んでいた。ことほどさように友達というのは難しいのである。
ああ、知り合いに読まれることが前提のブログ(あるいはフェイスブック)って、難しいよなあ。
書いている本人にとっては、「場当たり的なもので、深い意味はない」のかもしれないし、「親友というのは、ごく一部の特別な友人にしか使わない」と決めているのかもしれません(僕はどちらかというと後者です)。でも、後者のような、自分に対して誠実に書くというスタンスだと、読む側としては「なぜ私は『親友』ではないのか?」という疑問を呼び起こすこともあるのです。
逆に、「あの人が『親友』なの?」と他の友人から、反感を持たれるかもしれません。
こんなの、第三者としては「そんなこと本人以外にはわからない」としか言いようがないので、相談しても無駄だとは思うけれど、本人に聞くのは怖いし、聞かれると相手も気まずいだろうし……
結局、書いた側は、読んだ人が「私は『親友』じゃなかったのか……」とショックを受けていることを知らないままになってしまうのだよなあ。
こういうのを読むと、フェイスブックが食べ物と子供の写真ばかりになる理由もわかるような気がするんですよね。
北大路さんって、「ものすごく壮大な物語みたいなものを、ものすごくコンパクトに情景が思い浮かぶようにまとめてしまうのが、ものすごく上手いんですよ。
当時、アパートへ続く曲がり角には庭付きの小さな平屋の家が建っていました。最初は三十歳くらいの男性が一人で住んでいたのですが、ある日お嫁さんらしき女性がやってくると、草ぼうぼうだった庭がきれいになり、花が植えられ、出窓に人形が飾られ、ベビーカーを押して親子三人で歩く姿が見られるようになり、週末は庭で遊ぶ子供を夫婦でにこにこ見守るようになり、やがて週末でなくても夫婦で見守るようになり、子供を見守る表情が真顔になり、気がつけば旦那さんがずっと家にいるようになり、奥さんが仕事に行くようになり、奥さんと子供の姿が消え、庭が荒れ、草がぼうぼうになり、花が枯れ、花の代わりに空の酒瓶が並ぶようになり、そうこうするうちに旦那さんが私のバイト先の本屋で、五千円札で支払ったにもかかわらず「一万円札だった」と言い張って釣り銭を多く要求するようになり、何度か揉めた後は姿が見えなくなり、最後はとうとう家が取り壊されるという、「早送り人生崩壊劇場」みたいな後継が繰り広げられていた家です。
その跡地がどうなったかも、この目で見ているはずなのに、まったく情景が浮かびません。
これが事実なのか創作なのか、僕にはわかりません。
でも、この長くはない文章を読んだだけで、ひとつの「人生」を観終えたような気がしました。
ここには「出来事」や「風景」だけが羅列されていて、書き手の印象や感情は全く書かれていないのに、すごく「抒情的」なんですよね。
北大路さんの文章って、日常に題材をとったネタの面白さが賞賛されることが多いのですが、おそろしく文章が上手い人だなあ、と、このエッセイを読んで感じました。
とはいえ、そのすごい技術は、とくに役に立つことを書くために使われているわけではないのですけど。
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