琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】縁もゆかりもあったのだ ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

「俺はたった今刑務所から出てきたんだ」

私たちは「えっ」と発したまま固まった。刑務所と監獄博物館のある街特有の冗談だろうか。膝の上に載せた「かにめし」に手を付けられずにいた。(中略)別れ際、おじさんが「これやるよ、餞別だ」と言って渡してきたものを広げてみた。それは首元や袖口の伸びきったスウェットの上下だった。

第34回講談社エッセイ賞受賞のエッセイストこだま、待望の新作は自身初となる紀行エッセイ。
どの場所でも期待を裏切らない出来事が起こり、そして見事に巻き込まれていくこだま。笑いあり、涙あり、そしてドラマチックな展開に驚く内容も。

網走、夕張、京都などにとどまらず、病院や引っ越し、移動中のタクシーなど「自分と縁のあった場所」について全20篇を収録。


 僕は、著者の「こだま」さんのことをなんとなく敬遠していて、それは、著者が世に知られるきっかけになった私小説『夫のちんぽが入らない』のタイトルが強烈すぎたことが理由なのです。
 これを読んだら、僕が過ごしている「日常」が、信じられなくなるのではないか、という不安と、「露悪的な釣りタイトルじゃないの?」という疑念もあって、結局、『夫の……』は読んでいないんですよね。

 このエッセイ集は、書店で少しめくってみて、気楽に読めそう、ということで購入しました。
 ネットでいろんなエッセイ的な文章が読めるようになったからなのか、「エッセイ本」って、ネット以前に比べて勢いがない気がします。書籍に元気がないのは、エッセイに限った話ではないのかもしれないけれど。

 これを読んでみて、僕がいままで抱いていた、こだまさんという人のイメージが、だいぶ変わったのです。
 ああいうタイトルの本で、夫以外の男性遍歴を書くような作家だから、もっと「自分大好き」な感じなのだろう、と思っていたのですが、なんというか、ちゃんと地に足を着けて生きているのだけど、わからないことをわからないままにするよりは、とりあえず自分が生きているあいだに疑問を解決しておきたい人なのではなかろうか。

「俺はたったいま刑務所から出てきたんだ」
 見ず知らずの男性に突然そう話しかけられたことがある。
 真冬のJR網走駅構内での出来事だった。
 私は大学生で、数年後に夫となる人と青春18きっぷを使って北海道をぐるりと旅行していた。オホーツク海に面するその街に立ち寄り、名物の駅弁「かにめし」を買い、ベンチに座ってさあ食べようというときだった。
 浅黒い皮膚をたるませた60代くらいの小太りな男性がふらりとやって来て、私たちのすぐ横に腰を下ろした。まわりに客はほとんどおらず、ベンチもたくさん空いているというのに。
 そして冒頭の一言だった。
 娑婆で接する最初の人間が私たちだったのかもしれない。会話の距離感を忘れてしまったのか、元からそうなのか、とにかく、いきなりだった。
 私たちは「えっ」と発したまま固まった。
 刑務所と監獄博物館のある街特有の冗談だろうか。反応に困り、苦笑いしていると、おじさんは身を乗り出して話し始めた。
 ちょっと悪いことをして5年服役していたこと。これから列車で女満別空港まで行き、飛行機で東京まで帰ること。そこでは「むかし俺が世話していたやつら」が帰りを待っていること。
 どこか誇らしげに語るおじさんの前歯は欠けていた。


 そのあと、このおじさんからもらったという「餞別」の話も読んで、「こんなことが本当にあるのだろうか……」と思ったんですよ。 
 でも、あらためて考えてみれば、僕にも「なんでこんなことが……」という出会いがいくつかはあるのです。

 面白いエッセイを読んでいると、「なんでこの人は、こんなに珍しい体験や凄い人を引き寄せるのだろうか?」と思うことがあるんですよ。
 もちろん、有名人であれば、それなりの交友関係というものがあるでしょうし、以前『怒り新党』で、ナレーションをやっていたナイツの塙さんが、「芸能人のブログは花見の写真を載せているだけで大量のPV(ページビュー)が!」と言っていました。
 当たり前のことでも、有名人がやればニュースになったり、注目されたりするのです。

 このエッセイを読んでいると、こだまさんが昔のことをきちんと覚えていること、現実をきめ細かく解析しながら過ごしていることに驚かされます。
 
 周りに特別なことばかりが起こるのではなく、多くの人が「気に留めない」ような経験が、こだまさんというフィルターを通すと、「お金が取れるエッセイ」になる。

 こだまさんは覆面作家であり、周りの人たちは、彼女が「こだま」であることを(たぶん)知らない。

覆面作家」であるがゆえに、泊まりの取材に行くときも「友達の家に泊まる」などと夫に嘘をつかなければならないこともある。
 そもそも、夫の立場になってみれば、自分の妻が、あんな私小説を書いて発表していたら、どんな気持ちになるだろうか?
 でも、こだまさんは、日常でオーラを発しているような人ではなく、極端な話、僕の妻が「こだま」であってもおかしくないのではないか?
 お互いに病気を抱えながら、助け合い、尊重しあっているけれど、「秘密」がある。
 それは不誠実なのか、ふたりが生きていくために必要な「方便」なのか?


 こだまさんは「東京」について、こんなふうに書いています。

 勇気を出して東京へ行ってよかった。文学フリマに出てよかった。その誘いに乗ってくれたのが気の置けない知人でよかった。恥も外聞も捨てて『夫のちんぽが入らない』という私小説を書いてよかった。それがたまたま編集者の目に留まってよかった。『クイック・ジャパン』と『週刊SPA!』からの執筆依頼を断らなくてよかった。信頼できる編集者に巡り会えてよかった。『夫のちんぽが入らない』を書籍化してもらえてよかった。中傷の言葉が飛んでくることもあったけれど、それらがどうでもよくなるくらいもっといいものを書こうと打ち込めてよかった。好きなように書いてやると開き直り『ここは、おしまいの地』というエッセイを出してよかった。そして、思いもよらない賞をいただけて本当によかった。

 何度東京を訪れても目に浮かぶのは品川神社の高台から見下ろした薄暮の街並みとつつじの花。そして「同人誌を買ってもらえますように」と手を合わせていたときの心細さ。


 「あざとい」タイトルの本だと思ったのだけれど、あの作品が世に出るまでに、さまざまな葛藤があり、今、「書くこと」で、こだまさんは救われているのだな、というのが伝わってくるのです。
 僕も(いちおう)こうして匿名でネットに文章を書いている人間なので、共感せずにはいられなくなります。
 ただ、僕はネット上でさえ、「恥も外聞も捨てる」ことができなかった。そして、そういうのを捨てられないのもまた、僕の人生なのかな、とも思っています。

 人って、弱くて、強いよね。

 新型コロナの蔓延で旅にも出られない状況下で読むと、出不精の僕も、久しぶりにどこか知らない街に出かけてみたくなりました。
 

アクセスカウンター