琥珀色の戯言

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【読書感想】ルポ東大女子 ☆☆☆☆

ルポ東大女子 (幻冬舎新書)

ルポ東大女子 (幻冬舎新書)


Kindle版もあります。

ルポ東大女子 (幻冬舎新書)

ルポ東大女子 (幻冬舎新書)

内容紹介
一学年あたり約3000人いる東大生のうち、約600人しかいない希少な存在「東大女子」。「女子なのに東大行ってどうするの?」という世間の偏見をかわし、努力の末に合格。しかし学内のテニスサークルの男子からは無視され、他大生の男子からは高学歴ゆえに避けられがち。理解力や処理能力が高く優秀なため、比較的出世するが、それでも最後は「男社会」の壁に結局ぶち当たる。かといって就職せずに〝女性らしく〟専業主婦を選べば、世帯の生涯収入が3億減るという現実。偏差値ヒエラルキーの頂点に君臨する〝究極の高学歴女子〟ゆえのジレンマと、その実像に迫る


 「東大女子」か……
 僕自身は、東大卒の女性に知人と言える人はいないので、興味深く読みました。
 ただ、地方の「駅弁大学」でも、医学部に来る女性、あるいは女性医師と、東大女子って、けっこう似ているのではないか、と思います。
 どちらも、「せっかくこうして学んできたのだから、自分の能力を活かした仕事をして生きていく」という意識が強いのではなかろうか。
 大学に入りたての頃、同級生女子たちと話をしていて、「田舎で、結婚とか出産も踏まえて、女が一生できる仕事って、学校の先生か医者しかないと思って」という言葉を複数の人から聞いて驚いた記憶があるんですよ。
 「勉強ができる女子」というのは、高校を卒業して、大学を選ぶ時点で、そこまでの覚悟をしているものなのか、と。地方の医学部って、男は「進学校くずれ」みたいな人が多くて、「まあ、なんとか医学部の隅っこに引っかかったし、大学生活をエンジョイするか!」なんて感じだったものなあ。


 僕がいた大学では、途中に看護学科が新設されて、「ああ、世間の『女子』っていうのは、こんなにくだけた人たちだったんだな」と、雰囲気の違いに驚いた記憶もあります。実際は、大学で看護学をやろうという「女子」は、世の中の平均よりもかなり「キャリア志向で、デキる人たち」だったんですけどね。
 そう考えると、医学部というのは、とくに地方では、なんのかんの言っても、似たような人が集まっていた、とも言えそうです。
 この『ルポ東大女子』を読みながら、そういえば、同じ大学でも、医学部女子と看護科女子のあいだには、微妙な溝があったことを思い出しました。もちろん、そういうのは、男の側の勝手な思い込みの可能性もあるけれど。


 僕は体育会系とは極北の人間で、男女とも「頭の良い人」に憧れるし、話していて楽しい、と感じることが多いのです。何をもって「頭が良い」とするかは、うまく説明するのが難しいのですが。
 ただ、その一方で、ちゃんと仕事をしようとする人たちが、育児や家事があるなかで一緒に生活するというのは、とても難しいことだな、と実感もしているのです。
 高学歴の人に社会が望む仕事というのは、ものすごく忙しかったり、イレギュラーな呼び出しがあったりするものが少なくない。
 そして、子どもは、とくに小さいときには、誰かが傍にいてあげる必要がある。
 「父親の育児参加を」という声は大きくなってきているし、父親の側としても、子どものそばにいたい、というのはあると思う。
 でも、世の中は、そんなに簡単には変わらない。


 僕が以前勤めていた病院で、若手の研修医(男)が育休をとることになったとき、外来で看護師さんたちが、「あの先生、育休とるんだってよ!」「ええーっ、まだ研修医で、男なのに?」という会話をしているのが耳に入ってきました。
 医療の現場で、男にも育休制度があるはずの職場でも、こんなものなんだな、と。
 その一方で、僕自身も、「これでまた、当直とか外来の仕事が増えるのかな……」と暗澹たる気分になりました。
 理想は理想として、自分にも負担がかかるとなれば、黒い感情が浮かんでくるのも事実なのです。
 「今でさえ一杯一杯なのに……」と

 アンバランスな男女比に対して、東大もただ手をこまねいているわけではない。
「社会のあらゆる分野において、2020年までに、指導的立場に女性が占める割合を、少なくとも30%にする」という政府方針を踏まえ、大学としても「2020年度までに学生の女性比率30%」を掲げている。
 だが、2017年5月1日時点での学部学生における女性の割合は、19.4%。旧七帝大と呼ばれる国立大学の中でも最も低い。
 京都大学の女子学生比率は22.4%、一橋大学は28.3%、東京工業大学は13.1%、東京外国語大学は65.6%、慶應義塾大学は35.5%、早稲田大学は37.8%である。世界のトップ大学といわれるハーバード、イェール、プリンストンスタンフォードケンブリッジ、オックスフォードの学部学生の男女比はほぼ半々。理系のイメージ強いマサチューセッツ工科大学でさえ、女子学生が約46%を占めている。
 2010年に朝日新聞出版から発行されたムック『東大へ行こう。』の表紙に写っている東大生は全員女性。女子志願者を増やすためにイメージチェンジを狙う大学側の意図が明確に表れている。現役東大女子をそれぞれの母校に派遣し、講演を行ってもらうように働きかけてもいる。女子高校生向けの大学説明会やオープンキャンパスも開催している。女子向けの大学案内冊子まで発行した。


 こういう試みや奨学金制度など、「女子学生を増やす」ことに注力しているにもかかわらず、東大の女子学生は、なかなか増えないそうです。
 こんなふうに宣伝しなくても、いちばん勉強がデキる人たちは、男女関係なく、受かるのならみんな東大に行くんじゃない?と僕は思っていたのですが、実際はそうでもなくて、女性の場合はとくに「あえて東大を敬遠する」あるいは「親に反対される」というケースが少なくないんですね。

 2002年に発足した東京大学男女共同参画室が2003年に発表した「東京大学男女共同参画基本計画」によれば、1982年5月1日時点の学部学生の女性比率は約7%だったというから、この35年間で3倍近くに増えたと言うことはできる。しかし実は2003年には18%、2005年には19%をすでに超えており、それ以降はほぼ横ばい状態なのだ。
「2割の壁」が越えられない。
 そこで2016年11月、東大は一人暮らしの女子学生向けに月額3万円を補助する制度を導入することを発表した。
 これに対しては、男子志願者に対する逆差別ではないかという批判も噴出した。同じ新入生なのに、女性だとお金がもらえて男性だともらえないというのでは、そこだけを見ればたしかに不平等だ。しかし問題はそこだけではないのである。


 著者は、多くの現役の学生やOBの「東大女子」に取材をして、その肉声を紹介しています。


 駒場キャンパスで行われる「ジェンダー論」を担当している、東京大学教養学部瀬地山角教授の話です。

――東大女子は、低学歴定収入でも家事・育児能力の高い人をもっと評価してあげればいいのにと、先生がコメントしているのをどこかの記事で読んだことがありますが。


瀬地山:それがなかなか起きないんですよね、基本的にはね。あまりないと思います。


――ですね。実際、東大女子と話をしていても、「早慶でもいいかなと思うんですけど」と聞きます。「早慶止まりなんだ!」みたいな。


瀬地山:彼女たち自身が、「早慶でもいいかな」って言うのは、私はあんまり聞いたことがないです。きっと彼女たちも早慶なら「全然OK」。ただ、「向こうが気にするかも……」っていうことを東大女子が気にしすぎるというのが、私の見ている感覚だと、多いです。


――「向こうが気にする」と東大女子本人が思ってるっていうことですね。


瀬地山:そうです。


 実際は、人それぞれ、ではあるのでしょうし、社会に出てみれば、その人自身に魅力があり、学歴なんて気にならなかった、という「東大女子」の話も出てくるのですが、周囲が反対したり、相手が気後れする、というケースは少なからずあるようです。
 しかし、「早慶まで」って言われると、ハードル高いな、とは思いますよね。しかも、「許容範囲」「全然OK」とか言われるくらいだったら、「早慶なんてすごいね」って言ってくれる相手と付き合ったり結婚したりした方がいい、と思う人が多いのではなかろうか。高偏差値の大学に行っている人は、それなりのプライドを持っているだろうし。
 これに関しても、東大男子が「早慶でも全然OK」と言うのとは、ちょっと違った感情というか、反感みたいなものを抱いてしまうのは、僕が「早慶レベルにも届かない男性側」だから、なのだろうか。
 同じくらいか、男のほうが学歴が上のほうが「自然」である、という考え方は、2018年でも、根強いものがあるのです。
 そして、「仕事と家庭の両立」は、もはや、男にとっても避けて通れない問題になっています。 
 

 この本のなかには、こんな話も出てきます。

「ビスケット」は2016年の春、東大女子で集まって恋愛について語り合おうというイベントを主催した。会場は渋谷駅近くの薄暗いカフェ。ゲストスピーカーとして、30代の東大OGと元ミスター東大も駆けつけた。
 実は私(著者)もその場にいたのだが、そのときの様子を、これまた東大生によるwebメディア「UmeeT」の記事が面白おかしく伝えている。記事のタイトルは「【東大女子こじらせ】男2人がbiscUit主催の東大女子会に潜入してみたら、本音が聞け過ぎて変な汗出てきた件」。現役東大男子の視点から覗いた現役東大女子会のレポートである。

 東大女子には、普通の女子には考えられないような、偏差値のたか~い恋愛の悩みがある。
「彼氏と話しててても楽しくなくて、それなら家で本読んでるほうが楽しいなって」
「『今、彼氏いるんですか?』って聞かれた際に、『それって必要な情報ですか?』って訊き返してしまいました」
「勉強はやっただけ成果が出るけど、恋愛はそうじゃない。生産効率性を求めた結果、恋愛から遠ざかってしまいます」
「相手の行動パターンが大体読めるようになると、学習完了。そろそろ別れたほうがいいのかな…と思っていました」


 しかし、彼女の悩みは、これぞ東大女子というものでした。
「スキルとして、彼氏との円満な別れ方がわからない」
 何に対しても、理屈や妥当性の高い方法論を欲してしまうのです。


 なんてめんどくさい人たちなんだ……
 それと同時に、僕はこんなことも考えてしまうのです。
 こういう人たちが、あえて「恋愛」に足を踏み込む必要があるのだろうか?
 恋愛なんて、大概、非効率的なものなのだから、興味が持てず、ひとりで生きていける人は、あえて参入しなくても良いんじゃない?
 実際、結婚や出産に対する、社会からの理不尽な圧力が少なくなってきた現在では、婚姻率は下がっているし、子どもの数も減っています。

 女子大女子と結婚した東大男子は、家のことはすべて妻に任せて自分は仕事だけに集中できる。一方自己実現志向の強い東大女子を妻にもつ東大男子は、自分も家のことをしなければいけなくなる。それが円環的に仕事に好影響を与えることは十分に考えられるが、短期的に見れば、出世競争において不利に働く可能性は高い。
 世帯収入については共働きの東大婚夫婦のほうがおそらく圧倒的に多くなるが、東大男子が自分の自己実現欲求を満たすことを優先するのであれば、女子大女子を選んだほうが合理的だということになる。
 そこは東大男子の人生観が決定的に問われるところといえる。
 逆に言えば、妻のキャリアを犠牲にしてでも自分の男としての価値を証明したいと躍起になってしまう男性が依然多いのは、「男なら、ひとりで家族を養えるくらい稼げないと」という社会的圧力が根強いからである。
 一部の東大男子が端から東大女子を結婚相手と見なさない無意識の理由もこのあたりにありそうだ。当然東大女子も東大男子は避ける。その試金石の一つがインカレサークルなのである。


 東大男子が「自分のキャリアを支えてくれる、女子大女子」を選ぶことが多いように、高学歴女性も、「学歴は低くても、家庭的な男性」を選んでくれれば、丸く収まるのかもしれません。
 今の世の中では、そういう男性も少なからずいると思うし。
 ただ、本人はそういう志向でも、周囲から「ヒモ男扱い」されてしまうこともあるし、東大女子の側も「早慶なら全然OK」と、選択肢を狭めてしまっている。
 個人的には、どうしても働きたい超有能なカップルは、住み込みのお手伝いさんに全部任せるくらい割り切るしかないんじゃない?とも思うのです。
 当直や救急呼び出しがある病院で働いている医者どうしの夫婦なんていうのが「仕事も家庭も」というのは、根本的に無理がある。
 世の中には、そういうことを極限まで効率化してこなしてしまう人がいて、そういう事例がネットで拡散されることによって、「できない人たち」が追い詰められてもいるのです。


 あの人たちはやっているのに、あなたは、なぜ、できないの?


 本当は「できないのが普通」なんですよね。
 子供の数は減っているし、家事も育児も、昔ほど「母親任せ」ではなくなっています。さまざまな家電で、家事にかかる時間も以前よりは減ってきている。
 それなのに、なぜ、女子も男子も、こんなにプレッシャーを感じているのだろうか。
 いまが過渡期で、これからいろんなことが改善されていくのか、それとも、大部分の人が、行き過ぎた理想像を追いかけるのをあきらめるようになるのか。
 東大に入ってしまうと、人生、そう簡単に妥協できないのだろうなあ。


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