- 作者: 柚木麻子
- 出版社/メーカー: 新潮社
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- 作者: 柚木麻子
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内容紹介
私の呪いを解けるのは、私だけ――。すべての女子を肯定する、現代の『赤毛のアン』。「大穴(ダイアナ)」という名前、金色に染められたバサバサの髪。自分の全てを否定していた孤独なダイアナに、本の世界と彩子だけが光を与えてくれた。正反対の二人だけど、私たちは一瞬で親友になった。そう、“腹心の友”に――。自分を受け入れた時、初めて自分を好きになれる! 試練を越えて大人になる二人の少女。最強のダブルヒロイン小説。
『ひとり本屋大賞』9冊め。
僕は柚木麻子さんの作品って、ちょっと苦手なんですよ。
2014年の本屋大賞にノミネートされた『ランチのアッコちゃん』も、「ああ、女性向けの小説なんだな」という感じで、どうも読んでいて疎外感を拭えなかった。
それは柚木さんが悪いというわけではなくて、「万人向け」の小説なんていうのは、これだけ創作物が氾濫している現在では、まず成り立たないのです。
今回の本屋大賞では『ハケンアニメ』とか、「いかにも『anan』に載ってそう!」だし。
矢島ダイアナは字が読めるようになるずっと前から、自分の名前が大嫌いだった。外国の血など一滴も入っていないのにダイアナ、それもよりによって漢字で「大穴」と書く。ダイアナの父は競馬が大好きだったらしい。毎週のように府中の競馬場に出かけて、まったく働かずに賭け事だけで生計を立てていたそうだ。大穴とは競馬や競輪、競艇で賭け金の百倍を超える配当を意味するらしい。
で、この『本屋さんのダイアナ』も、「内容紹介」を読んだ時点で、「ああ、これは僕には敷居が高い小説だ」という予感がしていたのです。
それでも、「食わずぎらいを無くすという目的もあって、とりあえずノミネート作品は読んでみる」のが、この『ひとり本屋大賞』で僕が自分に課しているノルマなので、がんばって読んでみました。
ところで、この『本屋さんのダイアナ』って、他のノミネート作品に比べて、書店でみかける頻度が圧倒的に少なかったのですが、売れているのか、それとも、流通部数が少なかったのだろうか?
「うちもそうだったから、わかるんだ。小学六年生の時に、学校の帰り道に変な男にいやらしいいたずらされたの。一度じゃなくて何度も何度も。誰にも言えなくて、あんときはすごく悩んで、しんどかった。学校にも行けなくなったくらいだよ」
「大人に相談すればよかったのに……」
幼いティアラさんの味わった恐怖や悲しみを思うと、胸が詰まって、なんだか泣いてしまいそうだ。
「そん時は思いつかなかったよ。うちの親や兄姉は、何かあるとすぐ、うちが悪いって押さえつけるような人達だったから。学校の先生や友達にも言いづらいしね。辛くて口惜しくて、ご飯も食べられなかったよ。でも、あたし、バカじゃないからね。自分の頭で考えたんだ。それで、サーファーやってた中坊のダチに手伝ってもらってキンパにしたんだ、そしたら、ぴたっと痴漢に遭わなくなった」
キンパ……、ああ、金髪か、と彩子はややあって理解する。
「職場にもそういう娘けっこういるよ。いじめられたり変な男に目ェつけられやすくて、ギャル始めたって子。あ、痴漢やセクハラ野郎って、派手な女が苦手なんだよ」
ああ、痴漢が「出来心で」などと言いながらやっていることに、女性たちは、こんなに傷つけられている。
金髪は、自分を守るための鎧にもなるのだ。
最後のほう、涙を流している自分に、なんだか驚いてしまいました。
でも、それは「感動した」とか「悲しかった」というよりは、「いまの世の中でも、『女として生きる』っていうのは、こんなにキツいことなのか」と圧倒された、というのが率直なところです。
キャバクラで働いているお母さんが、16歳で生んだ、「大穴」こと「ダイアナ」と、お金持ちのお嬢様で、愛されて育てられてきた彩子。
ふたりは、「本が好き」という共通点から親友となりますが、あるきっかけで、疎遠になってしまうのです。
いやほんと、半分くらいまでは、「女の子が好きそうな絵本とかの話」であり、あまりにも「恋愛」とか「男子」が不在の物語であることに軽く驚いていたのですが、物語の後半、彩子に起こった、ある「事件」について、僕はずっと考え込まずにはいられなかったのです。
これは、実際に大学で起こったある事件をモチーフにしているのですが、なんというか、「男とか先輩とかいう存在のズルさ」みたいなのを目の前に突きつけられる、そんな感じでした。
いや、こういう話って、ある種の「武勇伝」のように語る男っているんですよ。
そして、それに同調して、「女の側にも隙があった。自己責任」と断じる女もいる。
そして、被害に遭った本人も、自分を傷つけないために、記憶を「改変」してしまう。
女性の人生って、ほんのちょっと隙をみせたとか、ほんのちょっと世間知らずだったから、というような理由で、取り返しのつかないくらい、損なわれてしまうことがあるんだ。
そして、同じ女性のはずなのに、男の側について、被害者を増やす人もいる。
僕は、そういうことに無自覚だった自分に、愕然としました。
僕自身がその手のことをやったわけではないけれど、自分に娘がいなくてよかったのではないか、とか、考えてしまいました。
この小説は、『赤毛のアン』をモチーフにしていて、ふたりの「友情」を描く、きれいな作品だと思い込んでいたのです。
でも、それだけじゃなかった。
「女性が、女性として生きていく」ことの難しさや絶望感が、ここにはある。
でも、それを乗り越えていこうという強さも、秘められている。
「女性向けの小説」だからこそ、「女性には、こんなふうに世界が見えているのか……」と、思い知らされる作品でした。
男子高校生とか、娘を持つ父親にも、ぜひ、読んでみていただきたい。
まっすぐに生きている人間って、まっすぐであることがコンプレックスだったりするのだよなあ。
人間って、本当に、うまくできていない、と思うのです。
きっと、見えないところで、みんな、大なり小なり、傷ついている。
それは、男も女も、変わらないのだけれども。