琥珀色の戯言

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【読書感想】「高学歴ワーキングプア」からの脱出 ☆☆☆


Kindle版もあります。

「この問題は解決しない。うやむやに終わるだろう」
――『高学歴ワーキングプア』刊行から13年。研究者であり僧侶でも
ある著者が、紆余曲折ありながらも辿り着いた境地とは?

ポスドクの「バッタ博士」こと前野ウルド浩太郎氏との対談を収録。


 高学歴ワーキングプア、という言葉を最初に耳にしてから、もうだいぶ経ちます。
 10年くらい前、ネットでは、「高学歴ワーキングプアの悩み」を書いていた人が多かったような記憶があるのです。

 私が『高学歴ワーキングプア』(光文社新書)という本を著したのは、2007年のことだった。
 当時、国が旗を振った「大学院重点化政策」によって、大学院生の数はそれ以前の約三倍にまで膨れ上がっていた。「欧米に伍する研究者数の確保と研究レベルの実現」という大義が掲げられ、推進された政策の結果、たしかに修士号や博士号を有する人材は増えた。だが、副作用も強かった。
 我が国の企業が新卒一括採用の方式を崩さないなか、大学院にまで進学した者たちはその枠組みからは完全にはみ出ていた。博士号取得者に至っては、もっとも若くて27歳になるため、もはやどの会社からも相手にされない。「末は博士か大臣か」というように、かつては立身出世の代名詞だった博士様も、こうなっては形なしである。
 彼らの就職先は限定的で、民間はまずダメ。そうなると残るは大学の教員ポストということになるが、ここに大問題があった。アカデミア業界は2020年現在においても、未だに終身雇用がまかり通っている世界なのである。そのため、雇用に関しては構造的な問題を抱え続けている。上がつかえていて若手研究者に専任教員ポストが回ってこないのだ。その結果、四十代になるまで非正規雇用が当たり前といった環境ができあがっている。


 研究書ではなく、一般向けの新書とはいえ、ベストセラー作家となった著者は引く手数多かと思いきや、それでも、大学の常勤ポストを得るのは大変だったみたいです。
 
 僕自身は就職活動の経験がないのですが(転職活動はちょっとだけやりました)、大学のポストというのは、大学内部でのパワーバランスに左右されたり、だいたい有力候補が決まった状態で募集されたりして、「狭き門」どころか、「そもそも門が存在しない」なんてことも少なくないようです。

 2007年の前著では、「高学歴ワーキングプア」という人たちの存在そのものが社会に衝撃を与えたのですが(そんな「良い大学」を出た人たちが、なんで40歳まで非常勤なの?とみんな驚いていたのです)、今や「高学歴ワーキングプア」の存在は、多くの人が知るところになりました。
 自らの将来を悲観したポストに恵まれない研究者たちが事件を起こしたり、自ら死を選んだりした、というニュースも時折耳にします。

 前著から13年。
 この本では、「高学歴ワーキングプア」の存在を前提に、そこから抜け出すのための戦略が検討されています。

 たしかに昔は研究能力が高い人間を求める傾向が大学には残っていた。しかし、国・公・私立の四年制大学合わせて約750枚のほとんどでは、教育能力が高く、また学内行政に積極的に関わってくれる人を歓迎する傾向が強まっている。いわゆる研究大学──旧帝大早慶・一橋・筑波・東工大・神戸・広島などを除けば、研究能力だけが高いという人はあまり魅力がなくなっているという。
 学生受けがよく、オープンキャンパスや各地の説明会で、大学の魅力を存分に語れる教員こそが求められている。わかりやすい言葉を用いて、その大学について魅惑のプレゼンテーションを展開できる人がほしいのであって、世界に通用するような研究者というくくりの人材は、一般的な大学ではとくに必要とされていない傾向が感じられる。


 こういう事情もあり、一部の有名大学以外では、研究実績よりも、雑用を嫌がらず、体力もある、少しでも若い人が有利になりやすいのです。
 ということは、既存の高学歴ワーキングプアは、年齢を重ねていくにつれて、さらにポストを得られる確率が下がっていくことになるんですよね。
 逆に、若い人は、多少研究実績が劣っていても有利なことが多いそうです。
 
 著者は、2018年に、博士号取得から14年で、客員教授のポストを得たのです。
 
 ベストセラー作家で知名度があっても、けっこういろんなところで不合格になり、それでも負けずに応募しつづけた成果といえるのではないでしょうか。
 そもそも、「採用・不採用は、相手のニーズという問題があるので、不採用になっても、自分を責めるのではなく、『相性が悪かった』『自分のためのポストではなかった』と割り切って次のチャンスを待つことが大事だ、と著者は述べています。

 すると、自分がどんな人間なのかをわりとあけすけに周囲に広く知ってもらう必要が生じる。しかし、研究一筋の人間はそうしたことを意味がないと捉えがちだ。たとえば学会発表を行ったあとの懇親会を、時間やお金の無駄といって避けたりする。それでは、せっかくのチャンスを自ら潰すことになる。だから私は、若手研究者たちには口酸っぱくしてこう説く。
「飲み会や懇談会には這ってでも行け」
 実際、我々の業界での仕事は、そうしたなかで見つかることが少なくないのだ。
 福島県立医科大学で専任講師をしている日高友郎氏はその点について大きく頷く。
「私の就職は飲み会の場で決まったといっても過言ではありません」


 僕も「懇親会とかは気を遣うしめんどくさいから、なるべくスルーで……」という姿勢でやってきたのですが、2020年になっても、結局のところ、「人脈」ってけっこう大きいのです。
 少なくとも、「こういう人を採用したい」という話が出たときに、自分の顔と名前を思い浮かべてもらえるかどうかが勝負所なんですね。
 大学の研究職って、飲み会にマメに参加しているかどうかなんて、関係ないだろ、と言いたくはなるのだけれど、選ぶのもまた人間なのです。
 この本には、著者が長年の試行錯誤で身につけた「高学歴ワーキングプアからの脱出術」が書かれているのですが、内容は、営業マンの処世術に近いと感じました。
 高学歴ワーキングプアから脱出するためには、卓越した研究能力・実績とともに、自分をうまくアピールする「宣伝力」が大事になるみたいです。


 中盤の、「著者の身内が創業者の大学での権力争いに巻き込まれた話」は、冗長で、かなり中だるみしてしまったのですが、いま、本気で「脱・高学歴ワーキングプア」を目指している人は、不本意でもこの著者のやり方を真似してみたほうが良いと思いますよ。


博論日記

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