琥珀色の戯言

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【読書感想】「承認欲求」の呪縛 ☆☆☆☆

「承認欲求」の呪縛 (新潮新書)

「承認欲求」の呪縛 (新潮新書)


Kindle版もあります。

「承認欲求」の呪縛(新潮新書)

「承認欲求」の呪縛(新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
SNSで「いいね!」をもらうことに全身全霊を傾けてしまう人がいる。職場で表彰されたために「もっとがんばらねば」と力んでしまい、心身を蝕む人がいる。エリートであるがゆえにプレッシャーを感じて、身を滅ぼした人もいる…すべての原因は「承認欲求」の呪縛だった。誰しもがもつ欲求の本質を深く探り、上手にコントロールする画期的な方法を示す。人間関係の向上や組織での成果アップに変換するヒントが詰まった一冊。


 「承認欲求」という言葉は、ネット社会での人々の問題行動を安易に説明しすぎているように僕には思えて、あまり好きではないんですよね。
 「はい、それ承認欲求」って、説明したつもりになっている人たちの多くが、本当にこの言葉の意味を理解しているのだろうか、と疑問ですし。
 そもそも、他人に「認められたい」という感情は、昔から存在していたものなのです。
 もちろん、ネット社会では「認められる」ためのアプローチが「地道に努力して実績を積み上げる」よりも、「炎上商法的」になりやすいのも事実なんですけどね。
 そのほうが「手っ取り早い」のも確かだし。
 その後のことはさておき、ね。


 長年「承認欲求」に注目し、研究してきた著者は、この本のなかで、「最近、あらためて注目されてきた承認欲求には、これまで指摘されてきたのとはまったく異質な問題がある」と述べています。
 「承認されるための問題行動」だけが、承認欲求の負の側面ではないのです。

 私がはじめてこの問題に気づいたのは、大学院生を指導していたときである。ある院生はコツコツと研究した成果を教員たちの前で発表し、高い評価を得て、さらなる研究の発展を期待された矢先、突然大学に退学届を提出し、それきり大学に来なくなってしまった。別の院生は抜群の成績で博士課程への進学が決まっていたにもかかわらず、家で自室に閉じこもり、家族とも口を利かなくなったという。ほかにも似たようなケースがあいついだのである(※いずれも本人が特定されないよう、事実に多少の修正を加えている)。
 当初は特異な事例かと思っていたが、後になって同じような現象が企業や役所でもしばしば起きていることを知った。
 さらに、たまたま訪ねた会社で次のような話も耳にした。あるとき社長が工場へ視察に訪れ、工作機械を巧みに操作する若手社員の仕事ぶりをほめたたえた。そして、別れぎわに「期待しているから頼むよ」といいながら彼の肩をポンと軽くたたいた。以来、同僚からも注目されるようになった彼は、だれよりも早く出勤し、準備万端整えて仕事に取りかかった。ところが彼も、やがてメンタルの不調を訴え、休職に追い込まれていったという。
 繰り返しになるが、これらが例外的なケースではないことを強調しておきたい。それどころか、一定の条件がそろったときには、かなりの確率で発生することがわかってきた。しかも「病」が重症化するケースが明らかに増えているようだ。私は精神科医ではないが、組織や社会を研究する者として見過ごせない現象である。
 そして、それがある一線を越えたとき、先に掲げたような事件や深刻な社会問題を引き起こす。
 人は認められれば認められるほど、それにとらわれるようになる。世間から認められたい、評価されたいと思い続けてきた人が念願叶って認められたとたん、一転して承認の重圧に苦しむ。


 「認められたくて努力した」のだけれど、いざ、認められてしまうと、その評価を失うのが怖くて、プレッシャーに押しつぶされてしまう。
 そういう事例がかなり多いことを、著者は指摘しているのです。
 「失望されること」を怖れて、嘘をついたり、粉飾決算をしたり、リコール隠しをしたり。
 そういう不正に手を染めてしまう人たちは、個人としての理性では、それが悪いことだと認識しているはずなのに、そうせざるをえない心理状態に追い込まれてしまうのです。


 この本を読んでいると、「なるほどなあ」と思うのと同時に、人間の『認められたい』という気持ちをうまくマネージメントしていくのは、きわめて難しいことなのだな、と考え込んでしまうのです。

 若者にとって期待のプレッシャーがいかに大きいかは、意識調査にもあらわれている。ライオン株式会社が2012年に行った「新社会人のプレッシャーに関する意識調査」によると、新入社員時代にプレッシャーを感じた、心に重くのしかかる上司の言葉として「期待しているよ」が3位に入っている。とりわけ若い人にとって、期待をかけられることはありがたい反面、迷惑なもののようだ。
 承認の重荷から逃れようとする、もう一つの方法はあらかじめ評価の下落を防いでおく行為である。
 先に説明したセルフハンディキャッピングには、あらかじめ大きな期待を避けられるのを防ぐとともに、失敗したときに自己評価が大きく低下することを予防しようという意図も含まれている場合が多い。たとえ失敗しても、「体調が悪かったので実力が発揮できなかっただけだ」「実力はあるのだけれど、勉強しなかったから落ちたのだ」と思ってもらいたいのである。
 ところで、小中学校の教育現場では、「努力をほめるのはよいが、能力や成果をほめるのは控えたほうがよい」とよくいわれる。能力や成果をほめられた子どもは、期待を裏切らないため、そして自信をなくすのが恐いため、失敗のリスクをともなうものに挑戦しようとしなくなるからである。
 しかし、だからといって努力をほめればよいかというと、そうとも言い切れない。なかには努力をほめられると「がんばらないといけない」というプレッシャーで学校に行けなくなる子がいるし、逆に効率的な努力かどうかを考えず、がむしゃらにがんばってしまう子もいる。
 どのようなほめ方が望ましいかという議論はとりあえずおくとして、学校に行かないというのは見方によればプレッシャーへの一つ対処方法である。また、先に述べたような自己防御のための異常にも映る言動(セルフハンディキャップ)も、自分が置かれた状況に対処するために必要だったとも考えられる。むしろこのような自己防衛的行動をとらず、周囲の期待を真正面から受け止めてしまう人が危ない。


 期待や応援がモチベーションにつながることは多いけれど、それがプレッシャーになってしまって、追い詰められる場合も少なくないんですよね。
 そういう「承認への耐性」にも個人差があるし、どんなに承認を力にできる人であっても、あまりにもプレッシャーが大きすぎると、やはり耐えきれない。

 子供に対しても、「努力をほめるな、能力や成果もほめるな」ということになると、それは「ほめてはいけない」ということなのだろうか……と頭を抱えざるをえないのです。
 程度問題とか、その子の個性にあわせて、ということになるのでしょうけど、それはすごく難しいことですよね。
 考えれば考えるほど、結局は「承認への耐性」や「承認を力にできる能力」が先天的に高い人が生き残っていくだけなのではないか、と思えてきます。
 そして、「プレッシャーに打ち勝つ自信がない人は、自分に向けられる承認をセーブするように生きたほうが、安全なのではないか」とも感じるのです。


 著者は、いまの日本の社会で「承認欲求の呪縛」を乗り越えて、不正を告発することの難しさについても述べています。

 内部告発者は公益に対する貢献者であっても、会社や職場という共同体にとっては「裏切り者」である。そのため、たとえ制度によって保護され、処遇の面では直接不利益をこうむらなくても、上司をはじめ周囲からの信頼を失う。とくに告発によって会社や同僚の利益を損なう場合には、孤立無援になるのを覚悟しなければならない。
 忘れてならないのは、普通の会社員や公務員の場合、準拠集団すなわち自分の能力や人格を評価してくれるところ、プライドのよりどころは職場だけだということである。公益のためにそれを敵に回して告発せよということが、どれだけハードルが高く、非現実的かを考えてみるべきではなかろうか。
 ところが最近になって、わが国でもレスリング、ボクシング、体操、重量挙げなどアマチュアのスポーツ界で指導者のパワハラ内部告発するうごきが相次いだ。官僚の記者に対するセクハラ発言や、市町村長の職員に対するセクハラが被害者から告発されるケースもあった。
 堰を切ったように起こりはじめた内部告発の動きを目にして、ようやく日本の組織も変わってきたのかと思いきや、外国人留学生たちから意外なコメントが返ってきた。
「私たちはハラスメントを受けたらその場で抗議する。なぜ日本人はその場でおかしいとか、やめてほしいとか言わないのか」と。たしかに、その場で抗議していたらあとで告発する必要はなかったかもしれない。だとしたら、やはり「承認欲求の呪縛」がいまらに解かれていないことになる。
 繰り返し述べているように、日本の組織は外の世界から隔てられた「共同体」の性格が強く、メンバーは内部の規範や人間関係を強く意識し、そこで承認を失うことを極度に恐れる。その事実を忘れると諸々の対策は効果がないばかりか、かえって逆効果になりかねないということだ。


 対策としては、複数のまったく違う構成員の集団に所属することによって、ひとつの組織への依存を下げることや、多様な価値観に触れること、などがあるのですが、ある組織の中で、懸命に活動していたり、重んじられる存在になっていればいるほど、そういう「リスクの分散」が難しいのが日本の社会なのです。
 いろんなことをやっている人は「どっちつかず」だと言われることも多いですし。
 
 読めば読むほど「うまく認めるのも、認められるのも難しい」と思わずにはいられない本でした。
 

認められたい

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