- 作者: 田原総一朗,上祐史浩
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2013/11/06
- メディア: 新書
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内容紹介
なぜ、信じるのか――?
有名大学出身のエリートたちは、なぜカルト教団にのめり込んでいったのか。
なぜ予言が外れ、真実が明らかになったあとも妄信し続けたのか。
ジャーナリストの田原総一朗氏が、元オウム真理教の広報担当・上祐史浩氏の、今まで語られなかった“本心"に迫る対談。
上祐さんのお話は、
人間というものの弱さと強さを、
この上もなくわからせてくれる。――田原総一朗
「ああ言えば上祐――」
僕の記憶になかには、まだこんな言葉が残っていて、この新書を読む前には「そう簡単には言いくるめられないぞ!」と身構えていたのです。
田原総一朗さんも、「一筋縄ではいかない人」ですしね。
僕のなかでの上祐さんというのは、「とにかく口ばっかりが達者な人」そして、「自分の罪を認めない人」というイメージがずっとあったのです。
そんな上祐さんは、早稲田大学の理工学部を卒業して、宇宙開発事業団に勤めていた人でした。
田原総一朗:だけど、宇宙開発事業団というのは、宇宙科学の粋を集めたようなところでしょ。そこに入りたかった人が、なぜそんな超科学のほうに行っちゃうの?
上祐史浩:当時の自分にとって宇宙開発というのは「科学」への憧れだけではなかった。自分の価値を最大限に活かせる分野だと考えたんです。つまり、宇宙開発に携わることは手段であって、目的は「自己の価値を最大化すること」だったんです。
田原:自己の価値を最大化?
上祐:自分を、なるべく重要な存在だと思うことができること。
そして、上祐さんは、宇宙開発事業団を辞めて、「出家」した理由について、こう振り返っています。
上祐:私自身は先ほども言ったように、オウムであろうと宇宙開発事業団であろうと、自己価値を最大化しようと思っていましたから。
田原:オウムに行ったほうが、より自己価値を高めることになるというわけだ。
上祐:宇宙開発事業団では、当時の理事長である大澤弘之氏が「21世紀の地球は、地表面だけだと資源が足りなくなる。だから人類が生き延びるためには宇宙開発しかない」と言っていました。ある意味、救済思想を説いていたんです。つまり、私にとっては宇宙開発事業団に入ろうとした決め手も、宇宙開発による人類救済だったんです。
田原:なるほど。
上祐:同時にこの頃、アメリカのレーガン元大統領による「SDI」というのがありました。それで、宇宙開発に関わっていると、もしかするとそのうち自分のやったことが戦争に使われるんじゃないかという懸念もあった。一方で、オウムの内部では第三次世界大戦論が盛り上がっていて、戦争を回避し世界を救済するためには心を改革していかなければいけない、解脱者を増やさなければならない、という。戦争と解脱という比較の中で、オウムの方により魅力を感じてしまった部分もあったと思います。
上祐さんは1962年生まれですから、僕より10歳くらい年長ということになります。
僕が小学生くらいのときは、みんなけっこう「ノストラダムスの大預言」を信じていて、「1999年に『恐怖の大王』がやってきて死んでしまう可能性大なのに、勉強なんてする意味があるのだろうか?」なんて、けっこう真剣に悩んでいたものです。まあ、勉強するのがイヤだった、とうのもあったのですけど。
当時はソ連があんなにあっさり崩壊するなんて想像もしていませんでしたし、「恐怖の大王」=「世界核戦争」なんて解釈も一般的なものでした。
いま、この上祐さんの言葉を読むと「誇大妄想」だとしか思えないのですが、当時は「そういう不安を抱えている人は少なくなかった」のです。
そして、いちばん考えさせられたのが、科学的な立場の代表者のような宇宙開発事業団を支えていた理念が「ある意味、救済思想だった」ということでした。
宇宙開発というのは夢があるけれど、そう簡単に結果が出るものではなく、厳しい試行錯誤の連続でもあります。
そんななかで、スタッフのモチベーションを維持するためには「救済思想」が有効だったのですね。
宇宙開発も、オウム真理教も、有能な、善意の人たちが、『人類を救うため』に頑張っていた。
結果的に、一方は「はやぶさ」になり、もう片方は「地下鉄サリン事件」になったのだけれども。
承認欲求が強い人にとっては、自分の好みとか、最初に足を踏み出す方向の違い、ただ、それだけが、運命を分けてしまうのかもしれません。
僕だって、いろんなタイミングが合ってしまっていたら、オウム真理教に入っていた可能性はあります。
そしてそこで、修行や薬物によって「神秘体験」をして、教祖に「お前は特別だ」と囁かれれば、あの事件の実行犯になっていたかもしれないのです。
田原:ヨガは神秘体験ができて、健康にもいい。それをやっているだけなら、オウムには存在理由があった。なぜ宗教になり「第三次世界大戦が……」と言わなければならなかったのですか?
上祐:それがたぶん、クンダリニーヨガとか瞑想のヨガの、ひとつの危険性と言われている部分なんですよ。
田原:どういうこと?
上祐:クンダリニーヨガをやっているうちに、非常に尊大な、自分が世界の中心であるかのような意識が出てくるということが、実はよく言われています。
田原:クンダリニーヨガにはそういう一面があると。
上祐:魔事とか魔境、仏教では増上慢というそうです。潜在意識の中に、自分が偉大な存在になりたいという思いがあって、クンダリニーヨガで神秘体験をすると、その中で「解脱した」とか、「救世主になった」と思うような体験をするのだと思います。
田原:それを麻原は「啓示」といっていたんだ。
上祐:そうです。麻原は最終解脱したと主張したのですが、「たくさんの仏陀が現れて、一斉に拍手してくれた」と語ったことがありました。だから、自分は最終解脱したんだというのです。あるいは、神が戦えと命じる主旨のビジョンを見て、世界大戦を予言したり、教団武装化をしたわけです。
この「仏陀が一斉に拍手」というのを読んで、「エヴァンゲリオン(TV版)の最終回かよ!」と僕はツッコミを入れてしまったのですが、こうして、実際に体験したことを、内部にいた上祐さんからひとつひとつ聞いていくと、「当事者たちは、悪いことをしようとしていたわけではない」という気がしてくるのです。
あの麻原でさえも、「暴走」してしまったのは確かだけれども、「みんなをだますための嘘をついていた」わけではないのかもしれません。
それはもう、本人にしかわからないとは思うのですが。
上祐:一般の人は、カルト教団の教祖は、人をだましているものだと思っていると思うのですが、そうじゃない。教祖が一番信じているから、周りが本当に信じてしまうんです。
田原:そのとおり。教祖が信じていなければ、みんな信用しなくなる。麻原はある意味じゃ本当に深刻に、悪い意味でまじめに信じていたんだね。
上祐:そう思います。自分が一番信じていた。だからみんな、引き込まれてしまった。
一度「神秘体験」をしてしまうと、そこから抜け出して「普通の人間」として生きるのはかなり難しということも上祐さんは実体験をまじえて語っておられます。
麻原が逮捕され、対外的に「地下鉄サリン事件」などへの反省が語られた際にも、「すぐには麻原信仰を捨てることはできなかった」そうです。
いまはオウム、そしてその後継となった「アレフ」とも距離を置いている上祐さん。
「ひかりの輪」という「勉強会みたいなもの」を主宰されているのですが、上祐さんという人は、いまでも「宗教体質的」というか、承認欲求を消化しきれていないようにも思われるのです。
たぶん「宗教的なもののと繋がっていたほうが、うまくこの世界で生きていける人」というのも存在するのではないか、という気がします。
「危険な宗教とは?」という問いに対して、ふたりは、こんなやりとりをしています。
田原:つまり、安全な宗教と危険な宗教というのがあるってこと?
上祐:それはあると思います。特定の神様や人を絶対視するほど、どこかで歪み、弊害や危険性が出て来るのだと思います。
そうではなく、日本人の多くが持っている、人間を超えた大いなる存在への畏怖心とか、神社仏閣で手を合わせる心などは問題ないと思います。
特定のものを信じて他のものを否定する、これしかないというと、善悪二元論になり、悪と見なしたものと戦うことになってしまう。
実際は、オウム真理教でさえ、最初から「危険な宗教」ではなかったわけですから、そう簡単に「見分ける」こともできないのでしょうけど。
「無宗教」と多くの日本人は言うけれど、初詣には行くし、合格祈願もする。パワースポットやスピリチュアルを「なんとなく信じている」人も少なくない。
周りには新興宗教の信者もいるでしょう。
「目をつぶって、見ないようにして、存在しないものと思い込む」よりも、ある程度の知識は持っていたほうがリスクを下げることができるのではないかと僕は考えています。
「宗教」=「悪」というのもまた「善悪二元論」であはありますし。
「自分が死ぬ」ということを想像すると「宗教を持たない人間は、その恐怖とどう向き合っていけば良いのだろう?」と、不安になることもあるんですよね。