琥珀色の戯言

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【読書感想】アナーキー経営学 ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

流行に乗じたタピオカ店のしたたかな戦略とは?

二郎系ラーメンやフグ釣り漁船から、寺社のサイドビジネス転売ヤー、そしてネットワークビジネスまで――。会議室の外で生まれる「野生のビジネス」を経営理論で読み解くと、思わぬ合理的戦略が見えてきた! 身近な例から楽しく経営学のエッセンスが学べる一冊。


 「経営学」と題したビジネス書には、急成長を遂げているベンチャー企業や大企業の新しい試みが採り上げられていることが多いですよね。
 僕自身は「経営」に関しては、「面白いと思うし、興味はあるけれど、実際にやっている人に話を聞くととにかく大変みたいだし、とりあえず給料貰って働くほうが気楽だな」というスタンスで生きてきました。
 僕の経営センスが問われるのは、『信長の野望』などのシミュレーションゲームの中だけ、だったのです。

 この本、タイトルが『アナーキー経営学』となっていて、「反社会的組織の経営学の本なのだろうか」と思いつつ手に取りました。それはそれで、ちょっと興味もあったので。


 著者は、「はじめに」で、こう書いています。

 私自身、経営学の一ジャンルである企業家研究の研究者として、流行りのITベンチャーやバイオベンチャーを調査対象とする同世代の経営学者たちを横目に、中華街のレストラン経営者や沖縄県のダイビングショップ経営者を調査対象とした論文や書籍を発表してきました。それは、そういう人たちを企業家として捉え直すことで、地域活性化やソーシャル・イノベーションという、雇用やGDP国内総生産)といった経済的指標以外の社会的価値からイノベーションを捉え直していこう、という狙いがありました。
 しかし、今になって思い返すとこれらの活動も、在日二世華僑の人たちやダイビングショップのオーナーの「野生の経営感覚」を、「地域活性化」や「ソーシャル・イノベーション」という、養殖された経営理論の型枠に当てはめて、同業の経営学者やビジネスパーソンに受け入れられやすいように分析しただけだったのかもしれません。
 私がこれまで起業家や社会企業家として注目してきた人々は、彼らの所属する経営体=家族や仲間たちが「生き残るため」に起業し、小さなお店や会社を経営してきたのであって、地域活性化やソーシャル・イノベーションは行きがけの駄賃のように「後から付いてきたもの」でしかない場合がほとんどです。むしろ、日常に生きる人たちが常に意識していることは、大企業だったり地元行政や政府の都合に振り回されず、いかに自分たちが快適に生活できる生存空間を維持できるのか、ということにあるのではないでしょうか?
 それこそ自分を中心に家族と大事な友達くらいまでの人々と、誰にも介入されず快適に生活できる「空間」を維持するために、私達は「経営」しているのではないだろうか。その空間の中では、「株主」や「投資家」、「ステークスホルダー」云々など仰々しい概念は存在せず、ただ「生き残る」ことを目指して、ある意味ではピュアに「経営=持続的な目的行為」を展開しているのではないか。


 著者は「経営」という概念の起源は、マックス・ウェーバーが宗教社会学の中で提唱した”Betrieb”(英訳では”management")にあり、これは「一定種類の持続的行為」として定義されている、と紹介しています。
 企業に限らず、ある目的に対して、組織や事業をずっと続けていくことが、元来の「経営」だったのです。

 「経営学」は、IT企業などのベンチャービジネスや大企業の研究こそ重要、とされていた時期が長かったのですが、近年になって、著者のように「もっと広い視野でみた、人々が日常を生き延びるための知恵」を「経営」として研究する流れも生まれてきました。それは「文化人類学」ではないのか、という見方もあるようですが、個人的には、こういう「お客がいるのをみたことがない商店街の個人店は、どうしてずっと潰れないのか?」という長年の日常的な疑問に答えてくれる本は大好きです。
 スティーブ・ジョブズイーロン・マスクの伝記は面白いけれど、彼らの人生は僕にとっては「真似するのは無理」だし。

 商店街を観察していると、実際に「お客さんがほとんど入っていないのに、なんでか続いているお店」が多数存在しています。そのようなお店は、金物屋さんだと職人さんとの直接取引がメインでお店は事務所代わりに経営していたり、呉服屋さんだとご贔屓のお店への直接営業で成り立っていたりします。それは時代の変化にあわせて商売のやり方を、不特定多数の通行人を相手にした店頭販売から、長年の信用に基づいて常連さんを囲い込んだ直販に転換した業態なわけですが、それで経営が成り立っているお店はごく一部です。
 実は、こういうお店のほとんどは、不動産賃貸業で収入を上げています。商店街というと、住宅街と比べて高い地価が設定されています。高度経済成長期からバブル期にかけて、高い評価額が設定されている自前の店舗を担保に、取引のある銀行から融資を受けてアパートやマンション、駐車場の経営で収入を獲得することが、全国の商店街店主の間で流行したのです。
 では、なぜ不動産業に専念せずに、お客の来ない店を開いているのでしょうか?
 先祖代々相続してきたお店だから、自分の台で潰すには忍びないという店主ごとの事情もあるでしょうが、お店を閉じて新しい店子を入れて仕舞えば、さらに賃貸収入が望めるはずです。しかし、そのテナントに反社会勢力の経営するお店が入店したり、優良店子でも店舗経営を続けるうちに火事などを起こしたりすると、不動産経営担保として利用している自前店舗の不動産価値が著しく毀損してしまいます。だったら、赤字店舗としておけば多少の税金対策になるので、お客さんが来なくても大丈夫、お店はいつまでも続くという現象が成立するわけです。これは、全国の商店街から活気が失われた原因でもあります。


 僕が中学生の頃(もう40年くらい前)、地元の商店街のアーケードを通って学校に行っていました。
 当時から、お客さんの姿を見たこともない店がたくさんあって、「なんだか、かわいそうだな……」と、勝手に後ろめたい気分になっていたのを思い出します。

 全然「かわいそう」じゃなかったのか、僕の「かわいそう」を返して!

 というのはさすがに言いがかりですが、あの商店街の店が、ずっと開いていたのには、それなりの理由と戦略があったのです。
 トマ・ピケティ『21世紀の資本』で有名になった「r>g」(r:資産 (資本) から得られる富、資産運用により得られる富は、g:労働によって得られる富よりも成長が早い)の式で言えば、彼らは「r」を持っている人々、だったんですね。
 とはいえ、そんな商店街の店も、昨今ではすっかり少なくなって、シャッター商店街も多くなりました。
 著者は、それを「長期的視野の欠損」とか「経営戦略の失敗」と考えるのではなく、「いま自分が持っている資産を活かして、とりあえず数十年単位で自分や家族の生活を持続させる、庶民の生存戦略」だとみなしているのです。
 大きな変化を目指して挑戦し、借金を背負うことになるよりは、子供が成長し、年金がもらえるようになるまで食べていければ十分、という人のほうが、世の中の多数派なわけですし、それもまた「経営」。

 著者の家の近くの商店街の10坪ほどの小さな空き店舗は、2017年にテイクアウト専門のタピオカミルクティー店がオープンし、その後、短い期間で、フルーツサンド店、テイクアウト専門の唐揚げ店と業態が変わっていったそうです。

(店長がずっと同じ人やん!)


 一人営業だったタピオカミルクティーの時、バイトの女性が一人いたフルーツサンドの時、おばちゃん2人を雇ってフル回転で唐揚げを揚げている現在と、お店が取り扱う商品と経営形態こそ違うものの、その中心にいるのは20代後半の寡黙なお兄さんだったわけです。

「兄さん、前はここでフルーツサンド売ってました?」

「うへぇ、よくわかりましたね」

 いつも注文している大盛り唐揚げ弁当の会計時にお兄さんに尋ねると、バツの悪いような顔で「この大きさの店舗だと、今はこれが一番儲かりますね」と言いました。
 その一言で、なるほど、と思いました。
 坪数の少ない狭小店舗は、大きな調理スペースをとることもできなければ、座席数も確保できない飲食店には「旨味」の少ない物件です。お弁当屋惣菜屋のようにテイクアウト専門のお店ならばまだ計算が立ちますが、都心部に近い住宅街に隣接している商店街に、大手チェーン店がないということは、そもそもそういうニーズが少ないことが予想されます。だから、私がこの地に引っ越した2015年時点では、商店街のど真ん中にありながら、どうにも使い勝手が悪いと判断されて、空き店舗になっていたのだと思います。
 しかし、このお兄さんは目の付け所を変えたのでした。
 狭小店舗ということは、家賃=固定費が安いということです。そこを狙って、タピオカミルクティーやフルーツサンド、唐揚げのように、その時に流行している食品を提供する店を出店し、ブームが終わったりライバル店舗が現れたりして売上が落ちてきたら、さっさとお店をリニューアルしているのです。
 さらに、タピオカミルクティーやフルーツサンド、唐揚げという商品の選び方も絶妙です。流行の商品であることは確かですが、どの商品も特殊な調理技術を必要とせず、調理の仕方も簡単です。そして、どの商品も冷蔵庫、調理台といくつかの調理道具を揃えるだけでよいので、お店を開く際の設備投資もかなり安く済むはずです。
 初期投資が安いのですぐに投資が回収でき、流行が続く限りは儲けられる。流行が終息したり、周辺にライバル店舗が出てきたら体力に余裕がある内にさっさと閉店し、同じように技術介入度が低く低投資で開店できる食品でお店を出しなおす。
 いわば「流行」に同型化しつづけることで、確実に投資を回収して売り逃げし続けるビジネスモデルであると言えるでしょう。
 なるほどね、と思いながらお兄さんのビジネスモデルに似ている商売が、大昔からあることに気づきました。縁日やお祭りを彩る屋台……テキ屋さんです。


 僕はこれを読んで、なるほどなあ、と感心しました。
 流行りの食べものに便乗して、すぐに無くなってしまう店舗に対して、「ブームがそんなに続くわけないのに」と、内心呆れていたのです。
 もちろん、安易にブームに乗ろうとしても、うまくいかないことのほうが多いはず。
 でも、こんなふうに、最初から「低コスト、専門的な技術なしで乗れるブームを追いかけることを前提とした、深追いしないビジネスモデル」を考え、実行している人もいるのです。
 こういうのって、まさに「持たざる者が、その身軽さを活かした生存戦略」なのでしょう。

 この本を読むと、生き延びていこうとする人間のしぶとさ、したたかさ、みたいなものを、あらためて感じずにはいられませんでした。
 普通の人には、むしろこういう「アナーキー経営学」のほうが役に立つのだけれど、それは経営学部では教えてくれない。だからこそ、この「迷走しているようで、実はブレていない唐揚げ店」が生き残れるのです。

 著者が現場でみてきたエピソードがたくさん紹介されていて、読みやすくて興味深く、視野が広がる新書だと思います。


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