琥珀色の戯言

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【読書感想】ドンキにはなぜペンギンがいるのか ☆☆☆


Kindle版もあります。

【24歳の著者が挑む!日本の「いま」を切り取ったチェーンストア都市論】
私たちの生活に欠かせないチェーンストアは都市を均質にし、街の歴史を壊すとして批判を受けてきた。
だが、チェーンは本当に都市を壊したのだろうか。
1997年生まれの若き「街歩き」ライターはその疑問を明らかにすべく、32期連続増収を続けるディスカウントストア、ドン・キホーテを巡った。
そこから見えてきたのは、チェーンストアを中心にした現代日本の都市の姿と未来の可能性である。
ドンキの歴史や経営戦略を社会学や建築の視点から読み解きながら、日本の「いま」を見据える。


 著者は24歳だそうで、僕の子どもであってもおかしくない年齢なのか……と思いながら読みました。
 『ドン・キホーテ(以下『ドンキ』)』第1号店となる府中店がオープンしたのは1989年で、著者にとっては生まれる前、僕はちょうど大学に入って一人暮らしをはじめた頃なんですよね。
 地方都市住まいの僕にとっては、本物の『ドンキ』に触れたのは、ずっと後の話です。
 『ドンキ』は、「都会にはちょっと変わった商品やパーティグッズが積み上げられたカオスな感じのディスカウントストアがあるらしい」というイメージで、テレビゲーム『龍が如く』に登場してもいました。
 
 21世紀に入ってから、僕の身近なところにも『ドンキ』が出店してくるようになったのですが、地元のドンキがオープンしてすぐ、深夜にどうしても必要な電器製品があって買いに行ったときに、パジャマ姿のヤンキーが店内をウロウロしていて、店員さんの姿もなく、「怖いところだな」と思ったのです。

 最近は、深夜にわざわざ行くこともありませんし、日中に店内を散策して、焼き芋を買って食べることが多くなりました。
 ドンキって、店内をみていると、欲しくなるものはたくさんあるのですが、その大部分は「買ってもたぶん使わないもの」なんですよね。ディスカウントストアって、そういうものなのかもしれませんが。
 ドンキも店の数が増えたこともあり、以前ほど「不穏な場所」ではなくなった気がします。

 私たちの生活に浸透しているチェーンストアは、さまざまに批判されています。大学の授業といわずとも、中学校や高校の授業で「地域の商店街 vs. 巨大チェーンストア」という構図で、チェーンストアが地域の多様性を壊すという話を聞いたことがあるかもしれません。高校の国語教科書に載る「世界中がハンバーガー」という評論(多木浩二『都市の政治学』に収録)では、マクドナルドに代表されるファストフード文化が強く批判されています。ハンバーガーなどのファストフードが世界中に広がることで、各国独自の食文化が壊されていくというのです。これもまた、チェーンストアやその背後に潜む資本主義的な側面が世界をつまらないものにしている、という議論でしょう。
 ただ、私たちがいるのは、すでにチェーンストアが広く受容された世界です。コンビニエンスストアは便利だから使ってしまいますし、ファストフードを食べるときもある。とくに、中学生や高校生にとっては、百円ぐらいのドリンクやスナックでだらだらと過ごせるマクドナルドの店舗は第二の教室(あるいは部室)といってもいいぐらいかもしれません。
 そのため、私はこのようなチェーンストア否定論に対して、一面では賛成しつつも、どこかで「いや、ほんとうにそうなのか?」という疑問も抱いてしまうのです。たとえば、ファストフードの提供する食文化が均質なものだとはいえ、そこで同じ時間を過ごした友人たちや家族との思い出は、それぞれの人に固有のものでしょう。私自身、生まれたときにはすでに自分の生活圏にたくさんのファストフード店があり、友人や家族たちとよく利用しました(いまでもお世話になっています)。そんな私自身の思い出は、固有のものだと思っています。だからこそ「ファストフードが生活を均質にする」という言葉に、完全にうなずけない私がいるのです。
 はたして、チェーンストアは、ほんとうに世界を均質に、そしてつまらないものにしているのだろうか。
 この本は、そんな、私が生活のなかで感じたふとした疑問から始まります。


 「チェーンストアばかりで、均質化してしまったロードサイド」「日本中どこに行ってもイオンモール」という問題提起は、21世紀のはじめくらいから、盛んに行われてきた印象があります。
 僕自身も「その通りだよなあ。日本中どこへ行っても同じような風景になってしまったな」とネガティブに感じるのとともに、「とはいえ、品質が安定していて、『心温まるふれあい』みたいなものを求められるプレッシャーがないチェーン店」の存在はありがたいし、よく利用してもいるのです。
 ドンキは、マクドナルドやイオンモールに比べると、僕にとっては、前述のような経験もあって、「やや敷居が高いチェーン店」でもあるのですが。

 いま、「イメージ」という言葉を使いましたが、ドンキにまつわるイメージは、「治安が悪い」「深夜に若者が騒ぐ」「ヤンキーやDQNドキュン)御用達」といったものが多数を占めています。SNSなどで「ドンキ」と調べてみれば、この手のイメージを多く見ることができるでしょう。これは、ドンキの多くの店舗が24時間営業をしている(実際はそうでもないのですが)ことに由来するでしょう。そして、そうした深夜帯での営業によって「地域の古き良き共同体」が失われていく、というイメージは2020年代になった現在でも根強いのではないでしょうか。事実、SNSやネットで「ドンキ」と調べれば、この手の否定的なイメージはいまも数多く流布しているのです。


 著者は、ドンキのマスコットキャラクター・ドンペン(サンタ帽をかぶったペンギン)についての、こんな考察を述べています。

 ここでいままでの議論をまとめます。ドンキにはなぜドンペンが置かれるのか。その疑問の答えとして私たちは二つの理由を見出しました。一つは「目立ちたい」という欲望が置かせていることです。ドンキにはドンペンをはじめとして目立つために飾られた外観が多く見られました。そしてもう一つは、ドンペンが「内と外を融和させる」ということを表すためではないか、ということです。二つ目の理由は、まだ仮説です。実際に、ドンキの外観を見つめなければなりません。
 ドンキにとって「内と外を融和させる」とはどういうことでしょう。具体的に考えてみると、それはドンキが置かれている周りの環境(=外)と、ドンキの外観(=内)が渾然一体としている、ということではないでしょうか。では、それは実際にはどういうことなのか。
 それをたしかめるために、改めてドンキの外観を見てみましょう。
 たとえば、ドンキ後楽園店(東京都文京区)。東京ドームのすぐそばにあるこの店舗は、「ドン・キホーテ後楽園ビル」の1、2階に入っており、上にはファミリーレストランの「サイゼリア」や、ビジネスホテルチェーンの「リッチモンドホテル」があります。リッチモンドホテルが入っているだけあって、黒を基調としたスタイリッシュな見た目になっています。この壁面の右上に、少し場違いな感じでドンペンのオブジェが張りつけられています。つまり、ふつうの形をした建築にドンぺんがドンと取りつけられているのです。
 あるいは、MEGAドン・キホーテ立川店(東京都立川市)も、外観の面から見るとなんとも面白い店舗です。
 後の章でも話題にしますが、同店はもともと、スーパーのダイエーでした。店舗の壁面は、かつてのダイエーそのままに、巨大なドンペンと「ドン・キホーテ」と書かれた看板を取りつけることによって、すっかりダイエーからドンキに変化しています。
 ドンペンの人形は、もともとそこに存在しているふつうのビルやマンションに取りつけられているだけであり、ドンペンを取り除いてしまえば、そこに残るのは至ってふつうの建築物だともいえます。逆にいえば、どんな建物であっても、ドンペンのオブジェと看板をつけることさえできればドンキになれる、ということです。


「街の風景を画一的にしてしまうチェーン店」という既存のイメージに対して、ドンキは、既存の店舗や施設の建物をそのまま利用することによって、「街の景観を保存している」という面もあるのではないか、ということなんですね。
 ドンキの中には、いまや日本全国でほとんど残っていない『秘宝館』の建物をそのまま利用していた店舗があったことも紹介されています(ドン・キホーテいさわ店)。
 ただし、『秘宝館』の歴史的な意義とかサブカルチャー的な価値を見出して保存した、というわけではなくて、単に「元の建物を使用した方が、コストがかからない」という、極めて資本主義的な理由であることも指摘されているのです。
 この「元秘宝館店舗」も、特別扱いされることもなく、近隣に新店舗ができたことにより閉店となっています。

 実際はそれぞれ「個性」があるドン・キホーテで、たくさんの人々が、それぞれの利用法で思い出を作っているのです。

 かつて、「ヤンキー、DQNの溜まり場」という負のイメージが強かったドンキなのですが、近年は「町おこし」のために利用されています。

 その代表例として、2011年に誕生した岐阜市の柳ヶ瀬店が挙げられます(2020年閉店)。柳ヶ瀬は岐阜駅前に広がる歓楽街で、かつては「柳ヶ瀬ブルース」という曲で歌われるぐらいの一大歓楽街でした。それが2000年代に入ると衰退してしまい、中心市街地に人が集まらなくなってしまった。その打開策として、地元商工会が中心となってドンキを誘致したのです。これには、ドンキの創業者である安田隆夫岐阜県出身であることも関係していたようですが、地元活性化のためにドンキを出店する、ということが起こっています。
 また、MEGAドン・キホーテ甲府店(山梨県甲府市)も、地元からの誘致で出店が決まった場所です。「産経新聞」の記事(2016年9月26日掲載)によれば、「閉鎖店舗の地主や、撤退による市街地の空洞化を嫌う地域住民などにとって、跡地に出店するドンキは引っ張りだこ」であるらしく、さまざまな地域で、町起こしの重要な要素としてドンキを誘致する動きが高まっているようです。
 こうしたことからもドンキが町起こしに有用だ、という認識は高まっていることがわかります。かつて「ヤンキーのたまり場」として煙たがられることも多かったドンキは、現実にはかなりの変化を遂げてきているわけです。


 そういえば、僕の生活圏内で少し前に開店したドン・キホーテは、大きな駅の近くではあるけれど、駅前の空洞化が進み、なかなかテナントが入らないビルに造られていました。
 一昔前だったらデパートや銀行があった駅前の土地を、いまはドン・キホーテが占めているのです。空き地を埋めてあげている、とも言えるのでしょう。


 「チェーン店ばかりになり、街の風景が画一化している」と言われがちだけれど、そこで生きている人たちは、チェーン店の安心感や、同じチェーン店でも「個性」があることを理解し、自分の記憶を積み重ねているのだな、と思いながら読みました。


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