琥珀色の戯言

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【読書感想】ある男 ☆☆☆☆☆

ある男

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Kindle版もあります。

ある男

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内容紹介
愛したはずの夫は、まったくの別人であった。
「マチネの終わりに」から2年。平野啓一郎の新たなる代表作!

弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。
宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。ある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実がもたらされる……。
里枝が頼れるのは、弁護士の城戸だけだった。

人はなぜ人を愛するのか。幼少期に深い傷を背負っても、人は愛にたどりつけるのか。
「大祐」の人生を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。
人間存在の根源と、この世界の真実に触れる文学作品。


 「ひとり本屋大賞」7冊目。
 正直、平野啓一郎さんの小説には「難しい」というイメージがあって、手にとって読み始めるのに、ちょっと「覚悟」が必要だったのです。
 
 ……ああ、酒場で知り合った人から聞いた話か……なんだか、村上春樹の短編っぽい滑り出しだな……
 と、おそるおそる読み始めてみたのですが、本当に「次に何が起こるのか、不穏な予感がしつつも続きが気になってしょうがない小説」だったんですよね、これ。
 使われている言葉も、平野啓一郎さんの作品としては平易なものが多くて、電子辞書がなくても読めます(といっても、僕は読書中に電子辞書を使うことはほとんどないのですが)。
 自分自身も、この小説の登場人物のひとりとして、弁護士の城戸さんの話に聞き耳を立てているような気分になってくるのです。

fujipon.hatenadiary.com


 平野さんは、この新書で語っている「分人」という概念を、近作でずっと描き続けているのですが、「自分が愛していた人が、別人(というか、自分に語ってきたこれまでの記憶が他人のもの)だったら」というのは、普遍性のあるテーマだと思うのです。
 いま、そこにいる人は「同じ」でも、過去に大きな嘘があったり、自分の知らない一面があることがわかったら……
 「過去は過去」だし、それにこだわらないのが、幸福になる秘訣だ、現在で判断すべきだ、というのが、『嫌われる勇気』で大ブームになったアドラー心理学なのですが、あのブームによって、みんなの考え方が変わったかと問われると、まあ、そんなことないですよね。
 やっぱり、「過去」は気になってしまう。
 でも、人は、自分で思っているほと、他者の(そして自分自身の)過去を知っているわけじゃない。
 

 平野さんは、前掲の新書で、こう仰っています。

 もし、人間は、対人関係ごとに色んな自分を持っている、そして、それはキャラや仮面ではなく、すべて「本当の自分」だ、ということが、当然のこととして理解されていたなら、彼らは高校時代の私を、大学時代の私との違いに、一々大袈裟に驚かなかっただろう。なぜなら、その違いの原因は、彼ら自身だからである。私も別に「恥ずかしい」と感じることもなく、「お前らと一緒にいたらそうなった」と言って終わりだったのではないか?


 僕はこれを読みながら、ずっと考えていたのです。
 結局のところ、城戸さんも作者も、自分の立場からみた「ある男」に対して、プラスのイメージを持っているだけなのではないか、と。
 彼の「いいとこどり」をすれば善人だろうし、そうでない面をみせられた人にとっては、また別の解釈があるはずです。
 平野さんは、そんなことは百も承知で、「ある男」の善性に惹かれてしまう人々を描いているのでしょう。


 そもそも、人は誰かを熱烈に愛しているときには「過去は過去、今のあなたが大事」と言うけれど、その熱が冷めてしまったときには「あんな過去があったくせに!」と責めはじめる。もちろん、同じ人が、です。
「そんなこと、当時はまったく言っていなかったのに、どうして?」と尋ねると、「あのときは我慢していただけだ」という答えが返ってくる。

 僕がアドラー心理学ブームのとき、あらためて考えたのは、「アドラーの考え方は正しいのかもしれないが、現在の人間の感情でうまく使いこなすのは無理だろうな」ということでした。共産主義みたいなものではないかな。
 
 僕はどうも、この物語の語り手の「在日三世で、そのことに何か現実的な不自由さを感じているわけではないのだけれど、なんだか最近、うまくいっていたはずのことが噛み合わなくなってきて、嘆きながらも、『ある男』の正体探しに束の間の癒しを感じている」城戸さんという弁護士に、けっこう感情移入してしまいました。
 
 そうだよね、中年って、こんなものだよね。
 いや、客観的にみれば、これはかなりマシな中年なのかもしれない。
 なんだか、いろんなことが、やりきれなくて、自分を投げ出して、他人になってしまいたい、と思うこともある。
 あるけれど……それを実行する勇気も、本当にやってしまえるほどの劇的な動機もない。
 

 たくさんの、それもかなり特異な人物たちが登場するので、人によっては、どうしてこの脇役の方を主人公にしなかったのかと、疑問に思うかもしれない。
 城戸さんは実際、ある男の人生にのめり込んでいくのだが、私自身は、彼の背中を追っている城戸さんにこそ見るべきものを感じていた。
 ルネ・マグリットの絵で、姿見を見ている男に対して、鏡の中の彼も、背中を向けて同じ鏡の顔を見ているという《複製禁止》なる作品がある。この物語には、それと似たところがある。そして、読者は恐らく、その城戸さんにのめり込む私の背中にこそ、本作の主題を見るだろう。


 これは「ミッドライフ・クライシス」の話なのだろうか?
 でも、そんな言葉で、知ったかぶりをするのも、違うような気がする。
 なんというか、「不幸なところから幸せになる」のも、「普通に幸せになる」のも、けっこう難しいよね。ただ、そういうのって、僕だけじゃないんだな、と、心が半分ざわめき、半分慰められる、そんな小説だと思います。
 この小説が好きな人は、僕と気が合うのではないか、そんな気分になります。


fujipon.hatenablog.com

マチネの終わりに

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日蝕・一月物語(新潮文庫)

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