- 作者: pha
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2019/07/24
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Kindle版もあります。
- 作者: pha
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内容紹介
□会話がわからない □服がわからない □すぐに帰りたくなる
□早く着きすぎてしまう □居酒屋が怖い □不意打ちが怖い
□ときどき頭の中がワーッとなる □決められない □荷物を減らせない
□からあげばかり食べてしまう □検札が怖い □つがいになれない
□やる気がわかない □同じことを続けられない ……他ダメな自分を受け入れるところから始めよう
京大卒・元ニートが実践する、自分らしく生きる方法
京大卒(元)ニート、phaさんのエッセイ集。基本的に日常の雑記が多いのですが、phaさんが書くと、その「日常」こそ、生きるのがめんどくさい人間にとっては問題だらけなのだ、ということをあらためて意識させられます。
phaさんの文章が好きな人の大部分は、phaさんのものの見方や生き方に「共感」するところがあって、「ああ、僕もそうなんだよな……まあ、phaさんもこうして生きているし、僕ももうちょっと生きておくか」という読み方をしているのではないか、と思うんですよ。
今回は、シェアハウスに飽きてきた、という意識の変化も書かれているわけですが、そこで、「シェアハウスは自分の個性であり『セールスポイント』だから」と固執しないところが、らしいといえばらしい。
こうして文章を書いて、本を出して生活しているというのは、「ライターとして生活している」ということでもありますし。
なんでみんな会話なんていうよくわからないゲームが自然にできるんだろう。あのつまらなさにどうしてみんな耐えられるんだ。そもそも話題というものがわからない。天気の話とかどうでもいいしテレビの話とか全然知らない。世間話って無意味だろ。相手の発言の一つ一つにどういう意図があるのか全く読み取れない。どう応答すれば正解なのか、難易度がベリーハードの早押しクイズ大会だ。なんでみんなそんなに喋りたいことがあるんだろう。僕は人に対して喋りたいことなんてほとんどないんだけれど。僕に対して全く興味のない癖に僕に質問してくるのをやめろ。それに渋々答えると「ノリが悪いね」みたいな目で見るのもやめてくれ。
そもそも人と対面しているというだけで緊張してどうふるまえばいいのかわからなくなるのに、その上会話なんていうルールのわからないゲームをふっかけられたらパニックになるしかない。でも、社会はそれを当たり前のこととして強要してくるのだ。
すぐに帰りたくなる癖のせいで人生でいろいろと損をしている。
人と会うのは嫌いじゃないし人と話すのも嫌いじゃない。だけど僕は、社交をするエネルギーが1、2時間くらいしかもたないのだ。
エネルギーが切れると帰りたくなってしまうのだけど、世の中の面白いことは大体、始まってから二時間半後くらいから始まるということになっている。早めに帰ってしまうせいで僕はいつも肝心なところを見損ねてしまう。
こうして並べてみると、「人と話すのが好きなのか嫌いなのかどっちなんだ?」と思ってしまうのですが、僕の解釈では、お互いに興味もない人と「世間話」をするのは苦手で苦痛だということ、そして、知り合いや波長が合う人と話をするのは嫌いじゃないけれど、それでも、長時間はつらい、ということではないかと。
僕もまさにそんな感じなので(phaさんには、こういうふうに「僕も同じなんですよ!」って言いたくなるところがあるんですよね。実際はこちらが勝手に共感しているだけなのかもしれないけれど)。
どんなに仲が良い人が相手でも、「ちゃんと話をしよう」「相手に失礼がないように、嫌われないようにふるまおう」とするあまり、すぐに疲れてしまう。
興味がない相手と会話することには意味が見いだせず、大事な人とは、ノーミスでクリアしようとするから消耗が激しい。
コミュニケーションが上手い(ように見える)人は、相手なりに力を加減して、ときにはうまく聞き流しながら会話をしているようにみえます。仲が良い相手だと、肩の力を抜くこともできる。
そういうのは、ある程度トレーニングで改善できることなのかもしれず、「苦手なのは場数を踏んでうまくなろうとしないから」という可能性もあるのですが。
この「がんばらない練習」を読んでいると、phaさんは「ちゃんとやろう」「完璧にやろう」という意識が強くて、「完璧じゃなければ80点も50点も一緒」になりがちなのではないか、という気がするのです。というか、僕がそうなんですよ。
小さな子どもであれば、テストで「100点」も取れるけれど、大人になると、「完璧な仕事」なんてできるはずもないのに。
でも、そういう「考え方の基盤」って、そう簡単に変えられない。
あと、自分の歪みやだめな部分をひたすら文章に書いて公開し続けていれば、そんな自分を全て受け入れた上で自分と仲良くしてくれる人が自分の周りに集まってくるだろう、みたいな期待もある。
実際にそういう現象は存在する。ネットの良いところは、どんなにだめで偏った意見に対しても、ある程度の支持者が現れるところだ。その逆として、どんなに良いことを書いてもある程度の人に批判されてしまう空間でもあるけれど(「結婚しました」という幸せそうな写真を投稿したら「結婚したくてもできない人間がこれを見て傷つくことを想像しろ」と怒られる、など)。そうした現象を見るたび、人間は多様で、だから世界は面白い、ということを実感する。何を投稿しても肯定意見が来るということは、ちゃんと気を付けていないと自分が全く成長しないということでもあるので、怖いところでもあるけれど。
こういうのは別に僕だけの話じゃなくて、ネットを見るとそこらじゅうでみんなが自己セラピーのような自分語りの文章を書いている。ネットは悩みの博覧会だ。家庭について、仕事について、自己について、性や恋愛について。ブログで、ツイッターで、発言小町で、はてな匿名ダイアリーで、ネット上のありとあらゆる場所で、告白とカウンセリングと共感と野次馬が入り交じったような戦場が日夜繰り広げられている。ネットは巨大な精神科みたいなもので、症状が治ったやつから順番にいなくなっているのでは、と思ったりすることもある。
自分の悩みを言語化することやそれを他人に見せることはセラピーとして有効なので、みんなどんどんやったらいいと思うのだけれど、興味本位の野次馬が集まりすぎて心無い言葉に傷つくみたいなパターンもよく見るので、ある種の自衛が必要だとも思う。
このあと、phaさんの「自衛の方法」についても書かれています。
僕も長い間ネットに触れてきました。
ネットでは、どんな意見に関しても、賛否両論というか、他者の善行や幸福に怨念を投げつける人もいれば、とんでもない悪事も擁護したり共感したりする人がいるのです。
それは多様性でもあるのだろうけれど、たしかに、「自分を成長させようと思うのならば、ネットは居心地が良すぎるところがある」ようにも感じます。
今はもう、「ネット」と「世間」には、そんなに距離は無いような気もするのですが。
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